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本番に向け合唱団を指導し
音作りをするのが合唱指揮者

一般的に楽器奏者が一堂に会し、音を奏でるオーケストラや、歌を歌う合唱団を前に立ってタクトを振り、より魅力的な演奏にする人を指揮者と言う。中でもとりわけ国内外問わず活躍し、素晴らしい演奏を生み出す指揮者を、尊敬を込めてマエストロと呼んだりする。いずれにしても舞台上に立ってタクトを振る姿は華々しく、注目を集める存在である。

そうした指揮者、マエストロとは別に「合唱指揮者」と呼ばれる職業があるのをご存じだろうか。本番に向けて合唱団が稽古をする際、指導を行い、音作りをするのが合唱指揮者である。表舞台には立たないが、かなり重要な役割を担っている。というのも例えば、プロのオーケストラであれば、国内外の有名なマエストロがいきなり来てタクトを振っても、数回のリハーサルで音合わせをすれば、本番に臨むことができる。しかし、合唱団はそうはいかない。なぜなら「声」という生身の人間が出す音が“楽器”となるからだ。一人ひとりの声帯も声の出し方も異なるため、急に音取りをしても調整が難しい。そこで合唱指揮者の存在が必要になるわけだ。

「実際に合唱団と共に舞台に立つマエストロが、どういう音楽を作りたいかを考え、稽古場では団員それぞれが持つクセや魅力を引き出しながら、ほぼ完成に近い状態まで音を作るのが合唱指揮者の仕事です」と語るのは、合唱指揮者として多くの演奏会を支える平野桂子さん。

「私はオペラ公演の合唱指揮が主な仕事になります。オペラの場合、歌声と共に歌詞を届ける音楽なので母音の音色、響きを揃える必要があります。そのため、発音と発語について指導することも多いです。例えば、ドイツ後で語尾がerで終わるものがあるのですが、現代風なら『エル』、古語だと『アー』と発音します。本番をどちらで歌うかはマエストロの好み次第。事前にマエストロに確認できれば、それに合わせますし、できない場合はパターンを複数作っておき、マエストロが現場に現れた際、すぐチョイスできるように準備しておきます」

曲に向き合った時間が
音にも声にも出るのが面白い

合唱指揮者の仕事は合唱団の稽古だけではない。実はそれ以前に楽譜を読むところから始まっている。

「演奏曲が決まったら、合唱譜だけでなくすべての楽器が記された総譜(フルスコア)を分析し、自分なりに作曲家の考えや伝えたいことを読み解きます。楽譜に書かれたすべてのパートの音程やリズム、音の強弱なども考えてどんな演奏にするかある程度自分の展望や理想形を描いておきます。そのプランを稽古場で団員たちと共有し、意見を聞いて必要であれば修正したりしながらより良いものに仕上げていきます」と平野さん。

そして本番数日前に現れたマエストロの要望に合わせてさらに微調整していく。「私の一番の使命は、合唱団が作品の魅力を最大限に活かして演奏し、お客様に楽しんでいただくこと。そのためには合唱団員一人ひとりに心地良く歌っていただくことが大切です。マエストロからの要望が団員にとって負担が大きいと感じたら、マエストロと交渉し調整させていただくこともあります」

このように華やかに活躍するマエストロとは対照的に合唱指揮者は裏方的な仕事が多いが、平野さんはとても魅力的な仕事でやりがいを感じていると言う。「何と言っても生の声を扱うところが面白い。団員はみんな体格も性格も違う。そんな中、一つひとつの単語ごとにどう発語するか時間をかけ、『歌』という形でエネルギーを本番で出しきってもらう。それによって観客を感動させた時は本当にうれしいです。感慨深いものがあります」

オーボエの演奏上達のため、
指揮を学び、指揮者の道へ

小学5年生の時、自宅近くのジュニアオーケストラにスカウトされ、トロンボーンを吹いていたという平野さん。高校2年の時にはマーチングバンドに惹かれて吹奏楽部に入り、オーボエ担当に。複雑な仕組みのオーボエにたちまち惹かれ、高校卒業後は音大へ進学する。

