文化の丁字路~西と東が出会う新潟~
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カテゴリ
史跡・建築物(史跡・遺跡)
エリア
佐渡市
承久の変(1221)で鎌倉幕府の転覆に失敗し、24歳の若さで配流、在島22年。ついに帰京の願いはかなわず、46歳の時に絶食して果てたと伝えられている。順徳上皇を火葬した真野御陵(まのごりょう)や上皇の仮宮だった黒木御所跡などの...
史跡・建築物(史跡・遺跡) 生活文化(民話・伝承)
日蓮上人が赦免された文永11年(1274)の3月、佐渡を去るべく真浦で最後の夢をむすんだ。翌朝、朝日に向かって合掌すると、海上の波間に「南無妙法蓮華経」の七文字が浮かび現れ、これを「波題目」として流布される霊園。一説では、国...
史跡・建築物(神社・仏閣)
佐渡に着いた日蓮上人が3日3夜過ごした草庵の跡といわれ、近くに伝説の遺跡「おけやき」がある。出典:『佐渡百選』提供元:佐渡市観光課および佐渡観光協会
配流となった日蓮上人が、在島の大部分を過ごした寺。有名な「観心本尊抄」や「十界曼荼羅」を著し、教義を確立した霊跡である。出典:『佐渡百選』提供元:佐渡市観光課および佐渡観光協会
日蓮上人が他宗の僧と「塚原門答」を戦わせ、「開目抄」を著わした三昧堂の地に、慶長12年(1607)、金山の山師・備前遊白が祖師堂を建立したことに始まり、山師・味方但馬が大寄進して出来た寺。出典:『佐渡百選』提供元:佐渡市観光...
思想・政治(思想・信仰)
「立正安国論」が鎌倉幕府の怒りに触れ、文永8年(1271)に配流。在島2年5ケ月で赦免、鎌倉に帰京。塚原の三昧堂(根本寺)で「開目抄」を著して自らの立場を明らかにし、一谷入道邸(妙照寺)に移されてからは「観心本尊抄」を著して...
史跡・建築物(神社・仏閣) 芸術・芸能(工芸)
永仁3年(1295)の銘をもつ、高さ83cmの銅鐘(国重文)。鎌倉時代末期、国主北条宣時の武運を祈り、羽黒神社に奉納され、後に神宮寺に寄進された。出典:『佐渡百選』提供元:佐渡市観光課および佐渡観光協会
長安寺には、若狭(福井県)の海中から拾い上げられたものが寄進されたと伝わる、通称「朝鮮鐘」(国重文)がある。朝鮮鐘は口径60cm、厚さ16cm、龍頭1個、周...
史跡・建築物(史跡・遺跡) 自然・環境(動植物)
新穂地区で村殿と呼ばれていた小領主が分立、この地方の豪族の邸宅として作られたと思われる「青木城跡...
南佐渡細大の河港とこの地域一円を支配した、名族羽茂本間氏を城主とする「羽茂城」の跡。天険をうまく利用して区画した城構えを感じさせる。上杉景勝の佐渡攻撃の時落城した戦国時代末期の山城で、数百年前の羽茂地区の歴史跡が残る...