file-74 にいがたの城下町(前編)

  

高田開府400年 高田城と城下町の変遷

時を超え 高田の歴史が花開く

 
春の高田城 三重櫓

美しい桜と三重櫓(さんじゅうやぐら)の共演。高田城は1870年(明治3年)に焼失し、1993年(平成5年)に絵図などを元に三重櫓が復元されました。三重櫓は高田地域のシンボルの一つとして愛されています。

 江戸時代、越後の都は新潟市ではなく、上越市高田地域にありました。高田地域に高田城と城下町が築かれ、都が置かれた「高田開府」から2014年で400年を迎えます。徳川家と豊臣家の最終決戦を前に、急ピッチで造られた高田城は徳川の天下統一を盤石にするための布石ともいわれています。高田城の歴史をひもとくと同時に、高田開府400年祭に向けた市民の情熱を伝えます。

越後の都で徳川の支配力象徴

 
花岡公貴さん

上越市立総合博物館学芸員の花岡公貴さん。1996年(平成8年)から上越市で学芸員を務め、市史編さんや小川未明文学館の立ち上げに携わりました。榊原家史料や江戸時代の武家社会と城下町の関係を研究しています。

 高田城建設にはどんな意味があったのでしょうか。築城の理由を明記した資料などは残っていませんが、築城前年の1613年(慶長18年)という年に大きなヒントがありそうです。それはまさに、天下のリーダーが豊臣家から徳川家に代わるタイミングでした。築城を命じたのは徳川家康。家康は、六男の松平忠輝(ただてる)が治める越後・高田に新城を築くことを決めました。高田は北陸道の出入り口にあたり、北国街道上の要衝でもありました。加賀の前田家を押さえ、また佐渡の金銀を輸送する北国街道を確保できるという意味でも重要な地域でした。上越市立総合博物館学芸員の花岡公貴さんは「高田に徳川の色をつけようとしたのでしょう」と推測します。高田城は徳川家の支配力を象徴する上で、重要な役目を果たしたと考えられているのです。

 工事には徳川の命を受けた陸奥国仙台の伊達家、加賀国金沢の前田家をはじめ、13もの有力な大名が従事しました。かつて豊臣方だった大名たちが高田城のために私財を投じ、徳川の味方であることを示したのです。この勢いは工期の短さにも表れています。姫路城や福島城の工期は7~10年だったのに対し、高田城は異例の4ヵ月。各藩から集まった技術者や労働者は計5~10万人ともいわれ、幕府の事業として行われた“天下普請”でした。60万石(一説では75万石)の高田城が完成したのは1614年(慶長19年)7月5日ごろ。大坂冬の陣の3ヵ月前のことでした。高田城は、豊臣家との決戦に臨もうとする家康が打った、最後の布石だったのかもしれません。

五郎八(いろは)姫の一途な思い

 高田城の初代城主となった松平忠輝。しかし、実際に暮らしたのは短い期間でした。忠輝は大坂夏の陣での遅参や、キリシタンへの接近などを理由に領地を没収され、築城の2年後には伊勢に配流されました。そのため、妻の五郎八姫は離縁を余儀なくされました。五郎八姫は伊達政宗の長女として生まれ、13歳で忠輝に嫁ぎました。幼い頃から和歌や書道、茶道をたしなみ、聡明で美しい女性だったと伝えられています。離縁した姫はまだ20代前半でしたが、父・政宗が縁談を持ち掛けてもかたくなに断ったそうです。また、姫の残した和歌や手紙には、離れた誰かへの想いがつづられていたとか。生涯独身を貫いた五郎八姫。一途に忠輝公を慕い続けていたのでしょうか。高田開府400年祭では、五郎八姫のお輿(こし)入れの儀を再現します。400年ぶりの“2人の再会”に、あなたも立ち会いませんか。

