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遺跡大好きな滝沢たきざわ先生に聞く!新潟の遺跡番付④【小結こむすび編】

新潟県内にある弥生〜古墳時代の遺跡を、相撲すもう番付ばんづけふうにして紹介しょうかい
横綱よこづな編」「大関おおぜき編」「関脇せきわけ編」に続いて今回は「小結こむすび編」です。
最終回の「小結編」は特別に、3つの遺跡を紹介。
滝沢先生の選んだ小結は?

「横綱編」はこちら→https://n-story.jp/?post_type=kids-culture&p=21421&preview=true
「大関編」はこちら→https://n-story.jp/?post_type=kids-culture&p=21481&preview=true
「関脇編」はこちら→https://n-story.jp/?post_type=kids-culture&p=21488&preview=true

ひがし小結こむすび飯綱山いいづなやま古墳群こふんぐん南魚沼市みなみうおぬまし
【古墳時代中期ちゅうきから後期こうき県史跡けんしせき
古墳時代の社会しゃかい変化へんかしめす古墳の代表だいひょう

現在げんざい、古墳のかたちかるものもおおのこっている。撮影さつえい滝沢規朗たきざわのりあき

Q. どうしてここが小結なの?

A. 飯綱山古墳群は、古墳時代中期の社会の変化を示す代表格だいひょうかくの古墳ともえます。
古墳時代前期ぜんきには、越後平野えちごへいやで古墳が多くつくられましたが、中期になると突然とつぜん魚沼地方うおぬまちほうとく魚野川うおのがわ流域りゅういきに古墳が多く造られるようになります。

 そのころ朝鮮半島ちょうせんはんとうからうま日本にほんはいってきて、馬があらたな輸送手段ゆそうしゅだんとなります。するとヤマト政権せいけん(※1)はうみのルートにくわえ、りくのルートも重視じゅうしはじめます。
 人ひとが馬にってやまえ、魚沼地方にみ始めてムラ(※2)がえていった結果けっか、古墳が多く造られたのかもしれません。

 飯綱山古墳群は70ほどの円墳えんぷんが造られ、直径ちょっけい40mきゅう大型おおがたの古墳もあります。
やじり(※3)や甲冑かっちゅう(※4)などの武器ぶき武具ぶぐ馬具ばぐなどの鉄製品てつせいひん豊富ほうふ出土しゅつどしていて、それらから、群馬県ぐんまけん長野県ながのけんのどちらかと密接みっせつ情報交換じょうほうこうかんしていたとかんがえられます。
 わたしは長野県だと思っています。というのは、出土した土器が長野県で造られていたものと同じ系統けいとうであることと、長野の古墳と同じく、馬具が多く出土しているからです。

※1 3世紀後半こうはん、日本ではじめて成立せいりつした大規模国家だいきぼこっかで現在の奈良盆地ならぼんち東南部とうなんぶを中心にする豪族達ごうぞくたち政治連合せいじれんごう
※2 縄文じょうもん・弥生時代を中心に、人々が集団しゅうだん生活せいかついとなんだ竪穴住居たてあなじゅうきょ貝塚かいづか墓地ぼちなどで構成こうせいされる遺跡のこと。
※3 弓矢ゆみや先端せんたんけられる、標的ひょうてきさる刃物はもの金属きんぞく石製せきせい鋭利えいり部品ぶひんのこと。
※4 日本で戦闘時せんとうじ身体しんたいまもるために着用ちゃくようした防具ぼうぐ総称そうしょうのこと。

西にしの小結:保内三王山古墳群ほないさんのうやまこふんぐん
三条市さんじょうし
【古墳時代前期、後期、出土品しゅつどひん県指定けんしてい
古墳時代前期と後期の古墳が残っている!

越後平野えちごへいや信濃川しなのがわ右岸うがん地域ちいき。17基の古墳が確認かくにんされています。散策さんさくコースもあります。
写真提供:三条市

Q.どうして滝沢先生はここを西の小結にえらんだの?

