file-89 想いを伝える自費出版

豊かな風土が生み出す自由な発想

新潟県は自費出版の盛んな地

 南北に長く、長い海岸線や広大な田園、多くの森林と山々を有する新潟県。はっきりとした四季の移ろい、豊かな風土を背景に、各地で独特の文化が育まれ、多くの偉人を輩出し、さまざまな小説の舞台にもなっています。また、雪に閉ざされる新潟の冬。じっくりと思想や想像を膨らませる時間があったことから、斬新でユニークな考え方や文学が生み出されたという人もいます。
 このような土地柄が影響してか、新潟県は自費出版が比較的多いところだといわれています。自費出版で発行される本の特徴は、内容が多種多彩で、作者の「伝えたい」という想いがよりダイレクトに感じられることです。

 2010年、長岡の偉人・河井継之助の旅の記録を現代語訳で紹介する「現代語訳 塵壺(ちりつぼ) 河井継之助記 -蒼龍(そうりゅう)への熱き想い-」が、長岡市在住の竹村保(たけむらたもつ)さんによって自費出版されました。著書の中で竹村さんは、これまであまり語られることのなかった継之助の人間的な一面を想像力によって補い、激動の江戸末期を生きた継之助の考え方を独自の解釈で表現しています。竹村さんが同書で伝えたかった想いはどんなものだったのでしょうか。
 今回の特集前半では、同書を通して自費出版の魅力をお伝えします。

まずはここから。河井継之助ってどんな人?

 
長岡市郷土資料館

長岡市の悠久山公園にある城をかたどった「長岡市郷土史料館」。石垣の一部(定礎)には発掘された長岡城の石材が使用されている。館内には、河井継之助や小林虎三郎など、長岡の先人の史料を展示している。

河井継之助記念館の「風雲 蒼龍窟」

河井継之助記念館の「風雲 蒼龍窟」(峰村哲也作 河井継之助像)。多くの書物や研究を通し、継之助の評価も変わりつつある。

 言わずもがな、河井継之助は長岡藩の家老を務めた幕末の武士です。
 意思が強く負けず嫌い、そして勉強熱心だった継之助は、江戸や西国へ遊学に出向き、そこで得た知識や経験を生かして藩政改革に尽力しました。
 明治維新、迫る新政府軍に対して武装中立を貫こうとした継之助ですが、その意を伝えた会談は決裂。長岡藩は戦いを余儀なくされ、継之助自身も藩政改革の志半ばで敵方の銃弾に倒れます。
 その人生は作家・司馬遼太郎(しばりょうたろう)の名作「峠」にも描かれました。ベストセラーとなったこの作品をきっかけに、越後の小さな藩の家老だった河井継之助の知名度は、実に全国区となったのです。

 ちなみに西国への遊学の目的は、備中松山藩(現在の岡山県にあった藩)の儒学者であり、藩財政を立て直したとされる山田方谷(やまだほうこく)の教えを請うためでした。その際の覚え書きをまとめたものが、唯一の著書といわれる「塵壺(ちりつぼ)」。松山にとどまらず、長崎にも足を伸ばして見聞を広めた旅において、継之助は何を学び、それをどのように長岡藩の藩政に生かしたのでしょうか。そして、ところどころに垣間見えるちょっぴり意外な人物像とは?

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幕末の藩士・河井継之助への想い

「塵壺」に見る河井継之助像とは?

竹村保さん

継之助への想いを語っていただいた、「現代語訳 塵壺 河井継之助記 -蒼龍への熱き想い-」の著者・竹村保さん。

「現代語訳 塵壺 河井継之助記 -蒼龍への熱き想い-」

さまざまな資料を調べながら、長い年月をかけて完成した同作品。「伝えたい」という竹村さんの強い意志を感じさせる。

 「きっと河井継之助は草葉の陰で言っていると思いますよ。おまえこの訳し方違うぞ、何言ってんだって(笑)」。
 そう話すのは、「現代語訳 塵壺 河井継之助記 -蒼龍への熱き想い-」の著者である竹村保さん。実に500ページ超の力作を仕上げた人です。というのも、この作品は、継之助が西国へ遊学に出たときの覚え書きをまとめた「塵壺」をもとに、竹村さんが自らの見解を加えて現代語訳したもので、独自の解釈がふんだんに盛り込まれています。
 「継之助自身、これは他人に見せる目的ではなく、この遊学のために五十両ものお金を出してくれた両親に旅先のことを説明するために書き置いたもの。つまり、自分さえ分かればOKというメモなんです。そのまま訳してもほとんど意味は通じないため、当時のことを想像しながら情景を書き加えて文章にしていきました」と竹村さん。訳しながら、そのつど出てくる場所や時代背景を調べていくやり方をとったため、やればやるほど楽しくて気づけばどっぷりハマっていたそうです。

