西脇順三郎
Q.西脇順三郎は何をした人?
A.順三郎は、小千谷市で生まれた詩人です。昭和33年(1958)に、谷崎潤一郎とならんでノーベル文学賞の候補になりました。日本語や外国語をつかって、新しいリズムやイメージの詩を生み出し、「ことばの魔法つかい」とも呼ばれました。

ロンドンで出版された順三郎初の詩集「スペクトラム」。
Q.どうして外国が好きだったの?
A.外国語に興味をもったきっかけは、本家の西脇済三郎がロンドンから絵や雑誌を送ってくれたことでした。こどものころから外国語にあこがれ、高校では授業のノートをすべて英語で書いていたほどです。そのためニックネームは「英語屋」。慶應義塾大学ではフランス語やドイツ語も学び、卒業論文はラテン語で書いて先生をおどろかせました。

「小千谷市ひと・まち・文化共創拠点ホントカ。」内には、「西脇順三郎ライブラリー」があり、順三郎にまつわるさまざまな資料が展示されています。
Q.なぜ詩人になったの?
A.はじめは画家を目指してフランスに行こうとしましたが、父の死でかなわず、済三郎に支えられて学びを続けられたそうです。大学で萩原朔太郎の詩集『月に吠える』を読み、日本語でも新しい詩を書こうと心に決めました。意味よりもイメージやリズムを大切にした詩は、それまでの日本の詩の世界に新しさをもたらしました。また、英語やイギリスの詩を日本に紹介し、英文学の広がりに貢献しました。
Q.有名な作品は?
A.順三郎はロンドンに留学し、多くの詩人や作家と交流しました。初めての詩集『スペクトラム』は、オックスフォード大学留学中に、当時、文学の中心地だったロンドンで出版し、大きな反響を呼びました。そして日本に帰ってから書いた『アムバルワリア』は、不思議で自由なイメージにあふれた名作として、今も多くの人に読まれています。ロンドン時代は、学びも生活もとても充実していた時期でした。

今でも読みつがれる名作「アムバルワリア」。
Q.順三郎はどんなこどもだった?
A.裕福な家に生まれましたが、ぜいたくな暮らしをせず、植物が大好きな人でした。小さいころは近所の友達とあまり遊ぶことはなく、姉と草花でままごとをしていたそうです。大人になってからも雑草をつむのが好きで、植物図鑑を持ち歩き、ぼろぼろになるまで使っていました。
好物は新潟の郷土料理『くじら汁』で、人生の最後にはくじら汁が食べたいと話すほど大好きでした。晩年はふるさとの小千谷に戻り、なつかしい味や自然に囲まれて暮らしました。

夏バテ予防として食べられる新潟の郷土料理「くじら汁」。
【取材協力】
小千谷市ひと・まち・文化共創拠点ホントカ。
西脇順三郎ライブラリー
https://www.city.ojiya.niigata.jp/site/library/nishiwaki.html
小千谷市本町1-13-35
