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赤塚不二夫あかつかふじお

赤塚りえ子ちょ「バカボンのパパよりバカなパパ」
幻冬舎文庫げんとうしゃぶんこ、2015年

Q.赤塚不二夫って知ってる?
A. みなさんは「おそまつくん」や「天才バカボン」を知っていますか? これらの名作漫画まんがいたのが、日本を代表だいひょうする漫画家まんがか、赤塚不二夫です。不二夫は子どものころに新潟市にいがたしんでいたことがありました。

Q.どんな子ども時代じだいごしたの?
A. 小さいころからを描くのが大好だいすきで、新潟にいたときから将来しょうらい、漫画家になるゆめを持っていたそうです。不二夫のお母さんは、いつも「お前はきっと売れる」とはげまして、全力ぜんりょく応援おうえんしていました。

Q.どんな風に作品さくひんを作ったの?
A. 不二夫の一人娘ひとりむすめである赤塚りえ子さんによると、「父はいつも仲間なかまたちと一緒いっしょにアイデアを出し合い、みんなで作品を作っていました。」みんなでたのしい漫画を作ることが大事だいじと考えていて、自分一人のアイデアで描いたと自慢じまんしなかったそうです。

Q.不二夫の好物こうぶつは何だったの?
A. 不二夫の大好物は水餃子すいぎょうざでした。みなさんは餃子といえばき餃子を思いかべるかもしれませんが、不二夫は中国ちゅうごくまれて、少しの間住んでいたことがありました。
 中国では焼き餃子ではなく、水餃子が一般的いっぱんてきです。モチモチした食感しょっかんの、お母さんが作った水餃子がきだったそうです。じょうゆで食べるのが不二夫のこだわりでした。

Q.不二夫はどんな人だったの?
A. 不二夫は、たくさんの人のサポートをしていたそうです。不二夫にはとてもシャイな一面いちめんもあったとか。りえ子さんによると「父は、本当は繊細せんさいでさびしがりや。だからまわりに人がたくさんいて、にぎやかにしているのが大好きだったんです。」

お話を聞いた人●赤塚りえ子さん

赤塚不二夫の長女。株式会社かぶしきがいしゃフジオ・プロダクションの代表取締役だいひょうとりしまりやく

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