伝統芸能キッズ◎綾子舞

Q.綾子舞ってなに?
A.柏崎市鵜川地区女谷で約500年前から受け継がれている民俗芸能で、3つの芸能をまとめて「綾子舞」と呼びます。
その3つとは、女の人が赤い布をかぶって優雅に踊る「小歌踊」と、男の人がユーモラスに踊る「囃子舞」、男の人2人以上で演じる「狂言」。昭和51年(1976)に、国の重要無形民俗文化財第1回の指定を受け、令和4年(2022)には「風流踊」※の一つとして、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。
※華やかな、人目を惹く、という「風流」の精神を表し、衣裳や持ちものに趣向をこらして、歌や、笛・太鼓・鉦などの囃子に合わせて踊る民俗芸能。
Q.綾子舞のはじまりは?
A.綾子舞のはじまりには、いくつもの説があります。1つは永正6年(1509)、上杉房能が家来の長尾為景に討たれたとき、房能の妻の綾子が女谷に逃げ、そこで村の人たちに舞を教えたという説があります。もう1つに、京都の北野神社の巫女・文子の踊りを北国武太夫という武士が伝えたという説。他に、囃子舞と狂言は、江戸中期に京都の茂田茂太夫という狂言師の夫妻が伝えたともいわれています。

小歌踊の「小原木踊」。これは京都大原の女の人が、都にいる恋人に会うために、薪などを売って歩く様子を舞うもの。
Q.綾子舞は昔は男の人だけのものだった?
A.その昔、綾子舞は鵜川地区の4つの集落が、それぞれの芸風を守っていました。昔はその芸風を堅く守るために、決められた家の長男だけに受け継がれていたので、その頃は綾子舞を演じるのは男の人だけでした。それが時代の流れで伝承する人も少なくなり、小歌踊は女の人が踊るようになりました。

高原田だけに伝わる小歌踊の演目「小切子踊」。これは平安時代、太宰府に流される菅原道真を見送るため、七条坊門(※1)の娘・文が綾竹(※2)を持って踊ったのが始まりといわれています。
※1:平安時代の京都にあった町の名前のひとつ
※2:小切子の別の呼び名
今は高原田と下野という2つの集落の保存会だけが先祖伝来の綾子舞を守り続けています。例えば小歌踊には現在、8つの演目があり、高原田は2人、下野は3人で踊るなど、2つの保存会でそれぞれに違いがあるのも面白いです。
地元の小中学校では、綾子舞を守ろうと、小学3年生から中学3年生までの希望者を対象に、伝承学習を行っています。その他にも、柏崎市が踊り手や、笛・太鼓などの楽器演奏者を養成する講座を開いており、こどもも大人も一緒になって、綾子舞を学んでいます。

ユーモラスな歌と囃子に合わせて、男の人がひとりで踊る囃子舞の演目のひとつ・猩々舞。猩々は、長い髪で人間の言葉が分かる酒好きな中国の想像上の動物。高原田だけに伝わる舞。
Q.綾子舞はいつ見ることができるの?
A.毎年9月の第2日曜日に、鵜川地区女谷の綾子舞常設舞台(綾子舞会館のとなり)で「綾子舞現地公開」が開催されます。毎年、県外からも多くの人たちが見に来ます。
・令和7年(2025)綾子舞現地公開
https://www.city.kashiwazaki.lg.jp/soshikiichiran/kyoikuiinkai/hakubutsukan/kanri/1/1/ayakomai.html
・関連リンク
file-156 後世に残すべき風流踊「大の阪」「綾子舞」(前編)
https://n-story.jp/topic/156/