「佐渡島の金山」で世界文化遺産に登録された佐渡。金山だけでなく、佐渡の豊かな自然や歴史や伝統文化は、昔から海外の人たちから注目されてきました。今回は佐渡に魅了され、移住した海外の方たちに、改めて「佐渡の魅力」について伺いました。

◎マーカス・ソトさん
(アメリカ出身・「T&M
Bread Delivery Sado Island」)

 マーカス・ソトさんはアメリカ・ニューヨーク出身。妻・智子さんと佐渡へ移住したのは33年前。現在は週末だけ営業する天然酵母のパン店を営み、県内外のイベントなどで販売もしています。

 マーカスさんが暮らすのは、佐渡の山の上の一軒家。「ニューヨーク育ちと言っても、僕が育ったノースブロンクスは自然が多くのどかな所。子どもの頃からフロリダにいるおばあちゃんが畑仕事をするのも見ていたし、魚釣りもしていた。だから、無意識にずっと佐渡みたいなところで暮らしたいと考えていたのかもしれないね。」

 ニューヨークで結婚後、夫婦で世界中を旅した後に来日。「当時住んだ千葉は、田んぼはあったけれどあまり日本らしいとは感じなかった。子どもが生まれて、自然の中で子育てをしたいと思ったんだ。」住む場所を探すため、レンタカーで日本中を巡っていたときに、立ち寄ったのが佐渡だったそうです。

 マーカスさんに、佐渡のどんなところに魅力を感じたのかと聞くと、
「初めて佐渡に来たのが平成2年(1990)、ちょうどアース・セレブレーション(※)の時期。海外の人がたくさん来ていて、鼓童や、いろんな国のミュージシャンが演奏していて、子どもからお年寄りまでみんな自由で楽しそう。なんてファンタスティックな島なんだ!と思ったよ。それに、佐渡は海、自然に囲まれた素晴らしい島。それまでに世界中を旅して、いろんな国や町を見てきたけれど、佐渡は静かだし、安全。なにより日本の原風景がちゃんと残っている。こんな場所で子育てをしながら暮らしたい。」と佐渡への移住は即決だったといいます。

 佐渡の魅力は自然や風景以外にもあるというマーカスさん。佐渡は、島でありながら集落ごとに祭りや風習も異なり、古くから北前船で日本各地の様々な文化が渡ってきた「日本の縮図」とも呼ばれる土地。日本の豊かな文化を感じられるのも佐渡の魅力だといいます。

 「都会に比べて家賃も安いし、畑を借りて野菜づくりもできる。自給自足を目指していたから、佐渡なら自分が暮らしたいように生活できるのがいい。自分や家族のスタイルに合わせて家を直したり、家具を作ったり、畑仕事を楽しめるのは、僕にとって最高だと思ったよ。」

※アース・セレブレーション:太鼓芸能集団 鼓童が国内外で出会ったアーティストや文化人を佐渡に招き、自然の中で多様な文化を交錯させ、新しい地球文化を創造しようと、昭和63年(1988年)から佐渡市とともに開催している国際野外フェスティバル。

 移住して最初の頃は、外国人であるがゆえに、地元の人が話しかけるのは智子さんだけだったと話すマーカスさん。「だから積極的に地域の集まりに参加して、自分からたくさんコミュニケーションを取るようにしたんだ。僕という人間を分かってもらえると、佐渡の人は温かく迎えてくれる。野菜や魚のおすそわけを頂くこともよくあるよ。それに、暮らしてみて初めて、佐渡の人たちが、自分たちが住んでいる場所を、とても大事にしていることがよく分かったんだよ。」

 当初は夫婦で飲食店を営んでいたけれど、店が忙しくなるにつれ、子どもたちから「休みに一緒に遊べないの?」と言われ、自分たちがなぜ佐渡に移住してきたのかを思い返したといいます。店を閉め、自分たちが作っていた天然酵母のパンの販売を、町の中の古い家の一部で週3日だけ行い、子どもたちとの時間を大切にすると決断したのです。

 「自給自足を目指しているからね。住むところも古民家を自分たちでリノベーションして、そこにあった古い道具をコツコツ直しながら暮らしている。畑も、パンを作る仕事もしなきゃいけないし、だから毎日、やることがいっぱい(笑)。全て自分でしなくちゃいけないけれど、それが楽しい。自分で野菜を育てて、収穫して、食べる。それってとてもナチュラルで「自由」なこと。そういう暮らしができるのが佐渡。」とマーカスさん。

左からマーカス・ソトさん、妻の山﨑智子さん、息子の仁愛(のあ)さん


 最後に、マーカスさんはこう話してくれました。
 「佐渡は僕にとっての「大学」のような場所。ここへ来て、自分はこういう人間だったんだと見つめ直すことができました。自給自足の暮らしを目指すことで、僕ら夫婦のパートナーシップもより深まったと実感しています。」

◎ジャン・マルク・ブリニョさん
(フランス出身・ワイン醸造家)


