縄文時代の布、「アンギン」。カラムシやアカソ、アオソなどの植物の繊維を糸にし、織機を使わずに作られた布です。弥生時代に大陸から織物の技術が伝わると、アンギンはその姿を消してしまいました。長い間「幻の布」とされたアンギンを追い求め、再びよみがえらせたのは、新潟の人々でした。
明治39年(1906)、新潟の民俗研究者・小林存(ながろう)が秋山郷でアンギンの調査を開始し、昭和28年(1953)、ついに江戸時代後半から明治時代中頃までに作られたアンギンの実物が中魚沼郡津南町結東(けっとう)集落で発見されました。その後も、同町や十日町市でアンギンの作業着や道具が次々と見つかり、津南町の民俗学者・滝沢秀一(ひでかず)が失われた製作技術の再現を達成しました。

民俗資料として現存するアンギン。左は実物資料の中で一番多い「袖無し」。上着として用いられました。右は労働の際に体や服を守る「前掛け」。いずれも国指定重要有形民俗文化財。所蔵:十日町市博物館、画像提供:新潟県立歴史博物館
妻有地域には、現在もアンギンの製作技術を伝える団体があり、体験イベントや講習会などが開催されている中で、たったひとりでアンギンの再現と製作を行っている人物がいます。それが十日町市に住む、岩田重信(しげのぶ)さんです。
岩田さんに、なぜひとりでアンギンを再現しているのか、またアンギンの魅力についてお話を伺いました。
縄文人が作ったアンギンを再現

岩田重信さん。江戸時代から続く機屋(はたや)に生まれ、重信さんは6代目にあたります。糸を染め、紬(つむぎ)や絣(かすり※1)などを機織りで織ってきました。平成23年(2011)の東日本大震災とその直後の長野県北部地震の影響で家業を畳み、現在は畑仕事をしながら、アンギン製作に力を注いでいます。
―こどもの頃から、糸と布に囲まれて育ったそうですね。
岩田 こどもの頃は、作業場が遊び場でしたので、糸や布は身近な存在でした。絣のくくり糸(※2)をほどく手伝いをよくしていました。
6代目を継いでから、独学で草木染めを始めました。十日町の植物で十日町の色を出したい、この土地の草木にしか出せない季節のさまざまな色を出したいと思っていろいろ研究しました。
※1 文様の形がかすれて見えることを特徴とする織物の技法で、糸をくくり糸で縛るなどして部分的に防染処理し、まだらに染まった糸で織り上げることで模様を表す。
※2 絣の製造工程で防染に使われる糸のこと。

家業を営んでいた時の作業場。天井には優しい色合いに染まったたくさんの糸。かつて使われていた織り機に歴史が感じられます。
―アンギンとの出会いはいつでしたか。
岩田 平成6年(1994)に、十日町市博物館で開催された企画展『越後アンギン』を見て、「これは自分でも作れるのでは」と思ったのがきっかけでした。
そこから、骨董店で江戸時代末期に使われていた道具を探し出し、図録に載っていた作り方を見ながら作ってみたんです。
2本のタテ糸を交互に絡ませるようにヨコ糸に挟み込んでいくのですが、簾(すだれ)を作るのとほぼ同じなので難しくはなかったですね。一作目は家にある絹糸を使って、タテ糸の間隔が1センチの目の粗い小さな布を作りました。

岩田さんが骨董店で見つけた幕末頃のアンギン作りの道具。「ケタ」と呼ばれる横木にタテ糸を掛ける溝が刻まれています。タテ糸の両端には垂直に張力をかける錘(おもり)として「コモヅチ」が巻き付けられています。
―縄文時代のアンギンを再現しようと思ったきっかけを教えてください。
岩田 博物館の学芸員の方から、「縄文時代のアンギンは、出土した布の痕から考えると、タテ糸の間隔が2~3㎜の細密なものがある」と教えてもらったのがきっかけです。
二作目にそれを作ってみようと、カラムシの糸で、タテ糸の間隔を2㎜にして、縄文時代の人々が作っていたようなアンギンに挑戦したんです。ケタに細かな溝を作る方法が分からなかったので、鉄工所に作ってもらいました。
縄文の人たちは、ノコギリもない時代にどうやって細かな溝を作ったのか、本当に謎です。いざ作り始めたら、今度は問題がいろいろ発生しました。

