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file-77 にいがたの映画祭

  

映画祭に行く、から関わる、作るへ

長岡の映画祭

 新潟で映画祭が始まって数年の後、長岡でも映画祭が開催されるようになります。
 1990年2月、長岡観光会館という映画館が閉館しました。これで長岡市内にあった5つの映画館がすべて閉館となったのです。このことを受けて、市民ら有志が集まり市民映画館を作れないかとの検討がはじまりました。「市民映画館をつくる準備会設立のための市民の集い」が3月には開催されました。
 翌年には組織を「市民映画館をつくる会」とし、仲間を募りながら自主上映会や全国のミニシアターへの視察を行います。株式会社設立のための資本金の募集も同時に進行、目標を1,000万円以上としました。
 活動開始から約3年後の1992年12月、「映画館を作るための映画祭」が初開催されました。映画監督の大林宣彦さんを迎え、『青春デンデケデケデケ』『ふたり』『はるか、ノスタルジィ』といった大林監督の作品が上映されました。



映画館を作るための映画祭

 
 第5回長岡アジア映画祭の実行委員のメンバー  

第5回長岡アジア映画祭の実行委員のメンバー写真。  

 

 当初、長岡の映画祭の目的は、映画館の建設にありました。新潟市にある「新潟・市民映画館シネ・ウインド」のような、映画の上映だけでなくあらゆる文化活動の拠点としての映画館建設でした。
 第1回の映画祭には「激論フォーラム」と題した討論会があわせて開催されました。司会は『阿賀に生きる』で撮影カメラマンを務めた映画監督の小林茂さん。パネリストには、商店主、バンドマン、子ども劇場代表者などを迎えそのあり方が模索されました。
 しかし、会の目的であった映画館の建設が見直しをせまられる機会がきます。1993年12月、三条東映ムービル「長岡マリオン」が同市内に開館しました。この時にも、メンバー間で議論が交わされましたが、一度、映画館建設を取り下げることになりました。それまでに募っていた出資金の返還作業も行われました。  



その後の映画祭

 第5回長岡アジア映画祭会場内の様子  

第5回長岡アジア映画祭の会場、長岡リリックホール客席の様子。
 

 

 「市民映画館をつくる会」は1996年、第1回「長岡アジア映画祭」と名称を変更して映画祭を開催しました。目的を見直しながらも活動を継続していきます。
 2012年に、組織名の変更があり「コミュニティシネマ長岡」としました。回数は引き継ぐかたちで、第17回開催より映画祭の名称は「ながおか映画祭」となりました。
 その第17回、2012年の開催から新潟大学教育学部附属長岡中学校社会創造科の生徒も企画に参加するようになりました。生徒たちから、『純子はご機嫌ななめ』『ネコ魔女のキポラ』という2作品を親子向けの無料上映を企画、実施しました。昨年の第18回には、『阿賀に生きる』の上映後、小林監督と社会創造科の生徒のトークも行われました。
 映画祭を継続する中で、企画する側の裾野も広がっていきました。映画館という箱モノの建設から、映画祭というひとつの場づくりとして市民の中にもゆっくりと浸透していっているのではないでしょうか。
 今年もまた9月の第19回開催に向けて準備が進められています。

    
 

映画人の育成

 映画を観ることから、映画を撮るという取り組みも始まっていきます。1997年には映画づくりを学ぶ「にいがた映画塾」が開講しました。その背景には、手塚眞監督による映画『白痴』の制作がありました。その制作スタッフらが講師となり、「市民にも広く映画制作に興味を持ってもらうこと、そして映画人の育成をしたい」と組織されました。
 手塚監督、『阿賀に生きる』の佐藤真監督などが、カメラの扱い方、シナリオの書き方、映像表現の手法などの講義と実践を行いました。その結果、受講者の中から自主映画を撮る人も出てきました。
 そして、自主映像作品を制作する人たちの発表の場として同年、「インディーズムービーフェスティバル」が立ち上がりました。作品のジャンルを問わず、あらゆる映像作品の発表の場として毎年開催されるようになりました。
 一方、長岡でも「ながおかインディーズムービーコンペティション」が1999年からはじまりました。こちらは、全国から公募した作品に対し審査を設け、グランプリや準グランプリ、監督賞が選ばれました。
 自主制作映画の発表をきっかけにテレビ・映像業界を目指し、就職していく人も出てきました。映画を観る側から、作る側へ、そしてそれを仕事にしていったのです。
 そう思うと、新潟には映画を観る場所があり、それを作りたいと思った人が学べる場所もある。そして、発表の機会があるという恵まれた町なのかもしれません。



映画祭のいま

 近年、レンタル店の普及や低価格化、インターネット配信などの背景もあり、映画館で映画を観るという人は減少傾向にあります。映画祭の観客動員数もまた減少傾向にあるのが現状です。また、実行委員会の組織運営、スタッフの募集も課題となっています。
 今回、取材に応じていただいた市川さんは、1993年の第3回から2000年の第10回まで実行委員長を務めました。そして、2014年の第24回で再び実行委員長に抜擢されました。
 当時から変わらない、「にいがた国際映画祭」を企画する魅力を「多数決で作品を決めないこと」とお話ししてくださいました。「数の論理だけが正しいわけではない、たった一人の意見でもその作品を紹介する熱意や目的を持っていれば上映するようにしている」そうです。
 まずはじめに実行委員のメンバーが映画を楽しみ、その作品をお客さんと共有する喜びを大切にしたいそうです。そこには「スタッフが楽しんでなければ、お客さんだって楽しめないでしょう」という思いが込められています。
 映画祭にスタッフとして参加する機会は誰にでも開かれています。映画祭もまちづくりも、参加し企画してその当事者となるのが一番楽しめるのではないでしょうか。



<参考ホームページ>

▷ ・にいがた国際映画祭
▷ ・新潟・市民映画館シネ・ウインド
▷ ・ながおか映画祭
▷ ・コミュニティシネマ長岡ブログ
▷ ・にいがた映画塾(~2002年)
▷ ・にいがた映画塾スタッフのブログ(2008年~)

 



■取材協力
市川栄さん(にいがた国際映画祭実行委員長)

■資料提供
関矢茂信さん(コミュニティシネマ長岡代表)     

 

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