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子どもの頃からダンスに夢中

―樋浦さんがダンスを始めたきっかけは?

4歳から通い始めた五十嵐瑠美子洋舞踊研究所(現・五十嵐生野モダンダンススタジオ)です。といっても、小さい子のクラスは振付ではなく、ボール遊びや縄跳び、リズム遊び、変身遊びなど遊びが中心。そこで体を目一杯動かす楽しさを知った気がします。

―中学からダンス強豪校、新潟明訓中学校・高校へ進学。やはりダンス部へ入るためだったのでしょうか?

モダンダンス教室には引き続き通っていたのですが、絵を描くのも好きだったので、中学校では美術部でした。ダンス部は高校からです。

―明訓高校ダンス部で思い出に残っていることは?

作品づくりのため、みんなでよく意見を出し合い、振付を考えたりしていたのですが、顧問の佐藤菜美先生(現・新潟青陵大学准教授)がかけてくれる何気ない言葉によってどんどん良くなっていくんです。先生の感性にいつも刺激を受けていました。

―素敵な先生との出会いもあったんですね。そして卒業後、筑波大学体育専門学群に進学されます。

ダンスを続けられる大学に入りたいと思い選択しました。実は高校ダンス部顧問の母校なんです。憧れの先生が通った景色を見たかったという思いも ありました。

ある振付家との出会い もらった言葉に覚悟を決めた

―大学ではどんな学生生活を送っていたのでしょうか。

体育専門学群は体育の先生やプロのスポーツ選手になりたい人が集まっていました。そんな人たちと一緒にサッカーや柔道の授業を受けるので、毎回、体が壊れそうでした(笑)。私は大学でもダンス部に所属し創作活動に力を注いでいました。
3年からは振付家としても活躍されている平山素子先生の研究室に入り、ダンサーが体のコンディションを整えるためのメソッドなどの研究をしていました。

―卒業後はどのように考えていたのでしょうか?

当時はダンスを続けたい気持ちは強かったものの、ダンサーとして生活していくことと、ダンスを続けることは切り離してとらえていました。そのため、漠然と将来は研究者か教員かなと思い、大学院へ進みました。

―では、その後、ダンサーとしてやっていこうと思えるような転機があったのでしょうか?

その頃からオーディションを受けたりする中で刺激的なダンサーや振付家の方々と出会い、作品にも出演させてもらうようになっていました。そんな中、2018年に振付家・黒田育世さんの作品『ラストパイ』(初演2005「Triple Bill」)に出演させてもらいました。ちょうど「そろそろダンスもひと区切りしないといけないな」と悩んでいた時期でした。公演終了後、黒田さんにその気持ちを打ち明けたところ、「何言ってるの、踊りなさい」と。そのひと言で「ああ、踊りたいという気持ちを肯定していいんだ」と思えたんです。今振り返るとあの言葉が転機だった気がします。

中学時代、度肝を抜かれた憧れのNoismに入ることに

―Noismへはどのようなきっかけで入ることになったのでしょうか?

中学生の時、Noism2の『火の鳥』を観ました。人生初のコンテンポラリーダンスでした。自分がふだん練習しているダンスとは明らかに違うことに驚いて「人を持ち上げる動作が軽やかすぎて無重力かと思った」「肉体を突き詰めるとこうなるんだ」など感想を書きまくるほど感動。それ以降、何度も観に行きました。
2019年に開催されたコンクール「ワールドダンスコンペティションinニイガタ」に応募したのも、審査員の一人にNoismの芸術総監督・金森穣さんの名前があったからです。そこでNoism賞をいただきました。その直後からコロナ禍になってしまったので東京から実家に戻ったのですが、そのタイミングでオーディションを受け、Noism1に準メンバーとして加えていただくことになりました。それが2020年9月です。翌年、正式メンバーになりました。

―憧れのダンス・カンパニーの一員となり、当初はどんなお気持ちでしたか?

最初は自分がどこまでNoismで通用するか不安でした。ただ、それ以上に今のNoismを創っていく一人として頑張ろうという気持ちは強かったです。

―Noismに入って今年で5年目。いかがですか?

朝から晩まで1日中、稽古ができて充実しています。Noismには「Noismメソッド」という独自のトレーニングがあり、共通言語が備わっています。メンバー全員がこの共通言語による体の動かし方、舞踊の世界観を持ちあわせているからこそ、集団でより精度の高い、研ぎ澄まされた作品を創り上げることができる。それがまさにNoismの真の魅力。私がこのカンパニーに惹かれるところでもあります。

―Noism芸術総監督、金森さんから学んでいることは?