二作目で使った道具。糸を掛けるケタは鉄製、コモヅチはアルミで作られています。

ケタには2㎜間隔で溝が刻まれ、そこにタテ糸がかけられます。タテ糸の両端に巻かれているのがコモヅチ。
―その問題というのはなんですか。
岩田 タテ糸を、一目おきに溝に掛けるのですが、溝が細かすぎて、掛ける場所をしょっちゅう間違えてしまうんです。コモヅチも数が多く密集するので、その中から正しい1本を取りだすのがとても大変。さらに張力が一定に保てず、布の端の部分がデコボコになってしまったりで、間違えてはほどいて作り直し、一日8時間やっても2mmしか進まず、50㎝折るのに5年以上かかりました。
そうこうするうちに中越大震災が発生して糸が切れてしまい、二作目の製作は中止。今も当時の状態のまま残してあります。

中越大震災で製作をやめた二作目のアンギン。触ると思いのほか柔らかいことに驚きます。
―「縄文のアンギン」は、どんな道具を使って織っていたか分からなかったと聞きます。さぞ苦労したのではないでしょうか。
岩田 正直、縄文のアンギンの再現がこんなに大変だとは思いませんでした。けれど、どんな道具を使っていたか分からないからこそ、なんとかしようと思って、自分なりに道具を工夫してみたんです。
まず、タテ糸をかける溝に一つおきに印を付け、コモヅチにも一つおきに印を付けたら、かけ間違いがぐっと減りました。また、糸をすくうのにクルミの実を取る道具を使ったら、驚くほどやりやすくなり、能率が上がりましたね。
そして布の耳がまっすぐそろうように、糸の張力を一定に保つ補助具を作ってケタに取り付けたんです。
自分で考えたことを何でもやってみる、そこが縄文時代のアンギン再現製作の楽しさでもあるんですよ。

一目おきに溝に赤で印を付け、タテ糸をかける溝の間違いを防止。

クルミ取り具の先端の反りが糸をすくいやすいそう。

自作の補助具で糸の張力を一定に保ちます。

岩田さんは機織りの筬(おさ※)を利用してケタを作りました。タテ糸の間隔はなんと1.2mm。コモヅチは細い笹を使っています。
※織物を織る際にタテ糸の密度を決めて整えたり、ヨコ糸を打ち込んだりするために使われる、くし状の道具。
―アンギンは、糸づくりがとても大変だと聞きます。
岩田 ケタの間隔が3mm以上であれば、野にあるカラムシやアカソを細く裂いて、機結び(はたむすび※1)や苧績(おうみ※2)の方法で長い糸をつくり、それによりを掛け、さらにそれを2本合わせて逆よりし、縄を作ります。
ケタの間隔が1.2〜2mmの場合は、麻織物(越後縮)用の極細のカラムシの糸を使い、よりを掛けて縄にします。ここまでしてようやくアンギン製作が始められます。
※1 糸同士を素早く小さくほどけにくい結び方で結ぶ方法。もともと機織りの際に切れた糸を結ぶために使われていた結び方。
※2 苧(お)と呼ばれる麻やカラムシなどの植物繊維を、手で細く裂いてより合わせ、糸にしていく伝統的な製法のこと。「糸づくり」の最も重要で、かつ熟練を要する工程。

乾燥中のアカソ。何段階もの工程を経て、赤味を帯びた糸になります。

岩田さんは糸をよるときには糸巻きの道具「ワク」を使います。
―糸の種類やより方、タテ糸の間隔などをさまざまな組み合わせで製作する目的を教えてください。
岩田 縄文時代のアンギンの製作方法には謎が多く、それを解き明かすことです。再現には原料を扱う知識と多くの時間が必要です。
いろいろな素材の糸でいろいろな織り方をして、縄文時代にあったとされる緻密なアンギンの布を再現していきたいです。

岩田さんが作ったサンプル用アンギンのファイル。素材や織り方など詳細に記録されています。

漆(うるし)こし※用として作ったアンギン。左はカラムシの糸でタテ糸の間隔が1.2mm。右はカラムシの糸でタテ糸の間隔が2㎜。糸の太さや織り方で風合いが全く違ってきます。
※漆の液を精製する際に不純物を取り除くための道具。

