新潟の地域文化を紡ぎ繋げる 新潟文化物語

文化の丁字路~西と東が出会う新潟~

  • 文字サイズ
  • 標準

特集

  1. 新潟文化物語HOME>>
  2. 特集>>
  3. file-76 越後と親鸞

file-76 越後と親鸞

  

親鸞を訪ねてみよう

親鸞ゆかりの地

  

 越後に配流になった親鸞。上陸した当時の国府である上越市を中心に、実に多くの旧跡や伝説が残されています。現在開催中の親鸞展で、江戸時代中期ころに庶民の間でも、親鸞の旧跡巡りや直弟子の開創寺院で遺物を見て回ることが盛んになり、驚くことに道中案内記も刊行されるようになったと紹介されています。親鸞が越後に関わりがあるというのであれば、わが県民も江戸の庶民に遅れじ。さっそく旧跡が数多く残るという上越市を訪ねてみましょう。往時の面影を見つけながらゆかりの地を巡るのは、歴史のロマンを垣間見るようでとても楽しいものです。   

     
 
親鸞聖人銅像
 

上陸の地を見下ろす高台の公園に建立された親鸞聖人の銅像  

 

 上越市の直江津地区には親鸞の足跡が1kmほど以内にまとまっているので、訪ね歩くには格好のコース。県道468号の国分寺入口交差点を軸に、海側に上陸の地の居多ケ浜とその高台に居多ケ浜記念堂、県道の反対側に五智国分寺、居多神社があります。
 最初に訪れたいのは、やはり上陸の地。能生から船で居多ケ浜に着いたとされる地に「親鸞聖人御上陸の地 居多ケ浜」の石碑があり、そこから高台に足を伸ばすと居多ケ浜記念堂です。きっと見学者も多いのでしょう、敷地内には親鸞の坐像を安置した見真堂(けんしんどう)や歌碑・銅像などが案内板とともに整備され、上陸の地を見下ろせる見晴らし台も設置されています。
 県道に戻り東に200mほどのところに、上陸した後、1年ほど過ごしたといわれる五智国分寺があります。現在の国分寺は上杉謙信公が再興したもので、親鸞が配所された時代の国分寺はこの場所だったかどうか、いまだに不明なのだそうですが、本堂の右手側に、住まいしたという竹之内草庵(親鸞堂)がひそやかにたたずんでいます。
 国分寺の裏手にある鏡ケ池は、親鸞が自分の姿を映して像を刻んだことからその名がついたそうです。この時に作られたという「伝親鸞聖人座像」が本堂脇の竹之内草庵に安置されています。
 境内を抜けた住宅地の少し先に養爺清水(ようやしみず)がありますが、親鸞が竹之内草庵で暮らしていたころ、飲み水や書道の水として汲んだといわれる清水です。日照り続きの夏でも枯れないといわれる名水で、現在もこんこんと湧き続けています。
 さて、次に向かったのは居多神社。親鸞が居多ケ浜に上陸して最初に訪れたという神社で、越後一宮とも呼ばれる延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。ここで参拝し歌を詠んだといわれる親鸞聖人の銅像が神社のすぐ脇に建立されています。また、この神社周辺に自生する葦は、越後の七不思議の一つに数えられる「片葉の葦」で知られています。
 居多神社から次の目的地・本願寺国府別院へは蓮池を見ながら600mほど先に進みます。ここは五智国分寺から移り住んだ竹ケ前草庵(たけがはなそうあん)があった場所。板倉の恵信尼とこの草庵で一緒に暮らしたといわれています。境内に、親鸞が袈裟をかけたといわれる「袈裟掛けの松」があったのですが、残念なことに虫害のために伐採してしまったそうです。
 国府別院を後に、五智国分寺方面へ向かうと光源寺があります。親鸞が関東に旅立った時に、弟子の最信がこの地に残り開山したといわれるお寺です。罪を許されたときに親鸞が自ら書いたとされる自画像「御満悦の御影」が本尊として本堂に安置されているほか、「旅立ちの立像」などゆかりの宝物が数多く残されています。
 上越市で親鸞を訪ね歩く最後の訪問地が高田の寺町通りにある浄興寺です。親鸞ゆかりの名刹で、もともとは常陸の国にあったものを信濃の国を経て上杉謙信公の招きによりこの地へ移転してきたお寺です。本堂は国の重要文化財に指定され、右手に位置する本廟には、親鸞聖人の頂骨が納められている舎利塔の六角宝塔があることから、今なお全国からの参拝客が訪れています。ちなみに六角宝塔は、現在開催中の親鸞展で、初めて寺外で公開されています。

