遺跡大好きな滝沢先生に聞く!新潟の遺跡番付③【関脇編】
新潟県内にある弥生〜古墳時代の遺跡を、相撲の番付風にして紹介。
「横綱編」「大関編」に続いて今回は「関脇編」です。
滝沢先生の選んだ東西の関脇は?
「横綱編」はこちら→https://n-story.jp/?post_type=kids-culture&p=21421&preview=true
「大関編」はこちら→https://n-story.jp/?post_type=kids-culture&p=21481&preview=true
東の関脇:菖蒲塚古墳
新潟市西蒲区
【古墳時代前期・国史跡、出土品が県指定、国重要文化財】
県内最大の前方後円墳。かつては日本海側最北。

写真提供:新潟市文化財センター
Q,どうして、この古墳(※1)は関脇なの?
A. とても個人的な話ですが、私が新潟県で初めて見た前方後円墳(※2)が、この菖蒲塚古墳。古墳時代前期後半(4世紀後半)の古墳で、当時「日本海側で最北の前方後円墳」と聞いて、とても衝撃を受けました。
でも、その後で、令和2年(2020)に新潟市、令和7年(2025)には佐渡市と、もっと北で前方後円墳が発見され、菖蒲塚古墳は「最北」ではなくなってしまいました。
※1 3世紀半ばから7世紀にかけて、当時の権力者や豪族の墓として土を高く盛り上げて造られた墓。
※2 古墳時代に造られた円形の「後円部」と長方形の「前方部」を組み合わせた鍵穴の形をした墓。巨大なほど格が高い。
Q.価値が高いと思うのは、どうして?
A. まず県内の前方後円墳では、全長53mと最大なこと。そして、掘り出された青銅製の鏡も県内随一の大きさだからです。その鏡は東京国立博物館で保管されています。
また、古墳近くの遺跡からは、主に北海道で使われていた土器が大量に見つかっています。だから菖蒲塚古墳に葬られた人は、ヤマト政権(※3)と北方社会を結ぶ重要人物だったのかもしれませんね。
※3 4世紀から7世紀半ば頃、奈良盆地(大和)を中心に有力豪族が連合して形成した日本初めての統一的な権力組織。
西の関脇:西岩野遺跡
柏崎市
【弥生時代後期】
新潟は「西の文化」「北の文化」の交差点。それを示す地域の遺跡

地面に四角く掘られた穴が柱穴。 写真提供:柏崎市教育委員会
A. 建物の柱を立てる穴「柱穴」です。実は、この柱穴の形がポイントなのです。
当時の建物では、木の形に合わせ、円形に柱穴を掘るのが一般的でした。しかしこの遺跡では弥生時代後期の大型の掘立柱建物(※1)が見つかっていて、柱穴は方形(四角形)です。
実は畿内地方や西日本各地の特別な建物、例えば卑弥呼の宮殿とされる建物などの柱穴は「方形」。それを意識して、あえて方形に掘ったのではないでしょうか。
さらに柱穴は大きく、とても太い柱が立っていたと考えられます。弥生時代にこれほど大きい柱穴が掘られていたのは県内初で、ここから北では見つかっていません。
また、建物の近くにお墓がたくさんあること、そのうちの一基の副葬品が豊富なことも、他の遺跡と異なる点です。
※1 地面に直接穴を掘って柱を埋め込み、屋根を支える建築様式、床面が地下ではないもの。

ヒスイ製の勾玉(※2)や緑色の石の管玉など、埋葬された人の装飾品が出土しています。
写真提供:柏崎市教育委員会
※2 日本の古代の装身具の一種。巴(ともえ)の一片に似た形で、穴があり、ひもを通して首などに掛けた。
柏崎市は弥生時代後期前半から後半(1世紀中ごろ~2世紀)に、主に北海道で使われていた土器と九州北部で使われていた土器が見つかっている、全国で唯一の場所なんです。
日本海を往来する、北の文化と西の文化が交差する重要な地域だったんですよ。
問い合わせ/
・菖蒲塚古墳
新潟市文化財センター tel.025-378-0480
・西岩野遺跡
柏崎市教育委員会博物館埋蔵文化財係 tel.0257-47-2003
この記事を作成した日:令和8年(2026)3月