サンプル資料製作の合間に、岩田さんが「遊び」として作るというアンギンの作品。
―岩田さんは、なぜ縄文時代のアンギンにこだわるのでしょう。
岩田 私の住む町内に、国宝・火焔型土器が出土した笹山遺跡があります。その有名な火焔型土器にも劣らない縄文時代の緻密なアンギンがこの地域でも作られていたようなので、江戸時代の目の粗いアンギンよりも、縄文時代のものに興味が向きます。

取材時は、アカソの糸でタテ糸が3㎜間隔の「袖無し」を製作中。
―岩田さんが思う、アンギンの魅力とはなんですか。
岩田 一言でいうと、表情があることですね。質の悪い素材であっても手をかけたものは味が出てくるんです。丁寧に一つ一つ織り、そろばんの目のように布目がきれいにそろったときはうれしいですよ。太いところと細いところがある不規則な感じもまたいいんです。
アンギンは一般的には編み布で「編む」と言いますが、タテ糸がしっかりしているアンギンは「織り」の仲間。織物をやっていた人間としては「織り」と言いたいですね。

そろばんの目のような均一な布目のアンギン。
―岩田さんのアンギン再現のこれからを教えてください。
岩田 これからも難しいことにチャレンジして縄文時代にあったとされるアカソの極細糸でのアンギン製作や、縄文の人々が着ていたかもしれない腰布(スカート状)などに挑戦していきたいです。
製作の実演もたくさんの人に見てもらい、夢はイギリスの大英博物館の玄関前でアンギンの実演をすることです。
日本中に存在した縄文のアンギン
「岩田さんが作るアンギンは、いろいろなパターンで再現されているため、とても面白いんです。『目がもっと詰まったものを作れますか』、『自然のもので道具を作る方法を考えてみてください』など、岩田さんに無理なお願いをしています。」と話すのは、新潟県立歴史博物館でアンギンの復元研究を続けている宮尾亨(とおる)さんです。
「アンギンは手仕事の領域なので、その技能を持ち、それを高めていこうという意志がある人でないとなかなかできないことです。」

新潟県立歴史博物館の専門研究員・宮尾亨さん。専門は縄文時代。遺物を手掛かりに、当時の生活を復元して、人々の行動を明らかにする実験考古学の視点からアンギンの謎に迫っています。
縄文時代のアンギンについてはいまだに多くの謎に包まれていますが、これまでの研究から分かってきたこともあるといいます。
「将来、どこかで縄文時代のアンギンの実物が発見される可能性も捨てきれません。」と宮尾さん。
「少なくとも、縄文時代中期後半には日本中にアンギンが存在していました。縄文遺跡から漆をこした布の断片や、土器を作るときに粘土の下に敷いた布の圧痕がある遺物が、全国で見つかっています。村上市(旧岩船郡山北町)の上山(うえのやま)遺跡で出土したこどもの足形を押し付けた土版(どばん※)が最初の発見例で、裏面にアンギンとみられる布目の跡がついていました。規格化した細長い小石がまとまって出土する遺跡も多数あり、糸の錘(おもり)として使っていたのではないかと考えられます。」
※縄文時代晩期に東日本の縄文文化で主に作られた、長方形または楕円形の板状の土製品。
宮尾さんは、縄文時代のアンギンには目が細かく、柔らかくて肌触りが良いものがあり、衣服としても使っていたのではないかといいます。
「アンギンは、防寒や作業のための着物の下地としても使われていたと思われます。冬場の狩猟で、男性は毛皮の下に通気性の良いアンギンを着て、出た汗が凍って体が冷えるのを防いでいたとも考えられます。狩猟採集の世界では、植物に関することは女性が主となることが多く、縄文時代の布づくりも、女性が担ったと想像しています。植物繊維の特徴をしっかり理解していたからこそ、通気性と柔らかさを持つ布を作り上げることができたのだと思います。」
参考文献/
「編布の発見―織物以前の衣料―」(著:滝沢秀一 2005年)
「アンギンと釜神さま 秋山郷のくらしと民具」(著:滝沢秀一 1990年)
「越後のアンギン 編布から織布へ」(編:津南町教育委員会 1963年)
「すてきな布 アンギン研究100年」(編:新潟県立歴史博物館 2017年)
「高志路 第395号」(編:新潟県民俗学会 2015年)