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前島密まえじまひそか

Q. 前島密まえじまひそかって何をした人?
A. 近代日本きんだいにほん郵便制度ゆうびんせいどをつくった、下池部村しもいけべむら(今の上越市じょうえつし出身しゅっしんの人です。幕末ばくまつに日本を変えようとする薩摩藩さつまはん(今の鹿児島県かごしまけん)の活動かつどうに参加していました。薩摩藩は江戸幕府えどばくふたおそうとしていましたが、密は「たたかうよりも、日本の近代化が大切」と考え、故郷ふるさとに帰ったとき、薩摩へは戻らず、江戸(今の東京とうきょう)に行く決意をしました。それを伝える手紙てがみを出しましたが、薩摩には届きませんでした。薩摩の人たちからは「何も言わずにいなくなった」と、幕府のスパイだとうたがわれて命をねらわれたこともありました。この経験けいけんから「手紙」が確実かくじつとどくことの大切さを感じ、東京と大阪の間で初めての郵便制度を始めました。お金を先に払う「切手きって」や、全国ぜんこくどこでも同じ料金りょうきんなど、今の郵便のもとになる制度を作ったのです。

前島記念館きねんかん入口には密の銅像どうぞうもあります。

Q. どんなふうに育ったの?
A. 密は、赤ちゃんのときに父を亡くし、母に育てられました。読み書きや礼儀れいぎ道徳どうとくなど、人として大切なことは母に教わり「8歳までは、母が先生だった」と語っています。12歳のときに医者を目指して江戸に出ましたが、ペリーの黒船来航くろふねらいこうをきっかけに、国を守ることを考えるようになり全国をめぐります。測量技術そくりょうぎじゅつ英語えいごを学び、各地で教師きょうしとしても働きました。
そんな彼は食べることがとても好きで、たくさん食べたそう。中でも大好物だいこうぶつは「ちまき」。故郷からちまきが届くと、こどものように喜んだそうです。

保存食ほぞんしょくだったちまき。もちもちとした食感しょっかんのちまきをうれしそうに食べていたそう。

Q. 東京が首都しゅとになった理由りゆうにもかかわっていた?
A. 明治めいじ時代、日本の首都をどこにするかが話し合われたとき、政府せいふの中心人物だった大久保利通おおくぼとしみち大阪おおさかにしようと考えていました。けれども密は「江戸(今の東京)が良い」と、当時とうじの名前『前島来輔らいすけ』で意見書いけんしょを送りました。この手紙に心を動かされた利通は、首都を東京にすることにしたのです。のちに利通が「前島来輔という人に感謝かんしゃしている」と話したとき、初めて密は「それは私です」とち明けたそうです。

明治初期しょきの前島密

Q. 密はどんな人物じんぶつだった?
A. 利通に意見書を書いたのは自分だと言わなかったように、密は自分の手柄てがらを語らず自慢じまんしない人物でした。郵便制度だけでなく、早稲田大学わせだだいがく前身ぜんしんである学校の設立せつりつ新聞しんぶん創刊そうかん、首都決定など、日本の仕組しくみを良くする仕事に関わってきました。1円切手の図柄ずがらえがかれていることからもわかるように、今も多くの人に尊敬そんけいされています。

記念館の1階展示室かいてんじしつ。2階にも密にゆかりのある資料しりょうがたくさんあります。

取材協力しゅざいきょうりょく】前島記念館
https://joetsukankonavi.jp/spot/detail.php?id=9
上越市下池部1317-1

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