昔から幾度となく信濃川の水害に苦しめられてきた小合地区で、チューリップの球根栽培に果敢に挑戦し、日本で初めて商業栽培を成功させたのが小田喜平太です。小合は、単作地帯には珍しく副業の盛んな地区でしたが、明治期の小合の花は投機的な品種栽培が流行したこともあり、たびたび売買制限を受けていました。
この事態を憂えた小田は、千葉高等園芸学校からチューリップの新品種を導入し、郡農林技手の指導を受けながら、大正7年とうとう商業栽培の礎を築き上げたのです。大正10年にはさらにオランダから10万球を導入し、小合の球根栽培を発展へと導く大きな原動力となって活躍しました。
昭和30年頃からは多種多様な園芸品を取り扱うようになり、現在では指折りの花き花木の生産地として全国に知られています。
出典:
『新津NIITSU(新津道先案内本)』
提供元:新潟市新津支所農・産業振興課