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file-41 今だから知りたい新潟の奇談 ~河童の手と秘伝の妙薬

河童の手と秘伝の妙薬

手を切られた河童

青島の妙薬伝来の事『越之風車』巻之三

青島の妙薬伝来の事『越之風車』巻之三
明和8年(1771)
新潟県立歴史博物館蔵


河童図 個人蔵

河童図 個人蔵


河童の手 個人蔵

河童の手 個人蔵


川太郎碑 小千谷市三仏生

川太郎碑 小千谷市三仏生
新潟県立歴史博物館提供


河童まつり 新潟市西蒲区針ヶ曽根

河童まつり 新潟市西蒲区針ヶ曽根
本井晴信氏提供


藁苞に入れるキュウリ漬け

藁苞に入れるキュウリ漬け
新潟市西蒲区針ヶ曽根 本井晴信氏提供

 背中に甲羅を背負い、頭に皿がある河童は、日本人にとって最も親しみのある妖怪ではないでしょうか。新潟県では河童を「カッパ」「コッパ」「スイジン」「カワウソ」などと呼んでいます。河童は川や沼を住処(すみか)とし、いたずら好きで、ときには人間の命を奪ってしまう妖怪として信じられていました。河童は人間だけでなく馬にも執着する妖怪とされ、河童が馬を水中に引き込む「河童駒引(かっぱこまびき)」の話は日本各地に伝わっています。河童は、肛門にあると想像された尻子玉(しりこだま)を好み、それを引き抜くため人間や馬を襲ったものと伝えられています。

 悪さをする河童のなかには、人間に捕まってしまった河童もいたようです。新潟市南区の中ノ口川沿いに位置する佐藤家の先祖は、キュウリ畑を荒らしている河童を生け捕りにし、松の木に縛ったと伝えられています。当家ではその様子を描いた河童図を所蔵しており、河童に嘆願されて逃してやると、それ以降、畑が荒らされなくなり、川で溺れる人もいなくなったと伝えられています。

 このような河童が人間に捕らわれた話は日本各地に伝わっており、捕まった際に人間に手を切られた河童の伝承も広くみられます。そうした由来とともなって「河童の手」と伝えられる奇妙な手も各地にあります。掲載写真の河童の手は、江戸時代後期に筑後国から越後の某所にもたらされたと伝わるものです。河童の手を借りて妊婦の枕元に置くと、お産が軽くなると伝えられ、不思議な呪力(じゅりょく)をもつものとされていました。

 県内には河童を信仰の対象とする地域もあり、小千谷市三仏生の白山神社境内には、「川太郎」と刻んで河童を祀(まつ)った碑があります。河童が馬小屋に侵入して尻子を抜いたため、二度と悪さをしないよう鎮めるため建立したと伝えられ、毎年7月24日に神職を招き供養しています。このほか、中ノ口川沿いに位置する新潟市西蒲区針ヶ曽根では、河童を捕まえた日の7月1日を「河童まつり」と呼び、赤飯とキュウリ漬を藁苞(わらづと)に入れて川に流す行事があります。


河童から伝授された妙薬「あいす」

河童から桑原家に伝授された薬 個人蔵

河童から桑原家に伝授された薬 個人蔵


良寛書「水神相伝」 個人蔵

良寛書「水神相伝」 個人蔵


猫山あいす 猫山宮尾病院蔵

猫山あいす 猫山宮尾病院蔵

 悪さをして人間に捕われた河童は手を切られ、その手を返してもらう見返りに、骨継ぎや打ち身、ねんざ、止血などに効能のある秘伝薬の製法を人間に伝授することもあったと伝えられています。

 江戸時代に「河童医者」と呼ばれた長岡市島崎の桑原家は、河童から授かったとされる妙薬を所蔵しています。この薬は止血に効能があったといわれています。袋を開けてはならないと言い伝えられており、内部の詳細は不明です。

 宝暦6年(1756)の『越後名寄(えちごなよせ)』の記事には、その薬を懐中にいれて席につくだけで、たちまち患者の血が止まったと記されています。薬の原料や成分は不明ですが、双六石に似たかたちで、長さが7、8分(約2㎝)であったと記されています。

 また、桑原家の近くには良寛終焉(しゅうえん)の地とされる木村家があり、良寛が河童の話とその妙薬について記した『水神相伝』の書が桑原家に所蔵されています。この書では桑原家に伝わる河童の妙薬の名前を「阿伊寿(あいす)」と記しています。

 河童から伝授された妙薬を「あいす」と呼ぶ例は、桑原家に限らず新潟県内に少なくありません。その主な原料は、酸化鉄を含有する赤土である無名異(むみょうい)、キハダの樹皮である黄檗(おうばく)、ヤマモモの樹皮である揚梅皮(ようばいひ)などで、これに酢と水を調合して使用します。新潟市中央区にある猫山宮尾病院では、近年まで河童から伝授された「猫山あいす」の湿布薬が処方されていました。「猫山あいす」は深緑色の粉末で、これを水や酢で溶き、耳たぶぐらいの硬さになるまで練った後、和紙にのばして患部に張りました。

 それにしても、なぜ河童の薬が「あいす」と呼ばれていたのでしょうか。湿布薬として患部を冷やすための「ice=あいす」では無論なく、薬を「酢と和える」ため「和え酢(あえす)=あいす」とする説もありますが、その語源はわかっていません。



 


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