A. 保内三王山古墳群は、古墳時代前期(3世紀後半~4世紀後半)と後期(6世紀)の古墳がまとまって残っている、新潟県内でもめずらしい古墳群だからです。

 前期の古墳は、約16mの前方後方墳ぜんぽうこうほうふん(※1)→約23mの円墳→約38mの前方後円墳というように、形や大きさが変わっていきました。それは古墳に埋葬まいそうされたムラの首長しゅちょう(※2)の地位ちいの変化か、ヤマト政権とのむすびつきのつよさか、単純たんじゅんに古墳の規模きぼを大きくしただけなのか、これから追求ついきゅうしていきたいところです。

 古墳時代中期の古墳は確認されていないので、古墳づくりは、古墳時代後期に再開さいかいされたと思われます。古墳時代前期の首長を自分じぶん祖先そせんとしてあがめる人々があられ、古墳を造ったのかもしれません。

※1 古墳時代前期を中心にきずかれた、しゅとなる後方部こうほうぶ方形ほうけい(四角形)、おなじ方形の前方部が連結れんけつした形の墓。
※2 集団しゅうだん統率とうそつするちょうのこと。

ひがし張出小結はりだしこむすび蔵王遺跡ざおういせき
佐渡市さどし
【弥生時代後期から古墳時代前期、出土品しゅつどひん県指定けんしてい
王様おうさまが住んでいそうな大規模だいきぼな建物

左右さゆうみぞ地中梁ちちゅうばりと柱が見えます。 写真提供:佐渡市

Q.どうして小結の遺跡が3つもあるの?

A. 蔵王遺跡は、ってみても遺跡の様子ようすまったからないのですが、遺跡の重要性じゅうようせいはトップクラスなので、どうしても小結に入れたかったのです。
 それに、私のいま本業ほんぎょうは、世界遺産せかいいさん佐渡島さど金山きんざん」を守り、価値を伝えること。というわけではありませんが、重要な遺跡であるにもかかわらず、現在は現地げんちでは遺跡の表示ひょうじがされていないので、佐渡の蔵王遺跡を番付の枠外わくがい「東の張出小結」として紹介させていただきます。

 まず見つかった建物の大きさ、建築方法けんちくほうほうがすばらしい! 
柱と柱のあいだを地中梁(※1)でむすぶ「布堀ぬのぼり建物」(※2)が柱ごと見つかり、これは新潟県唯一ゆいいつ。布堀建物は山陰地方さんいんちほう発祥はっしょうといわれ、石川県いしかわけんあたりまでは存在そんざいが確認されていますが、なぜ佐渡でも造られていたのかは「なぞ」です。

 さらに床面積ゆかめんせきが約60つぼで、柱がしずまないように、柱穴ちゅうけつそこ加工かこうされた木をいた大型の建物も見つかりました。建物のまわりには木のへいきずかれていたようです。かなりの規模の大きさに、ここに住んだのは当時の佐渡の王様か?と思えてきます。

写真上は青銅製せいどうせいの鏡「内行花文鏡ないこうかもんきょう・直径10.5㎝」、左下は「珠文鏡しゅもんきょう」。権威けんい権力けんりょく誇示こじする「威信財いしんざい」が出土。
写真提供:佐渡市

出土品。「五穀豊穣ごこくほうじょうを鳥がはこんでくる」として、鶏型にわとりがた土製品どせいひんふねけんの形の木製品もくせいひんはさまざまな祭祀さいしおこなわれたことを示しています。
写真提供:佐渡市

 そして、ここは出土品が豊富。県内では珍しい青銅製の鏡2面と鏃、他にはない土製品や木製品もたくさん見つかっています。建物や出土品から考えると、ここは弥生時代後半から古墳時代前半にかけて佐渡の中心地ちゅうしんちだったのかもしれませんよ。

※1 柱と柱の間を地中で連結れんけつする木材もくざい
※2 ふかい溝を掘り、※1を配置はいちした建物

問い合わせ/
・飯綱山古墳群
南魚沼市教育委員会社会教育課しゃかいきょういくか文化振興係ぶんかしんこうがかり025-773-3756
・保内三王山古墳群
https://www.city.sanjo.niigata.jp/soshiki/shimimbu/shogaigakushuka/bunkazai/maizoubunkazai/1607.html
三条市市民部生涯学習課しょうがいがくしゅうか文化財係ぶんかざいがかり0256-46-5205
・蔵王遺跡
佐渡市観光文化スポーツ部世界遺産課文化財係せかいいさんかぶんかざいがかり0259-63-5136

この記事を作成した日:令和8年(2026)3月

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