洋風建築と桜が美しい街へ

本町通りと高田館

本町通りと高田館(上越市立高田図書館所蔵『高陽余影』より)。雁木通りの中で高田館の洋風建築が際だっています。

昭和初年 観桜会ポスター

昭和初年の観桜会ポスター(上越市立高田図書館蔵)。色鮮やかなポスターには桜やぼんぼり、堀に浮かぶ屋形船などが見られ、楽しげな雰囲気が伝わってきます。

 忠輝が去った後、殿様は稲葉家、榊原家など7家代わりながらも、高田城下町は約260年にわたって、越後の都として役割を果たしました。しかし、廃藩置県をきっかけに地方政治の中心地としての地位を失いました。そこで、寂れつつあった町に活気を取り戻そうと、1905年(明治38年)に陸軍第13 師団の誘致に名乗りを挙げます。新潟・長野両県内の新井、小千谷、柏崎、新発田、長野、松本などと競争する中、鉄道、電気、通信といったインフラが整っていたことなどが利点となり、高田は13師団の誘致を成功させます。1908年(明治41年)、師団が高田に入城すると、団員により人口も増加。それを目当てに商店も増えました。街の景観にも変化が起きます。師団長が設計に関わった旧師団長官舎をはじめ、洋風建築が流行したのです。その後、小熊写真館、高田館、高田市役所など多くの洋風建築が誕生し、城下町を彩りました。

 また、1909年(明治42年)には在郷軍人団が師団の入城を記念して、2200本の桜を高田城跡に植樹しました。これが今も、高田を彩る美しい桜の始まりです。師団司令部は1917年(大正6年)から構内での一般見学を許可。この頃の花見は露店や興業が禁止され、人々が静かに花を眺めて楽しんでいたそうです。昭和初年には高田保勝会(ほしょうかい・後の観光協会)が第1回観桜会(かんおうかい)を主催します。初めて堀に沿ってぼんぼりを並べ、桜の木の間に電灯が装飾されました。堀の水面に映る桜とぼんぼりの美しさが市民の心をつかんだことは、言うまでもありません。

file-74 にいがたの城下町(前編)

  

街に活気生む世紀の祭

古里の誇り 次世代へつなぐ

植木宏さん

高田開府400年祭実行委員会会長の植木宏さん。37年間高校教諭を勤め、郷土史研究家として上杉謙信や直江兼続、高田城などの研究を続けています。平成22年に「瑞宝双光章」の叙勲を受けました。
 
 

高田開府400年祭チラシ

開府400年祭のチラシ。県内外の人々に高田の魅力を広くPRします。

 高田城が完成してちょうど400年となる2014年7月5日を中心に、「高田開府400年祭」が行われます。実行委員会会長の植木宏さんは「100年に1度の世紀のお祭りです。次世代に何を残すか、伝えていくかということが重要です」とお話してくれました。祭りの大きなテーマは「ふるさとを見直しましょう」。ストレートな呼び掛けが心に響きます。2012年12月、市民を中心に実行委員会を立ち上げ、歴史文化、集客促進、次世代継承を3本柱に部会ごとに400年祭の計画を練ってきました。

 7月4日の前夜祭を皮切りに、6日までの3日間、多彩なイベントが催されます。記念式典には歴史への造詣が深い、元NHKアナウンサーの松平定知さんを招き、上杉、徳川、伊達、榊原家の現当主が一堂に会して座談会を開きます。また、高田城と城下町をテーマにしたシンポジウムを開催。高田城跡の在り方や、これからのまちづくりについてパネルディスカッションし、地元の中学生も参加する予定です。高田城本丸の土塁の上を歩く探検ウォークや、地元の伝統芸能や美味しい食べ物を集めた「城下町高田わくわく楽市」などで高田の魅力を発信します。高田城初代城主の松平忠輝公の妻・五郎八姫のお輿入れを再現した行列も、400年祭を華やかに彩ります。「高田開府400年祭を機に高田への愛着を育み、新たなまちづくりのスタートにしたい」。植木さんの言葉には、ふるさとへの愛と誇りがにじみ出ています。

300年祭祝い 飛行機も登場

 
 高田開府300年祭当時
 

開府300年祭中の市内の様子(上越市立高田図書館所蔵『高陽余影』より)。各家の軒下には提灯がぶら下げられ、街はたくさんの人でにぎわいました。

 

