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吉田東伍よしだとうご

阿賀野あがの市立吉田東伍記念博物館きねんはくぶつかん所蔵しょぞう

Q.吉田東伍は何をした人?
A. 吉田東伍は、明治めいじ40年(1907)に日本全国の地名をまとめた「大日本地名辞書だいにほんちめいじしょ」を完成かんせいさせた人です。それまで全国的に地名をまとめた本はありませんでした。全国初の地名辞書を、東伍はたった一人でたくさんの本を読んで調べて作り上げました。

Q.どうやって「大日本地名辞書」を作ったの?
A.  東伍は31才から原稿げんこうを書き始め、朝6時に起きて、夜の10時まで毎日書き続けたそうです。完成には13年もかかりました。「大日本地名辞書」ができた時には当時の政治家せいじかや会社の経営者けいえいしゃの人たちが集まり、大きなお祝いの会が開かれました。その会場には東伍が書いた高さ4.5メートルの原稿用紙の山があって、みんなびっくりしたといいます。東伍は抜群ばつぐん記憶力きおくりょくをもっていて、見たものを一気に記憶でき、自分でも「1日図書館に行けば10日から15日分は書ける。」と言っていたそうです。

 吉田東伍記念博物館には東伍にまつわるものが展示されています。

Q.東伍の好物こうぶつは何だったの?
A. ごはんを食べる時間をしんで、毎日休まず原稿を書き続けた東伍が食べていたのは、主に食パンとたまご、夜は雑炊ぞうすい簡単かんたんな食事をしていたそうです。たまに牛肉を取り寄せてすき焼きを作っても、肉は食べずに肉のスープで雑炊にして食べるのが好きだったといいます。東伍が晩年ばんねんを迎えてからは白砂糖ざとうをのせた食パンに煎り卵、時にはカステラもいくつか食べていたそうです。

食パンはトーストせず、そのまま白砂糖をのせていたとか。
煎り卵と一緒に食べるのも昔からの習慣しゅうかんだったそうです。

Q.東伍が学校に通ったのは13才までだったって本当?
A.  偉業いぎょうげた東伍はその功績こうせきみとめられて文学博士になり、後に早稲田わせだ大学の教授きょうじゅになりました。しかし実は、彼が学校に通っていたのは13才まで。東伍はもともと大の読書好きで、かたときも本をはなさず「学校はわかりきったことしか教えてくれないので行く気はしなかった。」と語っています。

Q.ほかにはどんなことをしたの?
A. 東伍が17才のときに、生まれ育った町(今の阿賀野市)の歴史れきしを書いた
安田志料やすだしりょう」という本をつくりました。その若さで書いたとは思えないほど出来が良かったといわれたそうです。それに、全く分野のちがう日本の伝統芸能でんとうげいのうのう貴重きちょう資料しりょうも見つけて、みんなが読めるように「世阿弥十六部集ぜあみじゅうろくぶしゅう」にまとめました。能の研究けんきゅうが進む大きなきっかけを作った人でした。

取材協力しゅざいきょうりょく
阿賀野市立吉田東伍記念博物館
新潟県阿賀野市保田1725-1

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