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file-117 姿を変え、今へ受け継ぐ角兵衛獅子(後編)

  

平成の角兵衛獅子


 しま模様のモンペに筒袖の着物、黒足袋に身を包み、頭には小さな獅子頭をのせて舞う子どもたち。可憐な姿と巧みな技で、江戸時代に大道芸として各地でもてはやされた角兵衛獅子ですが、明治時代に入ると、義務教育制度や子どもの労働禁止など、時代の流れに伴い、大道芸としては衰退していきました。しかし、その芸は歌舞伎や郷土芸能として、姿を変えながらも受け継がれていたのです。

獅子の伝統を今に

父から受け継ぐ芸

製作 松竹株式会社

平成29年(2017)1月、歌舞伎座で「越後獅子」を踊る中村鷹之資さん/製作 松竹株式会社

 平成29年(2017)1月、特別な思いで「越後獅子」を踊った歌舞伎役者がいます。中村鷹之資(たかのすけ)さん、18歳。父は人間国宝の五世中村富十郎、その七回忌追善狂言としてこの演目を選び、歌舞伎座の舞台に立ちました。
「かつて父もこの役を演じましたが、僕は直接見たことがないので、映像を見て想像しながら役作りをしました。越後獅子というと、クライマックスの布さらしが見せ場と思われがちですが、本当は、軽快な踊り、しみじみとした踊り、楽しい手踊り、一本歯の下駄での足拍子、布さらしと、コロコロと変わっていく踊りを踊り分けるところが見せ場です。技術と表現力と体力が必要なので、大先輩でも難しいというくらい奥深い演目なんですよ」と、鷹之資さん。中でも表現が難しいのは、恋しい人を想って踊る、哀愁漂う「浜歌」の部分。また、裾を絞った、たっつけ袴を着けて足が見える状態で踊るので、「足を美しく見せるために力が入るので、公演の1か月間は足がパンパンに張っていました」と言うように、身体面での難しさも。
 今回の演出は宗家藤間流。鷹之資さんのために、布さらしの場面に新しい工夫が仕掛けられました。「藤間勘十郎先生が、若さを活かして大舞台で映えるような踊りをと考えてくださり、普通は16尺(480cm)のさらしを18尺(540cm)にして、ダイナミックな表現に挑戦しました。さらしがふわーっと浮かび、越後の川で布をさらしている光景に見えるよう、頑張って腕を振りました。最後の場面での長い布さばきは、体力的にも大変でした」
 同じ「越後獅子」でも、市山流、坂東流、そして宗家藤間流では、振りが異なるところもあり、また、踊り手によって表現の仕方が変わることもあるのだそうです。
「江戸時代に作られた『越後獅子』もそうですが、古典こそが歌舞伎の真髄だと僕は考えています。だから、こうした演目の持つ美しさや魅力を、僕と同じ若い世代の人に伝えていきたいです」
 この演目のため、道具や衣装は新たに作りましたが、「中の着物は父のもの、獅子頭は三津五郎のおじさん(十代目坂東三津五郎)のもの。言葉は交わせなくても、伝わるものがあります。伝統はこういうところでもつながっていくのではないかと思っています」
 江戸時代に生まれた「越後獅子」は、確かに鷹之資さんに受け継がれていました。

 

再び躍動する角兵衛獅子

 新潟市南区にある旧月潟駅の傍らに、角兵衛地蔵尊というお堂があります。かつて角兵衛獅子の一座が技芸上達と旅巡業中の安全を祈願して、守護尊として敬っていた地蔵尊です。祭礼の6月24日には、全員が巡業先から月潟村に戻り、舞を奉納していたのです。角兵衛獅子の衰退とともにその行事も明治半ばに絶えてしまいました。しかし、昭和11年(1936)、角兵衛獅子の公演が復活します。伝統ある郷土芸能が滅んでしまったことを惜しむ人々が角兵衛獅子保存会を立ち上げて、公演にこぎつけたのです。ただし、この時演じたのは、料亭の芸妓たち。子どもが舞う、発祥した時の形が叶うには、さらに20余年が必要でした。
 昭和34年(1959)、保存会の呼びかけに応え、当時の月潟小学校の児童13名が稽古に参加。角兵衛獅子の舞や口上については経験者の記憶や伝承、資料を集め、演目の再構築を行い、新しい角兵衛獅子がスタートしました。

 

土田さん

「一から始めて、4、5年ほど練習すると、一通りの型が演じられるようになります」/土田さん

「いったん途絶えてから時間が経ってしまったので、完全な復刻というより、当時の保存会のメンバーが考えて作り上げたものと言ったほうがいいかもしれません。今の活動は、ここからの継承です」と、保存会の土田佳世子さん。保存会の立ち上げから深くかかわった母を通して活動を知り、今は自身と娘さんたちとで子どもたちのバックアップを行っています。
 衣装の手配も保存会が行います。紬(つむぎ)の着物と木綿のもんぺは、布を織ってもらうところからすべてが特注。「化学繊維は滑るので、自然素材を使うんですよ。貴重なものなので、子どもたちには代々受け継いで大切に着てもらっています」

 

獅子たちの練習

練習では、子どもたちは型を一つずつ確認してから、お囃子に合わせ約30分の舞の通し稽古を行う。

 毎週土曜の夜、小学生から高校生までの約15名のメンバーが集まり、約2時間30分、型や技などを練習しています。「学校行事や部活動と両立しながら、小学生から高校生になるまで、ほとんどの子どもが長く続けますよ。組んで踊ることが多いので、お互いに助けあうことを学ぶからかもしれません」と、土田さん。

 

太鼓

太鼓は右手だけでなく左手も使いながら演奏するので、難しいですね」/登石さん

笛

以前はCDに合わせて舞っていたが、平成27年から生の囃子方がスタート、笛は3名の大人が練習中。

 この活動は、平成25年(2013)には新潟市無形民俗文化財に指定され、その後、平成27年(2015)には、区の支援を受けて、太鼓と小太鼓、笛の囃子方も復活。演奏者として大人も参加するようになりました。「子どもたち自身が、角兵衛獅子が月潟の伝統であること、それを後世に伝えていく役割を担っていると自覚しているので、私たちもできることはしていきたいですね」と、太鼓を担当する登石亙(といしわたる)さん。「大人も頑張らないと」と笑います。
 子どもたちとその活動を支える保護者、踊りを伝承し教えてくれる先生、囃子方など、地域の人々に支えられて、現代の角兵衛獅子たちは、年2回、地域のイベントである月潟まつりと月潟大道芸フェスティバルで踊りを披露しています。

 

 江戸時代に一世を風靡した角兵衛獅子。神社仏閣の境内や町角から、様々な舞台へと演技の場所を移し、その踊りは今も受け継がれ、披露されています。若い伝承者たちの躍動感あふれる獅子踊りをその目で確かめてみませんか。

 

■ 取材協力
中村鷹之資丈/歌舞伎役者
土田佳世子さん/角兵衛獅子保存会
登石亙さん/角兵衛獅子保存会

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