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カテゴリ2 栄凉寺

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    史跡・建築物(神社・仏閣)     

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    長岡市  

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この栄凉寺には、長岡藩軍事総督として北越戊辰戦争の指揮をとった河井継之助をはじめ、12代藩主牧野忠訓や北越戊辰戦争後、廃墟となった長岡の復興に尽力した、三島億二郎らの墓があります。

-栄凉寺墓地内知名士の墓-
光輝山栄凉寺は、長岡藩主牧野氏の菩提寺。牧野氏が三河国牛久保(愛知県豊川市)城主時代に創建。牧野氏の移封に伴って、上州大胡(群馬県大胡町)を経て、現在地に移った。境内の墓地には、長岡藩出身者の知名士の墓が多い。戊辰戦争時の12代藩主牧野忠訓公。13代藩主牧野忠毅公。初代長岡市長牧野忠篤子爵。長岡藩軍事総督河井 継之助(かわいつぎのすけ)。復興の恩人三島億二郎。長岡藩儒伊藤東岸・東嶽両先生など。

・伊藤東岸(トウガン) (1781~1864)
古義学(コギガク)派の儒者。伊藤仁斎(ジンサイ)の曾孫。忠精が京都所司代を務めた縁で京都から招かれ、崇徳館の校長となった。それ以来、藩学の中心は朱子学(シュシガク)から古義学に移った。
・伊藤東嶽(トウガク) (1820~1869)
儒学者で東岸の養子。京都に遊学し、帰ると藩主忠恭の侍読(ジドク)(教育者)となり、崇徳館の校長を務めた。戊辰戦争の際は藩主が米沢で 降伏するまで付き従った。

出典:
『長岡市ホームページ』
提供元:長岡市大手通分室観光課

画像提供元:
長岡市大手通分室観光課

住所

長岡市東神田3丁目5-6

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  • 投稿者: 新潟文化物語管理者  
  • 掲載日時: 2015年04月13日 21時43分

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