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直江兼続なおえかねつぐとあんぼ

Q.直江兼続は何をした人?
A. 戦国時代から江戸時代えどじだいのはじめにかけて活躍かつやくした武将ぶしょうです。上杉景勝につかえ、上杉家をささえました。生まれたのは今の南魚沼市みなみうおぬましだといわれています。おさなころからかしこく、景勝と切磋琢磨せっさたくましながら坂戸さかとじょうそだちました。

南魚沼市六日町むいかまち地区の銭渕公園ぜにぶちこうえんにある、上杉景勝と直江兼続の像。

Q.兼続はどんな人だった?
A. 兼続が大切にしたのは「」―正しい心と人を思う気持きもちでした。領地りょうちの人々をまもるには、ただのお人よしではなく、強い相手あいてにもくじけない強さが必要ひつようでした。知恵ちえ勇気ゆうき両方りょうほうっており、人の心をつかむ力もありました。豊臣とよとみ秀吉ひでよしも「天下の政治せいじまかせられる一人ひとり」と高く評価ひょうかするほどでした。
 兼続といえば、かぶとに「あい」の字をかかげたことで有名ゆうめいです。たみを思う心や、信仰しんこう由来ゆらいするともいわれ、めずらしい前立まえだて※として今でも注目ちゅうもくあつめています。
※兜の前方につけられるかざりで、敵味方てきみかたに自分の居場所いばしょを知らせるためのしるし。

大河ドラマで一躍有名になった、愛の前立て。

Q.直江なおえじょうって何?
A. 秀吉がくなったあと、徳川とくがわ家康いえやすが上杉家をおとしいれようとしたとき、兼続は「人としてまちがっていませんか?」といかける手紙をおくりました。これが「直江なおえじょう」とばれるもので、強い相手あいてにもはっきりと意見いけんを言った兼続の勇気をしめすできごとです。

直江状のレプリカ。現物げんぶつは残っていません。

Q.兼続がきだったものは?
A. たたかいのときに便利べんりだった食べ物「あんぼ」です。これは「いるご」「えるご」とばれるくず米をこなにし、熱湯ねっとうでこねて丸め、いたりしたりしたものです。当時とうじは中に何も入れてなかったようでしたが、小説しょうせつ天地人てんちじん」には、しおづけの大根菜だいこんなをあんにしてつつんだと書かれています。

くず米の粉で作る「あんぼ」。長野県の「おやき」と似ているが、おやきは小麦粉で作るという違いがある。

Q.武将だけど農業のうぎょうを大切にした?
A. 米どころに生まれたかれは、「四季しきのうかい書」という本を書きました。そばやまめそだてること、武家屋敷ぶけやしきくりかき、あんずをえて食料しょくりょうやすこと、がきにうこぎ※を使つかうなど、くわしい工夫くふうが書かれています。
 景勝は家康いえやす敵対てきたいしたため、120万ごくから30万石にまで領地りょうちりましたが、兼続は身分みぶんの高い人の給料きゅうりょうらし、下のものには手厚てあつくしました。だれもが安定あんていしてらせるようにしたのです。「義」と、民を思う「愛」の心を実行じっこうした武将でした。
※ウコギ科の植物しょくぶつ。春にびてきた新芽しんめ収穫しゅうかくし、食用にする。

file-17 直江兼続の謎 その2~上杉家の関ヶ原~

取材協力しゅざいきょうりょく
南魚沼市 産業振興部商工観光課

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