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越後えちご凧合戦たこがっせん習俗しゅうぞく

Q. 越後えちご凧合戦習俗たこがっせんしゅうぞくって何?
A. 越後の凧合戦習俗は、三条市さんじょうしで行われる三条凧合戦さんじょういかがっせん(三条では凧と書いて「いか」とびます)をはじめ、新潟市南区白根しろね・西白根の白根大凧合戦おおだこがっせん見附市みつけし今町いままち長岡市中之島ながおかしなかのしまの今町・中之島大凧合戦の3つの凧合戦を指すものです。

Q. 越後えちご凧合戦たこがっせんはいつごろから何のためにはじまったの?
A. それぞれの凧合戦には歴史れきしがあります。三条凧合戦さんじょういかがっせんのはじまりは、くわしい記録きろくのこされていませんが、やく300年前の江戸時代えどじだいに、三条が村上藩むらかみはん領地りょうちになったとき、三条の陣屋じんや兵士へいしたちの待機所たいきしょ)では、端午たんご節句せっく藩主はんしゅ偉大いだいさをいわうため、四角い烏賊幟いかのぼり(凧のこと)をげたことがきっかけと言われています。その後、陣屋では毎年、節句に凧を揚げるようになり、それが今日の三条凧合戦の始まりとなりました。

 白根大凧合戦しろねおおだこがっせんは、江戸時代の中ごろ中ノ口川なかのくちかわ堤防ていぼう改修かいしゅうする工事が完成かんせいしたおいわいに、白根がわの人が凧を揚げたところ、対岸たいがんの西白根側に凧が落ち、田畑をらしたことにはらを立てた西白根側の人が、対抗たいこうして凧を白根側にたたきつけたことが、はじまりとつたえられています。

 今町・中之島大凧合戦いままち・なかのしまおおだこがっせんは、信州しんしゅう現在げんざい長野県ながのけん)の旅人たびびとが凧揚げをしたのがはじまりと言われています。その後、天明てんめい年間(1781年〜1789年)に、堤防の土をつき固めるために人を集めて、刈谷田川かりやたがわをはさんで凧揚げをしたのが今日の大凧合戦になったと伝えられています。

越後の凧合戦習俗のインフォグラフィック
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