 ナチュラルワインの醸造家として、フランス国内外にその名を知られるジャン・マルク・ブリニョさんは平成24年(2012)、佐渡に移住。以来、佐渡を拠点にして、日本はもちろん、フランスなど世界中を醸造の仕事で飛び回っています。

 ジャン・マルクさんはフランス・ノルマンディー地方の出身。フランスでは醸造家というと、家業を継いで醸造家になるのが一般的だそうですが、ジャン・マルクさんの家は代々薬剤師の家系。両親が美食家だったため、若い頃からワインの分析など化学の分野に興味があったそうです。

 学生時代は国際貿易を学び、ドイツのドキュメンタリー制作会社で仕事をした後、帰国して26歳のときにフランス中央部の都市・マコンの醸造学校へ。研修先のジュラ県で、ナチュラルワインのパイオニア、ピエール・オーヴェルノワ氏のワインに感銘を受け、ナチュラルワインの醸造家を目指す決心をしたといいます。

 ボジョレーやシャンパーニュ地方で醸造責任者として経験を積み、ジュラ県アルポワの畑を平成16年(2004)に購入。そこで造り始めた自身のワインで一躍、醸造家として名前を知られるようになりました。

 既にフランスで醸造家として成功していたジャン・マルクさんがなぜ日本、それも佐渡を選んだのかと聞くと、

 「理由はたくさんあります。まず、日本人パートナーとの間に息子が生まれて、子どもを日本の文化に触れさせたかったんです。そして僕のフランス・ジュラ県の畑が、もともと伝統的なワイン農家の畑だったので、ブドウだけの単一栽培でした。単一栽培は、農業本来の姿ではないと僕は思っていたので、そうではない場所でゼロから農園を作りたかったのです。」

 移住したのは、東日本大震災の翌年。多くの外国人が日本を離れる中であえて移住したのは「日本のために自分が何かできることをしたい」という思いもあったといいます。

 日本にはワイン造りで有名な土地が多くあります。その中で、佐渡を選んだ理由を聞くと、
 「日本へ移住しようと決めてから、僕が思う本当にいいワインを作るために、それまでいたジュラ県の土壌や気象条件と似た土地を、日本地図や地表図で探しました。最終的にこの調査に2年を要しました。そして、最後まで候補に残ったのが、佐渡と北海道のニセコでした。
 特に佐渡は、作物がおいしく育つ条件のひとつである標高差が大きく、
0メートルから1,000メートル級まである。そして、手つかずの原生林が残っている。これが僕にとってとても重要でした。人の手が入らない原生林や植物は見るだけでも勉強になりますから。他にも様々な条件を調べ、佐渡ならおいしいものができると確信しました。
 それともうひとつ。それまで農園があったジュラ県は、スイス国境に隣接した
山間地域で、僕が生まれ育ったのは海のあるノルマンディー。海の近くで暮らしたかったんです。」

 実際に佐渡に移住してからも、改めて佐渡に来て良かったと思ったと話すジャン・マルクさん。

 「佐渡は手つかずの自然が多く残っているし、人はいいし、文化的な土地でとても面白い。古い家がたくさん残っているし、鬼太鼓など民俗芸能も楽しい。何より食べ物がおいしい。佐渡は耕作放棄地がたくさんあると役所の人たちは嘆きますが、逆に僕のように自然農法をやりたい人間にとって、佐渡は天国のような場所なんですよ。」

 ジャン・マルクさんが考えるナチュラルワインは「100%ブドウだけで作ったもの」、つまり、ブドウとブドウについている酵母だけで発酵させたワインだといいます。

 「今の近代的なワイン醸造やブドウ栽培に関するテクニックは戦後以降の方法で、僕がやっているのは太古の時代から人間がやってきた方法。できるだけ人の手は加えずに、自然の力を信じてワインができるまで、お手伝いするというものです。そのため、ブドウ栽培はオーガニックや自然農法としています。後世の子どもたちのことを考えると、やはりその方がいいですからね。」

 収穫したブドウをワインにする過程で、何も足したり引いたりせず、自然の力で変化していく過程がとても興味深くて面白いと話すジャン・マルクさん。
「自然は、とても均衡が取れています。その自然の力で、ワインがどう変化していくかを観察するプロセスが、僕はとても楽しいのです。」
 佐渡は昔「島内で全ての物が作れる」といわれたほど全ての職人がいた島だったといいます。
 「例えば、ブドウをプレスする方法も、僕は色々試して、やはりプレス機は電動よりもブドウにストレスをかけない手動が一番いいことが分かりました。けれども、今は電動が主流で、手動のプレス機は、使い方も、機械の作り方も知る人が少ないんです。ワイン醸造の道具や機械はイタリア製が主流で、高価なうえに輸送費も高い。そんな時に、「佐渡は職人の島だった」と聞いて、佐渡の職人さんに手動プレス機を作ってもらえるようお願いしました。また、佐渡に来てから、沢根地区では明治時代にワインを作っていて、本州よりも出来が良かったらしいという話も聞いて、驚きました。僕が佐渡を移住先に選んだのは偶然じゃなかった。やっぱり佐渡に来て良かったと思いました。」

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