
file-125 新大鉄研と訪ねる、にいがた・駅弁の世界(前編)
新潟の駅弁誕生から120余年
新潟県における駅弁の誕生は明治30年(1897)までさかのぼります。北越鉄道の沼垂(新潟市)、一ノ木戸(三条市)間開通と同時に、神尾商店(現・株式会社神尾商事)が新潟県内駅弁事業者第一号となりました。それから120年余り。時代と地域の食文化を反映してきた新潟の駅弁の歴史を、新潟大学鉄道研究部(鉄研)のメンバーとたどります。
ルーツを探りに、新津駅に乗り入れだ!


神尾商事社屋の120年は波瀾万丈。大正14年(1925)の新津大火により木造社屋が焼失、昭和3年(1928)にコンクリート造のハイカラな社屋を新築するが、第2次世界大戦中の昭和20年(1945)に強制疎開命令に接した(立派な建物が空襲の標的になった)ことから取り壊す。皮肉にも終戦のわずか半年前だった。
大正2年(1913)、蒲原平野の大洪水で列車が不通になった際は炊き出しで協力。大量の食材と物流を持っている駅弁業者は災害時に頼られるようになり、阪神淡路大震災や東日本大震災などの被災地にも弁当を出してきました。日本が戦争をしていた昭和14年(1939)〜20年(1945)は、兵隊や軍の物資を運ぶことが鉄道の大きな役割になります。そのため同社も「軍弁」なる駅弁を作っていました。


「軍弁」の包装紙。「国民精神総動員」「銃後の護」などのスローガンが記されている。


新大祭での鉄研ブース。
(小林) はい、神尾さんから「えんがわ押し寿司」を仕入れて販売させていただきました。法被(はっぴ)や立ち売り用のおかもちも貸していただきありがとうございました!
(大熊) 昔は竹で作った容器がありましたが、どうして今はないのですか?(『神尾弁当部 創業百年』を見ながら)

左から、小林さん、神尾さん、大熊さん、亘さん
小林さん:初めての列車旅で、とある幕の内弁当を食べた時の美味しさや食材の綺麗な並びが今でも忘れられません。
(亘) 昔と今で、駅弁が変わったことはありますか?
(神尾) 初期は幕の内系のシンプルな駅弁が多かったのですが、今では見た目も味も昔では考えられないくらい変わっています。フレンチ系の駅弁まで出てきて支持されています。

神尾商事の最新作「新潟美人 小町ちらし」。新潟の女性や企業による「新潟からキレイを発信する」ための新潟美人プロジェクトがプロデュースしたヘルシーな駅弁。

その昔、駅弁のお供は陶器に入ったお茶だった。
1980年代に全国の百貨店では「駅弁大会」がブームとなりました。駅弁業界の閑散期である10〜3月頃、神尾さんは社員と一緒に実演販売の出稼ぎに行きました。高島屋や西武・そごうなど、本店だけでなく全国の支店から呼ばれましたが、今のように物流が整っておらず材料は貨物列車に乗せて送りました。「どこに行ってもすごく売れました。百貨店は人集めになったので、私たちは出展者でありながらお客様のような待遇を受けました。1週間で次の場所へ移動の繰り返しで、新潟に3ヶ月帰れないこともありました」
そんな駅弁の勢いにかげりが見えてきます。平成16年(2004)10月に発生した新潟県中越地震で上越新幹線が長期運休。観光客が激減して新潟の駅弁業界は大きなダメージを受けました。その後もコンビニやスーパーの弁当との競合などにより、全国的にも駅弁業者の廃業が進むというきびしい局面を迎えています。
旅の楽しさや思い出作りを演出するもの。これからも「こんな駅弁があるの!?」と驚くような、駅弁らしからぬ駅弁や、「これぞ神尾の駅弁」と言われるものを作っていきたいですね。
JR新潟駅で“駅弁の今”を知る!

駅弁屋 新潟の前で、神田さんと小林さん。

新潟県内には駅弁業者が7社あり、駅弁屋 新潟にはそのうちの6社、約50種類が置いてある。少ない日で4〜500本、お盆や正月の帰省ラッシュでは1000本を超える駅弁が出る。購入者の割合は県外8、県内2。

「えび千両ちらし」/株式会社新発田三新軒

「村上牛しぐれ弁当」/株式会社新潟三新軒
肉のうまみが引き立つシンプルな味付け、甘味のあるコシヒカリ、こだわりの箸休めが相まった逸品。

(一社)日本鉄道構内営業中央会会員の駅弁にはこのマークが使われている。「駅弁」の文字が勘亭流なのは幕の内弁当が歌舞伎に由来するため。「弁」の文字が4と十の組み合わせで「当」も「10」であることから4月10日が「駅弁の日」となっている。
しかし、駅弁の販売数は下降線をたどっています。安い値段ではないし、エキナカが活性化してお店が出店するほどライバルが増えてしまうのです。他にも“列車の高速化”が影響していて、新潟—東京間が2時間となった今は、車内でゆっくり駅弁を食べる人も少なくなりました。「駅弁文化が薄れてきています。駅弁を購入するのは年配者が中心なので、鉄研のような若い人が増えてくれるとうれしいですね」と神田さんは言います。

鉄研でもファンが多い「えんがわ押し寿司」。いかに生臭さを取るか、厚みのあるえんがわを仕入れるか、シンプル過ぎないかなど、あれこれ考え込んで開発に3年かかった。平成28年(2016)伊勢志摩サミットを記念して開催された「駅弁サミット」では全国から選ばれた11の駅弁の一つに入る。
(神田) そんな方に裏技です。予約をすれば、食べたい駅弁を取り置きしておけます。予約時に席番を伝えてくれたら、車内販売からも受け取れますよ。前日のお昼まで連絡いただければ対応できます。1か月前から頼んで、楽しみにしていたお客様もいます。

「いくらたらこめし」/合資会社川岳軒
おいしい魚沼産コシヒカリで、おいしいおかずを食べたい!単純明快なリクエストに応えた大ヒット駅弁。
(神田) そうですね、食材が豊富な新潟県は北海道に次いで駅弁業者が多い。購入者が新潟の駅弁に期待するのは、やはりお米です。「ご飯がおいしい」との言葉をよく頂戴します。

「焼漬鮭ほぐし弁当」/株式会社三新軒
昔ながらの製法をしっかり守る焼漬鮭。「少し空気に当てた方がおいしく感じる」と何百本も食べてきた遠藤龍司社長の好みから開発。

「くびきの押し寿司」/有限会社あやめフード
昔は農作業のおやつ(方言で「こびり」)だった。このソウルフードを次代に残そうと、お母さんたちが愛情を込めて手作りしている。
私も旅が好きです。その土地で食べたい駅弁をリサーチして、その土地の景色を見ながら食べると「旅をしているなぁ」と思います。駅弁にはすべての会社様の思いがこもっている。矛盾していますが、特別な存在でありつつも、もっと身近に感じていただきたいです。
■ 取材協力
小林万純さん、大熊康介さん、亘秀明さん/新潟大学鉄道研究部
神尾雅人さん/神尾商事株式会社 神尾弁当部 代表取締役
神田浩一さん/株式会社日本レストランエンタプライズ 列車サービス本部 新潟列車営業支店 次長
株式会社新潟三新軒
株式会社三新軒
合資会社川岳軒
有限会社あやめフード