小倉実起は、自分の娘が第一皇子をもうけているのに、皇位継承させようとしない天皇に抗議したため、天和元年(1681)に父子3人で配流になった。実起らは流人ではあったが、生活は束縛されなかったので、奉行所の役人や山師、町人などに、漢詩や歌を教えたりしたという。鹿伏の観音寺には、小倉大納言実起・長男宰相公蓮の墓があり、実起の持仏ともいわれる「銅造観音菩薩像」がある。
出典:
『佐渡百選』
提供元:佐渡市観光課
および佐渡観光協会
画像提供元:
佐渡観光協会
小倉実起は、自分の娘が第一皇子をもうけているのに、皇位継承させようとしない天皇に抗議したため、天和元年(1681)に父子3人で配流になった。実起らは流人ではあったが、生活は束縛されなかったので、奉行所の役人や山師、町人などに、漢詩や歌を教えたりしたという。鹿伏の観音寺には、小倉大納言実起・長男宰相公蓮の墓があり、実起の持仏ともいわれる「銅造観音菩薩像」がある。
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『佐渡百選』
提供元:佐渡市観光課
および佐渡観光協会
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佐渡観光協会
佐渡市相川鹿伏407
観音寺
電話:0259-74-2251
投稿者: 新潟県文化課
掲載日時: 2015年4月17日 00:11