直江兼続

1560-1620.幼い頃から景勝の近習として仕え、謙信の父の代から内政を仕切っていた直江信綱が亡くなると直江家を相続。一時与板城(長岡市)城主となる。豊臣秀吉に気に入られ、景勝の会津転封の際には別個に米沢30万石を預かる大名に取り立てられた。同輩の石田三成と親しく、これが上杉家と家康との対立を招いたと見る人も少なくない。上杉家が米沢30万石に減封になった際には米沢城下の礎を築いた。