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良寛りょうかん

富川潤一とみがわじゅんいち画『良寛とわらべ』:良寛記念館 所蔵しょぞう

Q.良寛ってどんな人?
A. 良寛は 江戸時代えどじだいに生まれたおぼうさんです。出雲崎いずもざきでお金持ちの名主なぬし山本家の長男として生まれました。跡継あとつぎになることを期待きたいされていましたが、18才のときにお坊さんになる道を選びました。

Q.どうしてお坊さんになったの?
A. 良寛は小さいころから本を読むのが好きで、おとなしい子どもだったようです。まわりの人とにぎやかにあそぶより、一人で勉強することが好きでした。お坊さんになった理由は、はっきりしていませんが、家をいで、名主として地域ちいきの人たちをまとめるリーダーになるのは、むずかしいと思ったのかもしれません。岡山県の円通寺えんつうじというお寺で修行しゅぎょうしたあと、いろいろな土地をたびしてまわりました。

さくらの花がころの良寛記念館入口

Q.良寛が好きだった食べものは?
A. 良寛は、決まったお寺にいるわけでなく、いろいろな土地で小さな家を借りてらしていました。食べ物は、「托鉢たくはつ」や「お布施ふせ」という方法で彼をしたう人たちからいただいていました。良寛は丁寧ていねいにお礼の手紙を書いたそうで、お酒をたくさんもらっていたようです。次に多いのがもちと、百合根ゆりねだったそうです。
昆布こんぶだしでて、少ししょうゆを入れてコトコト煮た百合根。
良寛は百合根のおいしさを歌にも書いています。
「ひさかたの ゆきかきわけて
さすたけの 君がほりけん
ささ百合根の さゆりねの
のさゆりねの あやにうまさよ」
(雪の下にかくれている小さなたけのこを見つけるのは、大変なことです。それと同じような苦労くろうをして、君がってくれた百合根は、本当に本当に、おいしく思います。)
この歌は良寛のために百合根を掘ってくれた人への感謝かんしゃの気持ちをんだ歌です。感謝しながらホクホクとした百合根を目を細めて食べる良寛の顔が浮かんでくるようです。

Q.はじめから人気ものではなかった?
A. 良寛はとてもやさしい人でしたが、はじめは地元の人たちになかなかけ入れてもらえませんでした。「えらい家の息子むすこなのに、人から食べ物をもらって暮らすなんて…」とよく思われていなかったのです。子どもたちにからかわれることもありました。でも、良寛はまったくおこらず、いつもニコニコとしていました。そんな姿すがたを見ているうちに、少しずつ人々の心が変わっていったのです。

良寛記念館には良寛にまつわる様々さまざまなものが展示てんじされています。

Q.良寛が今も愛される理由は?
A. 良寛はお金や影響力をもつことにこだわらず、どんな人にもやさしくせっしました。身分が高い人にも、そうではない人にも、同じように丁寧にき合いました。ある日、良寛の家に泥棒どろぼうが入ったことがありました。でも、良寛はたふりをして、っていきやすくしたそうです。この話からも、良寛のやさしさがつたわります。今でも多くの人に愛され、良寛の言葉や生き方を学ぶ人がたくさんいます。

取材協力しゅざいきょうりょく
良寛記念館りょうかんきねんかん
http://www.ryokan-kinenkan.jp
三島郡出雲崎町米田1

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