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遺跡大好きな滝沢たきざわ先生に聞く!新潟の遺跡番付②【大関おおぜき編】

新潟県内にある弥生〜古墳時代の遺跡を、相撲すもう番付ばんづけふうにして紹介しょうかい
横綱よこづな編」に続いて今回は「大関おおぜき編」です。
滝沢先生の選んだ東西とうざいの大関は?

・新潟の遺跡番付「横綱編」はこちら→https://n-story.jp/?post_type=kids-culture&p=21421&preview=true

東の大関:斐太ひだ遺跡ぐん
妙高みょうこう市・上越じょうえつ
【弥生時代中期~終末期・国史跡、吹上遺跡ふきあげいせき出土品しゅつどひんは県指定】
「ムラ」の入れわりが分かる、希少きしょうな遺跡群

斐太遺跡の半分埋没まいぼつした竪穴建物たてあなたてもの
写真提供:妙高市教育委員会

Q.なぜ滝沢先生は、ここを大関に選んだの?

A. 全国ぜんこくでもめずらしい遺跡ぐんだからです。
 弥生時代中期ちゅうき 半ば 紀元前きげんぜん 1世紀せいきから終末期しゅうまつきの3世紀前半にかけて、妙高みょうこう市と上越じょうえつ市にまたがる半径はんけい1.5㎞のせま範囲はんいに、3つのムラ(※1)が入れわるように、場所をえてつくられていました。これは全国でもめずらしい。

 弥生時代、の中がまだ平和へいわな時はひくところにムラが造られ、たたかいなど緊張きんちょう状態じょうたいが高まっている時は高いところにムラが作られたと考えられています。この遺跡群は、そのことを鮮明せんめいあらわしています。
※1 縄文じょうもん・弥生時代を中心に、人々が集団しゅうだんで生活をいとなんだ竪穴住居たてあなじゅうきょ貝塚かいづか墓地ぼちなどで構成される遺跡のこと。

斐太遺跡群の一部いちぶである吹上遺跡では、ヒスイや緑色の石で勾玉まがたま(※2)や管玉くだたま(※3)が作られました。写真提供:上越市教育委員会、小川忠博撮影

※2 日本の古代こだい装身具そうしんぐ一種いっしゅともえ一片いっぺんに似た形で、穴があり、ひもを通して首などに掛けた。
※3 弥生時代から古墳時代にかけて多く用いられた円筒えんとう状の細長い古代の装飾品そうしょくひんで現在のビーズのようなもの。糸を通して腕飾りや首飾りなどとして用いられた。

Q.ムラはどうわっていったの?

A.弥生時代中期後半(紀元前1世紀ごろ)に、最初のムラ・吹上遺跡が、ひくたいらな場所につくられました。ヒスイや緑色の緑色凝灰岩りょくしょくぎょうかいがんという石を加工かこうしたアクセサリーをたくさん作って、長野県をはじめとした、東日本や西日本に広めていました。

 弥生時代後期(1世紀中ごろ~2世紀末)になると、米作りには向かない丘陵地きゅうりょうち(※4)に2番目のムラ・斐太遺跡が築かれ、敵からの侵入しんにゅうふせふかほり(※5)が二重にられました。ここでは今も約1,900年前の竪穴建物たてあなたてもの(※6)が完全かんぜん埋没まいぼつしていない状態じょうたい観察かんさつできます。

 弥生時代終末期(2世紀末~3世紀中ごろ)、最後さいごきずかれたムラ・釜蓋かまぶた遺跡は、ふたたひくい場所に造られましたが、まわりはかこまれていました。当時としては北陸ほくりく最大級さいだいきゅう面積めんせきの竪穴建物が見つかっています。遺跡は北陸ほくりく新幹線しんかんせん上越妙高じょうえつみょうこう駅の真ん前です。ぜひ、釜蓋遺跡かまぶたいせき公園・釜蓋遺跡ガイダンスで遺跡をかんじてください。

※4 山と平地の中間的てきななだらかな起伏きふくつづく小高い地形のこと。
※5 ムラをまもるため、ムラの周囲しゅういめぐらせたふかみぞのこと。
※6 地面じめんを30〜100cmほど掘り下げてゆかを作り、はしらを立てて屋根やねいた半地下しきの建物で、縄文時代から一般的いっぱんてきとなり、弥生時代の建物の基本きほんとなる建物のこと。

西の大関:古津八幡山ふるつはちまんやま遺跡
新潟市秋葉区あきはく
【弥生時代後期こうき、古墳時代中期・国史跡】
落ちるとい上がれない深いほりかこまれたムラ

遺跡の頂上ちょうじょうから越後平野えちごへいや一望いちぼうできます。ふもとにあるガイダンス施設しせつ「弥生の丘展示館てんじかん」で出土品しゅつどひんを見れば北陸ほくりく、東北、長野けん交流こうりゅうがあったことなど理解が深まります。
写真提供:新潟市文化財センター

Q.何がすごい遺跡なの?

A.すごいのは、まずムラのあった場所です。高くてとくに広いおかの上にムラがあるのは、弥生時代後期こうき(1世紀中ごろ~2世紀)の越後平野の遺跡では珍しい。しかも、落ちたら絶対ぜったいい上がれないほど、はばふかさも2m以上の濠にかこまれた、完璧かんぺきな高地性環濠集落こうちせいかんごうしゅうらく(※1)です。

 頂上には県内で一番大きい直径ちょっけい約60mの円墳えんぷんがあります。ムラ自体は弥生時代終末期(2世紀末ごろ)で絶えてしまっているのに、その約200年後に円墳が造られているのも不思議です。

 一体、だれが何のために、誰を埋葬まいそうしたのか、いまだになぞが多い遺跡です。
 この遺跡は竪穴建物や古墳が復元ふくげんされていて、東日本でこれほど整備された高地性環濠集落は他にありません。これを見ると、当時のムラの生活が想像しやすいですよ。

大人がすっぽり埋うまってしまうほどの深い濠。
写真提供:新潟市文化財センター

※1 戦いに備えて丘や山などの高いところにムラを造り、敵の侵入を防ぐため、周囲に堀をめぐらせた集落のこと。

【問い合わせ】
・斐太遺跡群
妙高市教育委員会生涯学習課文化振興係 tel.0255-74-0035
上越市教育委員会文化行政課 tel.025-545-9269
斐太歴史の里  https://www.city.myoko.niigata.jp/docs/653.html
釜蓋遺跡ガイダンス https://niigata-kankou.or.jp/spot/14454
・古津八幡山遺跡
新潟市文化財センター tel.025-378-0480
古津八幡山遺跡ガイダンス(史跡古津八幡山 弥生の丘展示館)
https://www.city.niigata.lg.jp/kanko/bunka/rekishi/maibun/kuni_furutsuhachiman/

この記事を作成した日:令和8年(2026)3月

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