 さかのぼること1世紀、高田開府300年祭の様子ものぞいてみましょう。1913年(大正2年)9月に開かれた300年祭。榊神社での祭典をはじめ、歴代城主の追弔法要、講演会、宝物展覧会、提灯行列、芸妓連による踊り屋台の練り廻しなど、様々な催しが市民を楽しませました。異彩を放ったのは新潟県で初めてとなった飛行機大会です。当時、日本でただ1人の民間飛行家・白戸栄之助が練兵場を訪れ、上越の空を飛行しました。ライト兄弟が動力飛行に成功してから10年後のことです。白戸が操縦したのは「鳳(おおとり)」号。初めて聞くプロペラ音と天高く舞う「鳳」号の勇姿に、会場に詰めかけた14万人が熱狂しました。街もにぎやかだったそうです。街のあちらこちらが紅白の幕や赤い提灯などで彩られ、高田駅前では電気灯や青・赤・白などの装飾が施された大アーチ「ライオン門」が人々を迎えました。当時の新聞は華やいだ街並みを「化粧をした高田」と表現しました。当時の盛り上がりや活気が伝わってきます。

 現在、2014年夏の400年祭に向けて、地元の人々が奔走しています。「子どもたちが誇れる高田にしたい」との願いが込められた400年祭。幕開けが待ち遠しいですね。
 

 


■取材協力
花岡公貴さん(上越市立総合博物館)
植木宏さん(高田開府400年祭実行委員会)

■参考資料
広報上越 シリーズ連載「高田開府400年」

file-74 にいがたの城下町(前編)

県立図書館おすすめ関連書籍

「もっと詳しく知りたい!」、「じっくり読みたい!」という方、こちらの関連書籍はいかがでしょうか。以下で紹介しました書籍は、新潟県立図書館で読むことができます。貸し出しも可能です。ぜひ、県立図書館へ足をお運び下さい。

▷『新・にいがた歴史紀行10 新・上越市』

(花ヶ前盛明、滝沢定春、土田孝雄著/新潟日報事業社/2005年)請求記号:N /29*3.2 /H27
 高田開府から400年にあたる2014年は、上越市で様々なイベントが開催されています。
 本書では上越地方の神社、寺、ゆかりの人物に関係する建物など60件以上が紹介されています。いずれもその歴史的背景などがわかりやすく解説され、カラー写真とともに掲載されています。また、略地図も載っているため、お出かけの際にはガイドブックとしてもご覧になってみてはいかがでしょうか。

▷『城下町高田と人々のくらし 開府四〇〇年の軌跡』

(浅倉有子ほか著/北越出版/2012年)請求記号:N /2*32 /A85
 本書は「楽しく読めること、本書を持って町歩きができること」をコンセプトに「江戸時代と近代の高田の歴史をわかりやすくまとめた」(p2「はじめに」より)内容です。
 「第1部 江戸時代の高田」に掲載されている高田城や城下町の様子を描いた絵図や、古文書をもとに解説された本文を読むと、武士や町人の当時の暮らしぶりが伝わってくるようです。このほか、「第2部 近代の高田」では近代に入ってからの様子がわかりやすく記述されています。

▷『小さな町の風景』

(杉みき子作/偕成社/2011年)請求記号:N /913.6 /Su32
 高田で生まれ育った本書の著者杉みき子氏については、小学校の国語の教科書に掲載された「わらぐつのなかの神様」などでご存知の方も多いのではないでしょうか。
 本書は、1982年に偕成社から刊行された『小さな町の風景』を文庫化したもので、高田在住の杉氏が、町の風景をモデルに書いた作品集です。物語を読んでいると、高田から遠くはなれた自分の町にもどこか重なる景色があるような気がしてきます。
当館では、このほか『杉みき子選集』など多くの本を所蔵しています。どうぞご利用ください。

ご不明の点がありましたら、こちらへお問い合わせください。
(025)284-6001(代表)
(025)284-6824(貸出延長・調査相談)
新潟県立図書館 http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/

 

前の記事
一覧へ戻る
次の記事