 江戸から、目的地であった備中松山へ。さらにそこから長崎へと足を伸ばす西国遊歴。その中で継之助は、雄大な富士山に魅せられ、登頂できなかったことを幾度となく悔やんだり、市井の人たちとも気さくに交流したりと、人間味あふれる一面をのぞかせます。
 「負けず嫌いで、ちょっぴり茶目っ気がありユーモアの分かる人。単なる堅物ではなく柔らかいところも併せ持つ人だったように思います。時折、町の人たちの口説き話に耳を傾けていたのも、今の政治はどう評価されているのか、それを知るのが政治を任される者の役目だと判断してのことだったのでしょう」と竹村さんは推測します。また、それは継之助の思想に通じる大切な部分でもある、と。
 「継之助を語るにあたってのキーワードは経世済民。政治とは、あくまで民の幸せのためにやるべきであるという考え方です。士農工商という身分制度がきっちりと定められていた時代にあって、その思想を掲げ、さらに行動に移していったのが継之助の最も素晴らしいところではないでしょうか」。

 さて、本来の目的であった備中松山にたどり着いた継之助は、山田方谷(やまだほうこく)のもとでさまざまな学びを得ます。さらに、そこから足を伸ばした長崎で見聞きしたものも、継之助の藩政改革に大きな影響を及ぼしたと竹村さんは考えます。
 「山田方谷が松山で行った藩政改革を、継之助はほぼそのまま長岡で行いました。また長崎での見聞も、その後の藩政を考える大きなヒントとなっているように思います。例えば、人や物が自由に行き来するのを見て物流について考え、改めて貨幣の価値を等しく定めることの必要性を感じたでしょう。また継之助は開国論者でしたから、長崎の人たちと外国人が共存する様子を見て、これからはもっと外国から良いものを取り入れながら発展するべきだという自らの考えに確信を抱いたのではないでしょうか」。

 独自の解釈が加わって物語としての面白みが生まれたこの作品の中で、継之助はイキイキと躍動し、各地を自由に闊歩しています。これを書き上げたことにより、竹村さんの中で実を結んだ河井継之助の人物像とは?
 「改めてすごい人だと思いましたね。自分の理想を現実にするためには何を学ぶべきなのか、それがきっちり定まっていてちょっとやそっとのことではブレない。また政治を行うにあたり、常に自分の心そのものを純粋に保つ努力を怠らなかった人であることも改めて実感しました。その根底に貫かれているのは武士の心。侍の義をもって民のために政治に取り組み、長岡の町を発展させ、それをモデルケースとして日本全体に発信しようとした継之助の大きなビジョンを感じます」。
 この作品を通じて、読み手に感じ取ってほしいのもそこだと竹村さんは話します。
 「継之助はこの旅の中で、日本という国の行方を考えるためのヒントをつかもうとしています。藩政改革を通じて、この国をどんな方向に持っていくべきなのか。そんな一大テーマが全体に流れていることを意識しながら読むと、より楽しんでいただけるのではないかと思います」。

竹村さんによる自費出版のススメ

 竹村さんを自費出版へと駆り立てたのは、司馬遼太郎の名作「峠」との出会いでした。
 「そこに描かれていたのは、郷土の武士、河井継之助。一瞬で虜になりました。司馬さんはこの本を書くにあたり、河井に関する資料という資料を神田の本屋街で買いあさったと聞きます。当然、本人の著した『塵壺』もご覧になっていたことでしょう。読み進むと、度々『ちりつぼ』という言葉が出てくるんです」。
 それは一体どんなものなんだろうと思っていたところ、原文を読み下した「塵壺:河井継之助日記」(安藤英男著)という本を見つけます。「これをもっと分かりやすくできないものか」と現代語訳を試みた竹村さん。「3~4行やってみたら、これなら私にもできそうだと思いました。それがこの作品を書いたきっかけです」と振り返ります。

