米百俵

「米百俵」の精神は、明治のはじめに戊辰戦争で焼け野原になった長岡藩に、三根山藩が見舞いとして百俵の米を送ったのが始まりです。三根山藩は長岡藩牧野家の創主・牧野忠成公が、寛永十一年(1634)に四男定成公に六千石を分け与えたことに始まります。城も町も焼かれ困窮に陥っていた本家長岡藩の窮状に三根山藩主忠泰公が心を傷め、明治三年(1870)四月から五月の初めに、君臣、領民一体となって長岡藩を救うべく「米百俵」を送ったのです。
その当時、窮乏を極めていた長岡藩士は、三根山藩から送られてきた米が自分達に分配されるものと思っていました。しかし、藩の大参事小林虎三郎は、「国が興るのも町が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ」として、米を売却し、その代金を国漢学校建設の資金につぎ込みました。ここに長岡の近代教育の基礎が築かれ、後年、新生日本を背負う多くの人材が輩出されることとなります。「米百俵」の故事は、文豪・山本有三の同名の戯曲によって広く知られるようになり、近年では小泉純一郎首相が総理大臣就任演説で取り上げたことで再度脚光を浴びました。小林虎三郎の思想は、今なお多くの人々に深い感動を与えています。

出典:
『まき四季彩物語』(観光パンフ)
提供元:新潟市巻支所商工観光課

画像提供元:
新潟市巻支所商工観光課

所在地

新潟市

アクセスマップ

投稿者: 新潟県文化課
掲載日時: 2015年3月31日 05:03

一覧へ戻る