西笑承兌
臨済宗の僧で豊臣秀吉の政治顧問として活躍。荒廃していた相国寺を再建したため相国寺承兌とも呼ばれる。後に徳川家康が会津征伐を決めたきっかけともいわれる「直江状」は、承兌に宛てて直江兼続が書いたもの。承兌は家康の意を受けて上杉家に上洛を促す手紙を書くなど、外交交渉の先端に立っていた。
臨済宗の僧で豊臣秀吉の政治顧問として活躍。荒廃していた相国寺を再建したため相国寺承兌とも呼ばれる。後に徳川家康が会津征伐を決めたきっかけともいわれる「直江状」は、承兌に宛てて直江兼続が書いたもの。承兌は家康の意を受けて上杉家に上洛を促す手紙を書くなど、外交交渉の先端に立っていた。