煙管の産業が始まったのは江戸中期で会津からその技術が導入されました。煙管には、「羅宇(らう)煙管」と「延(の)べ煙管」があり、前者は火皿がついているカシラと呼ばれる部分と吸口を羅宇(ラオスの竹という意)で継がれているもの、後者は金属だけで全体が作られています。
煙管の産業は燕の鍛金技術と彫金技術が一体となって発達し、日本の煙管の一大産地として燕の名を広めましたが、紙巻き煙草の普及により衰退していきました。機械による量産品が多くなった現在でも手作りの技術は引き継がれ、伝統の技術を守る人たちの手による製品は、やがて美術工芸品として扱われるようになりました。
出典:
『つばめいいとこ巡り』(燕市観光ガイド)
提供元:燕市役所分水庁舎観光振興課観光物産係