今からおよそ135年前に遡る幕末のこと。越後長岡藩7万4千石を率いて、薩摩や長州といった雄藩と互角の戦いを繰り広げた、河井 継之助(かわいつぎのすけ)。彼の生きざまや政治的手腕に惹かれて、日本全国から多くの人々が長岡の地を訪れます。長岡城奪還のため奇襲をかけた「八丁沖古戦場パーク」や、数々の継之助の遺品や司馬遼太郎の『峠』の原稿も展示される「長岡市郷土史料館」、また松平容保公に会津で弔われた後、ようやく長岡に帰った継之助が眠る「栄凉寺」など…。
中でも、継之助の屋敷跡は、120石取りの藩士の身から軍事総督まで上り詰めた生い立ちと彼の思想の成り立ちを物語るうえで、重要な史跡。そこで今回、現在この屋敷跡に居住されるご家族のご好意を得て、隣接地に史跡広場が造成されたのです。
広場からは、継之助が生活していた当時の面影が残る、裏庭を見学することができます。小林虎三郎や三島億二郎の住まいも、また、継之助が後に致命傷となった銃弾を左足に受けたのもこの周辺です。
出典:
『長岡市ホームページ』
提供元:長岡市大手通分室観光課
画像提供元:
長岡市大手通分室観光課