書家や学者

江戸で活躍した儒者亀田鵬斎(かめだぼうさい)や旧巻町出身の書家巻菱湖(まきりょうこ)などと交流があった。長岡市の醤油醸造元に5枚の看板が残されている。親交のあった良寛に2枚書いてもらい、それを見た亀田鵬斎が「もったいなからしまっておけ」と筆を執って新しい看板を書き、それを見た巻菱湖が同じように筆を執り、さらにそれを見た栃尾市出身の書家富川(とみかわ)大塊(たいかい)が筆を執り、あっという間に5枚になったという。

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