幕末の塾舎、絆己楼は、嘉永6年(1853)に大野敬吉先生が私塾として建て、その名を命名しました。階上の10畳2間を教室として、階下の12坪半(畳37.5枚の広さ)の板間を剣道場としていました。幕末の塾舎のほとんどが失われている今日、往時のまま保存されている絆己楼は、志篤い多くの若者を育てた貴重な建物として大野家が大切に保存しています。また大野家の表門は門幅6mの木造瓦葺屋根の四脚門で、元水原代官所の門でしたが明治中期に移って建てれたた物です。
絆己楼と共に町の有形文化財に指定されています。
出典:
『果樹と海の王国 聖籠町』
提供元:聖籠町 産業観光課
画像提供元:
聖籠町 産業観光課