 塵壺の現代語訳に挑戦したのは、実に竹村さんが初めて。そのことも「書籍にしたい」という気持ちを後押ししました。また、出版業に携わる高校時代の友人も心強い味方に。「右も左も分からないので、いい本にしてほしいという要望だけ伝えて一任したんです。その結果、立派な装丁の本に仕上がりました。最も悩んだのは値段です。1,000円台では難しい、2,000円台でも買ってもらえるだろうかと、さまざまに議論して最終決定したのを覚えています」と竹村さん。こうして思いのこもった作品がデビュー。「思いがけなかったので素直にうれしかった」という名誉ある賞(新潟出版文化賞 選考委員特別賞)まで受けました。

 本を書いて出版してみたい。そう考えている人には「自分が絶えず思っていることと、ぴたりとリンクするような人物や現象と出会ったら、なんでもいいからまず書いてみることをお勧めします」と竹村さん。そして、うまい表現が見つからない、こんな書き方ではダメなんじゃないか、と迷ったときは多くの小説や読み物からヒントを得ることも大切だと言います。
 「作家の宮尾登美子さんは、語彙集を何冊も持っていたと聞きます。一つの現象を美しく表現している言葉に出会うと、それを抜き出して書き溜めていたのだとか。それはすぐにでも真似できる、いい文章を書くためのコツだと思います。常に美しい表現を心がけること、それが最も大切だと私は考えます」。
 最初は思いつきの走り書きでいい、と竹村さん。「書きたいテーマと出会ったら、書いては消してを繰り返しながら、少しずつ形にしていく。苦しいときもありますが、それがいつしか日々の楽しみになっていくはずですよ」。
 そんな毎日の積み重ねが、できあがった本を手にしたときのえも言われぬ感動につながるのでしょう。そしてその先には、かけがえのない一冊をさまざまな人に読んでもらえるという喜びも。心を尽くしたからこそ愛おしいその作品が、どこかの誰かの宝物になるかもしれない。自費出版には、そんな醍醐味も潜んでいるのかもしれません。

 

「塵壺」を展示する河井継之助記念館へ

「河井継之助記念館」

長岡市「河井継之助記念館」。継之助の足跡や資料をさまざまに紹介している。

「塵壺」の複製品

河井継之助記念館にある、精巧に再現された「塵壺」の複製品(オリジナルは非公開)。持ち歩いたため、意外と小さなものだ。

 長岡市制100周年を記念して、2006年、継之助の生家跡に設立された「越後長岡 河井継之助記念館」。継之助のブロンズ像が出迎える館内には、その来歴に沿ってさまざまな展示がなされています。じっくりと鑑賞すれば、河井継之助の人となりが、さらなるリアリティーをもって迫り来ることでしょう。
 また注目したいのは、「塵壺」の原本を細部に至るまで精巧に再現した複製品です。西国遊歴で持ち歩いたため、やや小ぶりな体裁で、巡った土地でのさまざまな事柄が記されています。ほかにも、継之助が佐賀県神埼市を訪れた際に購入した蓑、父である河井代右衛門(だいえもん)に宛てた遊学願いの書状など、「塵壺」につながる興味深い展示も数多く見られます。そんなテーマをもとに館内を巡ってみるのも、また楽しいかもしれません。

 

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あなたも自費出版に挑戦!

自費出版は人生の記念碑

考古堂会長の柳本雄司さん

自費出版の方法についてお話しを伺った考古堂会長の柳本雄司さん。「本はその人の生きた証です」と語る。

 特集の後半では、県内の自費出版の実情をご紹介します。

 それでは実際に県内では、どんな人が、どのように自費出版をしているのでしょうか。自費出版にもいろいろな方法がありますが、一般的なのが出版社に依頼して本を作る方法です。新潟市内の出版社・老舗書店である「考古堂」の会長・柳本雄司(やぎもとゆうじ)さんに、自費出版についてお聞きしました。
 「本を作る、自費出版をすることは、自分の研究や探求、思想や趣味を、形にして残すことです。本はご自分の生きた証、人生の記念碑ともいえるものです」(柳本さん)。
 一般に自費出版は、何かを人に伝えたい、自分の考えを表現したいという志が原動力となります。作品を生み出すのは相当の時間とエネルギーが必要ですが、それを乗り越えて表現するのは、深い思い入れがあってのこと。自費出版をするのは年配の方が中心だそうですが、若い方が原稿を持ち込まれるケースも増えているとか。作者の家族や知人、または地域に向けて出版される本は、小規模だからこそ自由・多彩で、新たな発見にあふれています。近年は電子出版という手軽な方法もありますが、形あるものとして出版された定本(十分に校正がなされた決定版など)には、著者のその時点での意図がはっきりと示されることもあり、著者自身も価値を感じやすいのではないでしょうか。