六角宝塔
六角宝塔と呼ばれる親鸞の頂骨を納めた舎利塔が所蔵されている本廟。今も参拝客が多く訪れています。  

越後の七不思議

 越後に7年間在住した親鸞は、その間、積極的に布教に出かけて行ったのでしょう。県内の随所で親鸞にまつわる「越後の七不思議」といわれる伝説が残されています。この伝説は、すでに江戸中期のころの文人などにより『東奥紀行』『東遊記』『北越志』などの書籍で紹介されていて、この時代も諸国から越後に多くの旅人がゆかりの地や七不思議を訪ねて回っていたことがよくわかります。そこで、参詣の記念として、七不思議にまつわる品々を入手し、一つずつ和紙に包み、大切に保管されていたケースも見受けられます。そうした親鸞の残した伝説は今でも語り継がれています。

◆保田の三度栗/やすだのさんどくり(阿賀野市・孝順寺)
親鸞が保田の地を訪れたとき、信徒が捧げた焼き栗を蒔いて教えを説いたところ、見る間に栗は芽を出し、1年に3度花をつけるようになったといわれています。

◆山田の焼鮒/やまだのやきふな(新潟市・田代家)
旅立つ親鸞を送る宴席で、料理として出された鮒の焼き物を親鸞が池に放すと、たちまち生き返り、泳ぎ出したという伝説があります。

数珠掛け桜
 

数珠のように咲く桜は世界的にも珍しく、国の天然記念物に指定されて現在も毎年4月末から5月中旬にかけて花を咲かせています。  

◆数珠掛け桜/じゅずかけざくら(阿賀野市・梅護寺)
ここを訪れていた親鸞が出立の折、手に持っていた数珠を桜の枝にかけて仏法を説くと、桜の花は数珠のようにつながって、垂れ下がって咲くようになったのだそうです。






 

八つ房の梅
 

花の見ごろは4月中旬ころ、実が成るのは5月末から6月上旬ころだそうです。  

◆八つ房の梅/やつふさのうめ(阿賀野市・梅護寺)
梅干しの種を庭に蒔いて歌を詠んだところ、翌年、そこから芽が出て葉が茂り、やがて薄紅色の八重の花が咲くと、実が八つずつつくようになったといわれています。       





      

      

◆鳥屋野の逆竹/とやののさかさだけ(新潟市・西方寺)
自分の教えが広まらないことを嘆いた親鸞は、持っていた竹の杖を地中に挿して教えを説いたところ、葉が逆さになってつく竹になり、よく根付いて繁茂したと伝えられています。

◆つなぎ榧/つなぎかや(南蒲原郡田上町・了玄寺)
親鸞が護摩堂山城主に招かれて仏法を説いたとき、城主は糸でつないだカヤの実を焼いて親鸞に献じました。その中の一つを庭に植えると芽が出て、ついた実の一粒ずつに糸を通せるような小さな穴が空いていたそうです。

◆片葉の葦/かたはのあし(上越市・居多神社)
この神社で一日も早い赦免と信心が盛んになるよう祈願したところ、神社の境内に生えていた葦が一夜にして片葉になったといわれています。

 90年の人生の中で越後滞在期間はわずか7年と短いですが、これだけ多くのゆかりの地や伝説を残した親鸞という人は、歴史的に見ても新潟県にとっても偉大なる人物といえるのではないでしょうか。



<参考ホームページ>


▷ ・上越偉人探訪・親鸞聖人

▷ ・宗祖親鸞聖人‐西本願寺

▷ ・越後七不思議・阿賀野市


■取材協力
前嶋 敏さん(新潟県立歴史博物館)

■写真提供
新潟県立歴史博物館
上越市観光振興課
京ヶ瀬商工会



次ページ → 県立図書館おすすめ関連書籍

投稿はこちらから

  • イベントを投稿する
  • 地域文化データベースに投稿する
  • 投稿の仕方(PDF)
Copyright© Niigata Prefectural Government. All Rights Reserve