「漠然と将来は音楽で、できればオーボエで仕事ができたらと考えていました」と語るが大学2年で同じ大学の附属指揮研究所に入る。「当時はあくまでオーボエのためでした。指揮者の考えていることがわかるようになれば、もっとオーボエの演奏も上達するかなと思って」

ところが、スコアを読んだり分析したりしているうちにそちらが圧倒的に楽しくなってしまった。その後、同級生に誘われて、アマチュアオペラに合唱指揮者として参加するようになり、はからずも指揮者の道へと引き寄せられていく。「卒業後はしばらくオーボエ奏者と合唱指揮者の両方の活動をしましたが、次第にオペラの現場に合唱指揮者として呼ばれるようになり、それが本職となっていきました。研究所では交響曲を中心に指揮法などを学ぶことが多かったので、オペラの指揮はどちらかと言えば、現場の実践で多くを学んでいった感じです」

ホームステイでイタリア語を、
ドイツ留学でドイツ語を習得

オペラは言葉を伝える音楽であり、発語次第で音が全く変わってしまう。そのため、平野さんが合唱指揮をするようになって力を入れたのは語学の修得だ。

「最初は自費でイタリアへ行きました。学校へは行かず、ホームステイを1カ月間。イタリア語を日常生活で喋りまくることで習得しました」。それが驚いたことに帰国後「イタリア語が話せる指揮者がいる」と評判になり、瞬く間に仕事の幅が広がったそう。
「日本ではイタリアオペラの上演が多いので、仕事も順調だったのですが、実はドイツオペラも言葉の響きが美しくて好きなんです。それで2年半、ドイツへ留学しました。有名な指揮者の先生に師事したり、発語だけの授業を受けたりしていました」

その後も、オーストリアやチェコ、フランスにも留学している。それほどまでに様々な国の言語を習得しながらもなお、平野さんは担当するオペラが決まるたびに、その曲で使われる言語を学び、一語一語の発音や発語を都度研究している。「もともと楽器の構造が複雑なオーボエが好きだった理由でもあるのですが、ちょっと複雑なものを操ったり、研究するのが根っから好きなんですよね。オペラは歌って演じるという特性を持つ音楽ですから、複雑な和音で書かれていることが多いんです。時間をかけてそれらを読み解くのがすごく楽しいんです」

新国立劇場合唱団の指導を手掛けるようになったのは今年2月。「団員の皆さんはオペラ好きで、通常の合唱と音色が全然違います。声と音づくりに執着してくださる方が多いですね。『こんな音色にしたい』というとどうすればいいかを一緒に考えてくれます。11月10日(日)の長岡リリックホールでの公演に出演しますので、彩り豊かな合唱を心ゆくまで楽しんでいただけたらと思っています」

ちなみに合唱指揮者は本番では、客席後方のガラス張りの部屋から赤いペンライトを合唱団に向けて振っていることが多いそうだ。「マエストロの指揮が見えない位置で歌う団員にテンポを伝えるためです。客席から振り向いていただくと、ガラスのブース内で赤い蛍みたいな光が見えるかもしれませんよ」

プロフィール

合唱指揮者
平野 桂子(ひらの けいこ)

洗足学園音楽大学器楽科卒業。同附属指揮研究所修了。指揮を秋山和慶・増井信貴・川本統脩・Prof. Maksimilijan Cencic(元ウィーン国立歌劇場指揮者)各氏、ドイツ語発音法をWalter Moore氏に師事。長きにわたりオペラのアシスタント指揮として各地プロジェクトに参加。その後、渡欧。Prayner Konservatorium Wienにて優秀者演奏会に選抜、飛び級、ディプロムを最高位取得。渡欧中イタリア・ブッセートにてオペラ「アイーダ」のアシスタント指揮としてスカラ座合唱団を率いる。またウィーン現地にて日本オーストリア友好150周年事業に参加。日本オペラ振興会にて2022年に新作オペラ「咲く」を指揮。文京区民オペラでは2018年より「愛の妙薬」「椿姫」「カルメン」「ラ・ボエーム」公演指揮。2024年新国立劇場の合唱指揮でのデビューを果たす。