 実際の出版に関する工程はどうでしょうか。
 「まず、何ページで、どのような判型(本の大きさ)、紙質はどのようにするのか、1ページに入る文字の量と大きさなどを担当(編集者)とご相談していただき、組見本(本のページ体裁を見るための見本)を作ります。束見本(本の大きさや厚さの見本)を作る場合もあります。体裁が決まったら内容の校正(文字の間違い修正や内容を確認する作業)などに入りますが、持ち込まれる原稿の種類や本の部数によって、制作期間は変わります」(柳本さん)。

 例えばパソコンなどで入力し、校正が不要であれば、すぐに本の組版(文章や写真、イラストなどを配置して、ページを実際に作ること)になりますが、原稿用紙に手書きした場合は文字のデジタル化が必要で、その分費用や時間もかかります。校正作業を出版社に依頼して行う場合も同様です。
 柳本さんによれば、「おおよそ、A6判、100ページ、500部ぐらいで、シンプルな体裁なら、50万円ぐらいが出版経費の目安ですね」とのこと。もちろん装丁(本の装飾やデザイン)を凝ったものにすればその分費用もかかります。また、出版社に依頼する場合は、県内の一般書店やネットショッピングで販売する取り次ぎも行ってくれる場合が多いので、自費出版に興味がある方、自分の作品を出版してみたいという方は、出版社に相談してみてはいかがでしょうか。

郷土の魅力を発信する自費出版

新潟出版文化賞の表彰式

第8回 新潟出版文化賞の表彰式&フォーラムの様子。毎回多数の作品が寄せられ、いずれも力作ぞろいだ。

第9回 新潟出版文化賞

平成27年の7月末日まで募集されている「第9回 新潟出版文化賞」。キャッチコピーは「ライバルは、漱石か? それとも安吾か?」

 新潟県では、新潟県在住者の執筆した自費出版図書に光を当て、広く紹介する「新潟出版文化賞」を実施しています。平成11年から隔年で募集を行い、優れた作品を顕彰している全国でも珍しい文学賞です。募集部門は記録誌部門(自分史、地域史、民俗記録、郷土史、人物伝、旅行記等)と、文芸部門(小説、エッセイ、童話、詩集、歌集、句集、絵本等)があります。
 選考委員は作家の新井満(あらいまん)氏ほか6名が参加し、さまざまな角度から作品を評価し各賞を選出しています。特に「地域性」と「独自性」を重視し、新潟県の「文化の宝もの」にふさわしい作品を選考しています。

 今回、特集の前半でご紹介した「現代語訳 塵壺 河井継之助記 -蒼龍への熱き想い-」は、第7回 新潟出版文化賞(2011年)の選考委員特別賞(新井満賞)の受賞作です。500ページ以上にもなる力作で、塵壺の解釈部分が読み物として分かりやすく、文芸部門の作品として価値があるとして選ばれました。新井満氏は、
 「ある選考委員から『この作品を選考委員特別賞(新井満賞)に押したい』という提案があり、私も賛成することにした。最近の私は、「老子」から「般若心経」まで“自由訳”と称した現代語訳にとりくんでいる。本書の現代語訳は、竹村流の自由訳とも言うべきもので、面白いこころみだと思う。」(第7回新潟出版文化賞 講評より一部抜粋)と述べ、作者の熱意と挑戦を評価しています。

 みなさんもご自分の思いを込めた作品を応募してはいかがでしょうか。
[第9回 新潟出版文化賞のホームページは(こちら)

 自分の想いを確かな形にできる自費出版の世界。日頃、研究や調査、趣味などを通して、誰かに何かを発信したいと考えている方は、ぜひ創作に挑戦してみてはいかがでしょう。
 


■ 関連サイト
新潟出版文化賞 http://www.pref.niigata.lg.jp/bunkashinko/1356813020134.html

越後長岡 河井継之助記念館 http://tsuginosuke.net/  
長岡市郷土史料館 http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/miru/siryou/kyoudo.html  

■ 取材協力・資料提供
竹村保さん
考古堂 柳本雄司さん
越後長岡 河井継之助記念館

■ 参考資料
竹村保(2010)『現代語訳 塵壺 河井継之助記 -蒼龍への熱き想い-』雑草出版
稲川明雄(2008)『新潟県人物小伝 河井継之助』 新潟日報事業社
稲川明雄(2010)『風と雲の武士 河井継之助の士魂商才』 恒文社
越後長岡 河井継之助記念館ホームページ

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