舞踊は自分たちの存在意義や、舞台芸術の意義を強く発信し続けないとすぐに消えてしまうほど日本では根づきにくい芸術文化。にもかかわらず、穣さんは日本で唯一、劇場専属の舞踊団を20年も続けている。そのエネルギーと志の強さを本当に尊敬しています。この5年間で穣さんから学んだことは、世界に目を向けて高い志を持つということ。舞踊家として「自分はここに在る」という意志を体で示していこうと思っています。

―3月8日、9日、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館で「Noism2 定期公演vol.16」の公演では樋浦さんが振付を担当する演目『とぎれとぎれに』が上演されます。これが振付家としてのデビューになるそうですね。

そうなんです。振付は舞踊家とは違ったチャンネルだと実感しているところです。Noism2(研修生カンパニー)は、情熱の塊みたいなメンバーなので楽しい。何より自分のイメージしていたことが稽古を重ねるたびに目の前に現れ始めるのはワクワクしました。舞踊ってかたちには残らないものです。Noism2のメンバーと共有する一瞬一瞬を味わいながら作り上げた新作が、観ていただくお客様の体に何かが刻まれる体験につながったら嬉しいです。

研修生の定期公演で振付家デビュー

―お話をうかがっていると心底Noismが好きで、ダンスが好きなことが伝わってきます。そんな樋浦さんにとってダンスの真の魅力とは?

自分ではないものになれること。でも、芸術として磨き上げていくには自分と向き合い続けなければいけない。その両面を意識して稽古すると今度は自分が知らない自分に出会えたりする。そんなところが魅力なんだと思います。とはいえ、まだまだ未熟なので、Noismで舞踊を磨いて極めたい。振付に関してもどんな表現ができるか突き詰めていきたいです。

―では最後に舞踊家として大切にしていることを教えてください。

稽古も本番も関係なく、その一瞬一瞬をしっかり味わうことです。絶対、その瞬間は戻ってこないので。苦しいこともたくさんあるし、自分の欠点や弱みと向き合い続けなければいけない仕事ですが、舞台上で出会える景色は本当に格別なんです。その一瞬のご褒美のためにまだまだ頑張って磨き続けたいと考えています。

Question&Answer

Q.どんな子どもでしたか?

兄妹と一緒によく外で遊んでいました。元気いっぱいな子どもだったと思います。

Q.今、ハマっているものは?

ラグビー観戦です。一昨年、フランスで開催された「ラグビーワールドカップ2023」を観てハマりました。全力でタックルするのに相手にケガをさせないし、自分もケガしない。独自の体術、戦術、ノーサイドの精神が魅力です。

Q.好きな小説や映画は?

星野道夫さんの『旅をする木』が好きです。アラスカの雄大な自然に出会った時の体の感覚、時間の流れ方、命に対する考え方などが味わい深い文章で綴られていて、読むたびに発見があります。

Q.リラックスするのはどんな時?

お蕎麦が好きでよく食べに行くのですが、最後にそば湯を飲むとすごく落ち着きます。至福のひとときです。

Q.新潟で好きな場所は?

新潟市の海近くにある、たこ公園(正式名:関分記念公園)。子どもの頃からよく遊びに行っている場所です。夜行くと、展望台からキラキラ光り輝く新潟市内の夜景が楽しめます。

Q.自分が新潟県人だなと思うところは?

雪も雨も降っていなければ、天気は「晴れ」と見なす感覚でしょうか。Noismの関東や関西出身の仲間には「どう見ても曇りでしょう」と言われてしまうのですが(笑)。

〈Profile〉樋浦 瞳(ひうら あきら)

1995年、新潟市生まれ。五十嵐瑠美子・五十嵐生野にモダンダンスを師事。新潟明訓高校
ダンス部で活動後、筑波大学体育専門学群にて平山素子に師事。卒業後、天使館にて笠井叡に師事。これまでに池田扶美代、梅田宏明、黒田育世、山田うん、島地保武、柿崎麻莉子らの振付作品に出演。2019年、「ワールドダンスコンペティション in ニイガタ」に出演し、Noism賞を受賞。20年9月よりNoism1準メンバー、21年9月よりNoism1に所属。これまでのNoism公演の出演作品に、『セレネ、あるいはマレビトの歌』(23)、『Floating Field』(23)、『セレネ、あるいは黄昏の歌』(24)、『Amomentof』(24)、『過ぎゆく時の中で』(24・再演)、『にんげんしかく』(24)などがある。