
file-135 まずは、一服。新潟ならではの茶道を体感(後編)
茶道は、過去と今を紡ぐ道
そして、未来へと思いをはせる茶人たち
江戸時代、新潟県はいくつかの藩に分かれており、新発田藩、長岡藩、高田藩の藩主がそれぞれ石州流(せきしゅうりゅう)、宗徧流(そうへんりゅう)、不白流(ふはくりゅう)を江戸から持ってきました。新潟に根ざす茶道は現代の茶人にどのように受け継がれ、未来に向かっていくのでしょうか。
400年、変わらぬ殿様直伝の作法~石州流越後怡渓派

新発田藩主溝口家の別邸であり、茶寮として使われた。庭は清水園と同じく縣宗知による。普段は重臣にも開放して茶会を催した。/国指定名勝 五十公野御茶屋

「高校を出てからも『お茶を続けたい』と通ってくれる子がいます。うれしいですね。お茶も、お菓子も好きで、一服で帰る人はまずいない。おうちで、ちゃんと急須で飲んできた子はお茶が好きですね」/内田さん(写真・左)
「お茶を飲むことが好きですね。あとは、人との出会い。私は口下手ですが、茶道なら話さなくても同席すると通じ合えます」/高松さん(写真・右)

溝口公が新発田藩主として入封したとき、出身の大聖寺(現・石川県加賀市)より菓子職人を伴った。材料である農作物の豊かさと相まって和菓子文化が醸成された。「寺町たまり駅」では日替わりでお茶と菓子をいただける。

重雄公が江戸幕府の庭方であった縣宗知(あがたそうち)を招いて築庭した。昭和20年代に柏崎市出身の庭師である田中泰阿弥(たなかたいあみ)が荒廃した同園を修復。全国的にも高い評価を得ている名園。/国指定名勝 清水園
茶道を次代につなぐ「越後大茶会 in アオーレ長岡」

「今後も全県から集まる方々で越後大茶会を開き、長岡市外でも持ち回りでやりたい。参加をご希望の方はお気軽にご連絡ください」/今さん

「お茶室独特のすがすがしいもてなしが好きです。何気ない道端の一輪を飾り、花咲く瞬間を共有するような、今にないコミュニケーション。この人のために何ができるのか、お金で買えない貴重で尊い時間を創り出す。心配りがなければできない作業です」/西脇さん

「戦争でまちが焼けた長岡から世界へ、平和の象徴である茶の文化を発信することは意義深いと思います。茶道だけではなく、最終的には日本の伝統文化を継承していく場所が長岡にできて欲しい」/和田さん
※越後大茶会
・開催日時/令和2年(2020)7月19日(日)午前9時30分〜午後4時30分まで
・開催場所/シティホールプラザ アオーレ長岡 アリーナ(長岡市大手通1丁目4-10)
流派は途絶えても人々の中に脈々と生きる〜高田伝来の不白流

「地元のお茶が語り継がれるように、膨大な資料から史実を探っています」/加藤さん
高田伝来の不白流を語る上で欠かせない茶人たち
●荒井宗二(1842-1905)
父も同名でやはり高田藩主榊原家の茶頭であった。文中の宗二は2代目となる。宗二は普通、「そうじ」と読むが、清水宗観や弟子であった加藤さんの祖父良作さんは「そうに」と呼んでいた。
●如心斎(1705-1751)
表千家中興の祖であり、現在の家元制度の基盤を築き上げた。茶道人口の増加とともに遊芸化する傾向を懸念して「七事式」という新しい稽古方法を考案。家元に伝来する道具への極め書きも始めた。
●三上宗心(1844-1919)
明治大正時代の上越の大茶人。多くの弟子がいた。
●清水宗観(1869-1944)
大正から戦前の大茶人。弟子の中には加藤良作のほか、柏崎市に茶道具のコレクションを寄付した木村寒香庵(かんこうあん)重義もいた。
●荻野宗次(1892-1989)
直江津のいかや旅館(のちホテルセンチュリーイカヤとなる)主人。昭和38年(1963)に協力者とともに「表千家同門会新潟県支部」を発足。
●加藤良作(1914-2017)
裕明さんの祖父。茶道具を扱っていた父から商売を譲り受ける。宗次にも習い「いかやさんに稽古(けいこ)に通った」と言っていた。「表千家同門会新潟県支部」の発足に協力。
■ 取材協力
寸真庵 内田 恭翠さん/新発田藩茶道石州流越後怡渓派茶道翠涛会
寸松庵 高松 利翠さん/新発田藩茶道石州流越後怡渓派茶道翠涛会
加藤 裕明さん/有限会社遊心堂
和田 裕さん/長岡市茶道文化協会 会長
西脇 美智子さん/長岡市茶道文化協会 事務局長
今 千春さん/長岡市茶道文化協会 企画委員長
※問い合わせ:長岡市生涯学習文化課内長岡市茶道文化協会事務局 電話:0258-32-5110
■ 参考資料
アートサロン遊心堂ホームページ「郷土上越の茶道」