昭和30年代以前の国道に53号線の田沢~犬伏間の渋海川沿いの道路は、犬伏城址からの急崖が渋海川に落ちくだり、冬の交通を遮断していました。商品物資の調達も列を作ってカンジキと杖を頼りに命懸けの雪中行軍で、頭上からの雪崩に気を配り、先に進む人の足跡を拾って歩く恐ろしいものであり、逓送夫や一般の通行人が雪崩と共に川に押し出されて命を落とすことも少なくなく、事故者の収容にも困難を来したものでありました。魔の要路の最難箇所だけでもせめてトンネルが欲しいとの願いが叶い、田沢・犬伏炭坑の間に幅員1.8m、高さ2.2m、長さ221mの雪中トンネルが昭和32年~35年の4年間連続工事で完成しました。第2雪中トンネル(394m)が翌36年~38年までに出来、全長615mもあるトンネルですが、昭和35~36年頃まではトンネル内に照明はなく、通行人たちは出入り口に備え付けられた提灯・マッチ・ロウソクなどの明りを利用していたようです、人々はこのトンネルを『昭和の青の洞門』と呼び、以後約15年間程利用しておりましたが、昭和54年4月に田沢トンネルが開通し、冬期の最難箇所区間の問題は解消されました。しかし、過酷な雪国生活の文化と、それを克服する人々の知恵が物言わぬ遺産として洞窟が語りかけております。
出典:『田舎はいつまでも田舎であってほしいから(村山達三著)』
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