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file-159 北前船の寄港地・寺泊と出雲崎今昔物語 (後編)

  

金銀が北前船を呼んだ/出雲崎


 江戸幕府の財政を支える佐渡で産出された金銀の唯一の荷揚げ港だった出雲崎。交通や流通、経済、政治の中心地としての強みを発揮し、北前船の寄港地としても大いに繁栄しました。

天領×宿場町×湊町、多くの顔を持つ出雲崎

北前船寄港地としての機能はできていた

出雲崎寄港地の町家

有力な商家だった町屋を活用して作られた、北前船の情報発信拠点「出雲崎寄港地の町家」。町屋の雰囲気を体感しながら、北前船の貴重な資料を見ることができる。

磯部さん

「出雲崎寄港地の町家」などでボランティアガイドとしても活躍する磯部さん。「出雲崎は海の町です。昭和の時代までは造船所も3つありました」

 出雲崎は、元和2年(1616)に佐渡で産出される金銀の荷揚げ港として幕府直轄の天領となり、越後で初めて代官所が置かれた町でした。金銀や年貢米の流通、奉行や役人、商人たちの行き来により、湊(みなと)も街道も整備され、出雲崎は栄えました。そして、江戸時代の後半には北前船の寄港地としての顔も加わったことで、繁栄は続きました。
 令和3年(2021)5月にオープンした「出雲崎寄港地の町家」は、実際の町屋を活用した、湊町の雰囲気を体感できる施設です。出雲崎町文化財調査審議会委員を務め、郷土史に詳しい磯部友記雄さんに出雲崎の繁栄の理由を伺いました。「佐渡との距離は最短ではないのですが、出雲崎沖は潮の流れが緩やかで、港は岩礁のある入り江。船を停泊させるのに適していました。町には多くの廻船(かいせん)問屋や宿屋、遊郭もあり、様々な業種の人々が集まっていて湊町の機能は十分そろっていました。北前船が寄港するための基礎はできていたということです」
 当時の出雲崎には、敦賀屋、熊木屋、泊屋をはじめとする有力な廻船問屋が多く存在し、手広く商いを営んでいました。積荷で最も多かったのは米ですが、酒も人気の品でした。廻船問屋が地域の農家に酒米を作らせて酒を醸造し、売り出していたようです。物資運送だけを行うのではなく、商品の開発にも取り組んだ出雲崎の廻船問屋。その商才もまた繁栄の一助になったのかもしれません。

 

2万人が暮らしていた妻入りの街並み

街並み

北国街道沿いに、妻入りの町屋が約4㎞にわたって連なる出雲崎。全国でも稀有(けう)な風情あふれる街並みは多くの観光客をひきつける。

金銀小路

港と北国街道をつなぐ金銀御用小路。船から馬に移し替えられた佐渡の金銀は、御用の札を掲げてここから江戸へ運ばれて行った。

 それほどに栄えた出雲崎ですが、人々が暮らすことができたのは、山地と日本海に挟まれたわずかな平場だけでした。そこで、多くの人が居住できるように、また、建物の幅に応じて課税されていたことから(節税のために)、間口は2間(約3.6m)ほどで奥行きの長い、いわゆる「ウナギの寝所」のような町屋が軒を連ねました。その結果、道に面して屋根が「八」の字のように見える妻入りの家屋が約4㎞にわたって続く、独特の街並みが生まれたのです。北前船が往来していた時代には2万人が暮らし、人口密度は越後一とも言われていました。地域の人たちの努力により、令和の今も、その街並みは面影をとどめています。「良寛と夕日の丘公園」など高台に立つと、北国街道の両側にぎっしりと並ぶ、細長い家々の瓦屋根を見降ろすことができます。また、公卿小路、金銀御用小路などの地名や、廻船問屋「泊屋」の屋敷跡や荷揚げ場などが点在し、タイムスリップしたような気分にひたれます。

 

出雲崎の繁栄を今に伝える

絵馬

二艘の北前船が描かれた珍しい構図の船絵馬。船頭同士が寄港地の相場などの情報を交換しているような様子に当時の通信事情がうかがえる。光照寺に奉納された絵馬だが寺では現在非公開。レプリカが「出雲崎寄港地の町家」にて展示されている。

出雲崎寄港地の町家

北国街道沿いの観光交流施設「妻入会館」の隣、築100年以上の町家を改装した「出雲崎寄港地の町家」。土日・祝日に開館し、北前船の模型や廻船問屋に関する資料を数多く展示している。

 寺泊と同じように、出雲崎でも船絵馬が残されています。光照寺に奉納された中に、二艘(そう)の北前船を描いた船絵馬があります。「二艘を描いているだけでも珍しいのに、向かい合う二艘の荷の上に船頭が立ち、手旗信号のようなものを交わしている構図は本当に珍しいです。仲間の船と情報のやり取りをしているのではないでしょうか」と磯部さん。商品を売り買いしながら航海する北前船では、どの湊で何がいくらで取引されていたかという情報が生命線。無線のない時代の通信の方法がうかがい知れる貴重な船絵馬です。
 江戸時代に金銀の荷揚げ港として、また、北前船の寄港地として海運の拠点となった出雲崎は、江戸時代の人気作家・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の旅行記「越後道中記・金の草鞋(かねのわらじ)」にも「繁盛の湊」として登場します。一九の目にも、大きく帆を上げて西へ、また北へ向かう北前船の姿が映っていたことでしょう。
「人力」で立地のハンデを乗り越えて繁栄した寺泊と、「金銀」の荷揚げ港としての機能を活用して繁栄した出雲崎。わずか15kmの距離を隔てて存在するふたつの寄港地は、それぞれの地域の強みを発揮して北前船の寄港地としての華やかな時代を築いていました。その歴史に思いをはせ、湊町の風情を楽しみながら二つの町を歩いてみませんか。

 

船つなぎ石

「出雲崎寄港地の町家」には、北前船が係留するときに船をつないだ「船つなぎ石」も展示されている。北前船が往来していた当時は、湾内の岩礁に設置されていたという。

 

掲載日:2023/1/5

 

■ 取材協力
出雲崎町文化財調査審議会委員/磯部友記雄さん
出雲崎寄港地の町家(3月~11月土日祝日開館)問合せ:0258-78-2250(出雲崎町教育委員会 社会教育係)

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