大泉寺は日本海を見下ろす海抜二〇〇メートルの大清水の山上にあって、米山開山の僧・泰澄の創建とされる真言宗の名刹である。眼下には日本海、北に弥彦山、西に頚城平野から妙高連山がのぞまれ、山岳信仰の霊場であった名残りを感じさせる。
古くは八幡太郎源義家が参拝したとされ、歴代武将の尊崇を受けた。戦国時代には越後守護上杉房能、国主上杉謙信公、その養子の景勝等が参拝し武運の長久を祈っている。
室町時代末期の永禄二年(一五五九)落雷で堂宇が焼失し、直ちに再建に着手し翌三年に再建された。堂は、桁行三間、梁間四間、茅葺き寄せ棟造りの禅宗様建築で、簡素な構造ではあるが、再建以前の形式や手法がみられる。
明治三十九年に国の古社寺保存法により指定を受け昭和四年国宝保存法により国宝、昭和二十五年文化財保護法の制定により重要文化財に変更され今日にいたる。
昭和二十五年から二十六年国費の補助を受け総工事費四〇〇万円で解体修理に着手、解体中に組み物の一つの肘木に文禄二年(一五九三)の墨書きが見つかり、昭和三十年六月に観音堂文化財に追加で「肘木」が重要文化財の指定をうける。
御本尊(秘仏)の前立観音像である銅造千手観音菩薩坐像と、境内に隣接している飯綱社本殿は県指定文化財、山門の仁王門と木喰上人が詩を刻んだ木額が市指定文化財となっている。越後観音巡礼三番札所でもある。(所在 大字大清水)
出典:『風のいろ 柏崎市民文化誌 2004年創刊号』『柏崎市の文化財』
提供元:柏崎市教育委員会 博物館
画像提供元:柏崎市教育委員会 博物館