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file-6 山古志・中山間地の景観再生~新潟県中越地震から3年、再び故郷で暮らすために~


中山間地の生き残りをかけて

復興住宅

景観にとけ込む外観と自然素材を使用しコストダウンを図った復興住宅。かつては小学校があった丘に、この住宅による小さなコミュニティーができている。

 2007年8月、震災後は長岡市の別会場で開いていた闘牛がようやく山古志に戻った。「山古志でなけりゃ闘牛。これでようやく“角突き”になる」と話すのは財団法人山の暮らし再生機構の五十嵐豊さん。生活と文化は切り離すことができないと語る。山古志ではその景観もまた、人々の暮らしから生まれた文化なのだ。その意味で、景観再生は生活再建と切り離すことはできない。

 「地震の前からだよ」と言うのは小川茂さんだ。かつては田んぼの肥料にした下草を刈らなくなり、薪炭を求めて山へ入ることもなくなり、地震が起こる前から山は荒れていた。人口減と高齢化で、手間ひまかけて出来上がってきた山古志の棚田と山を守れなくなる日が、いつかはやってくると誰もが想像した。青木さんが山菜を植えるのも「田んぼができなくなった年寄りでも採れるから」という理由だ。1980年から2000年までの20年間の人口減少率は36.7%。そして震災からの3年で25%程度の人口減少になるとみられている。山古志では決してなだらかとは言えない人口減少が、震災によって一気に加速した。

 この中でどのように持続可能な暮らしを築いてゆくか。一つは山古志での起業支援、産業起こし、平地と比べて高コストである米の高付加価値化だ。これまでは自家消費だけだった伝統野菜のカグラナンバンの作付けを増やし、地元のスーパーでの取り扱いを始めた。震災後の交流から生まれたコシヒカリ「山古志三人娘」のブランド化、養鯉池を活用した「やまこしモロコ」のブランド化などが同時進行で進められている。中でもやまこしモロコは、新たな特産品づくりと同時に、棚田の景観を保全するという目的もある。親鯉が震災で死に、移入した錦鯉からコイヘルペスが発生。山古志ではほとんどの家が専業ではなく半ば趣味で錦鯉を育てているため、疫病対策を万全にすることに限界がある。錦鯉を育てる家が減ることで水をたたえた棚田も減る。錦鯉の養育で培った技術を生かして新たな特産品を育てることで、棚田の景観を守ろうという取り組みだ。

 震災直後、「もう二度と戻れないかも知れない」とつぶやいた住民がいた。全国的には住民が戻るための大規模工事は税金の無駄だという声もあった。多くの支援と引き換えに山古志は「日本にとって必要な場所」であると示さなくてはならない。日本の農業政策、国と地方のあり方は、山古志に有利な方向には進んではいないが、五十嵐さんは「山古志が全国の中山間地のモデルになってゆくようにしたい」と話している。


協力:長岡市山古志支所

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