カールベンクスさん
カールベンクスさん

file-162 外国人の目で見た新潟県の魅力(後編)

新潟の文化や歴史を愛し、移住した外国人

 新潟は江戸時代、北前船の寄港地として、また幕末には開港5港のひとつとして、日本の中ではいち早く世界に開かれ、人と物が行き交う交流拠点としての役割を担ってきました。現在、県内には祖国を離れ新潟で暮らし、新潟を愛している外国人が数多くいます。ドイツ出身のカールベンクスさんもそのひとりです。ベンクスさんは新潟の風土や文化に惚れ込んで移住し、令和5年(2023)現在まで30年もの間、新潟で生活をしています。

カールベンクスさん

(写真撮影:小林雅俊)

 ベンクスさんは昭和17年(1942)にドイツのベルリンに生まれました。父親は絵や家具を修復する職人で日本文化を愛していました。そんな父親が集めた浮世絵や日本に関する本、日本建築を世界に紹介した建築家ブルーノタウトの本に触れ、幼い頃から日本に興味を持ち、いつか日本に行きたいと思うようになりました。

 12歳から柔道を習い始めたベンクスさんは、昭和41年(1966)、24歳の時に初めて日本を訪れました。最初は神戸に到着し、その後東京へ行き日本大学空手部で技を磨きながらアルバイトをする生活でした。その時のアルバイトは展示会の内装工事や展示場を作るもので、日本の技術の高さに触れ、驚いたと言います。。

 当時のベンクスさんの心を掴んだのは日本の伝統家屋、古民家でした。茅葺屋根の古民家に魅了され、同時にそれらが画一的な住宅に建替えられていくことを非常に残念に思っていました。

 そこでベンクスさんは、一度ドイツに戻り、取り壊される古民家を分解してドイツに輸出し、それらをドイツで組み立てるという活動をしながら建築デザイナーとして働くようになりました。
 「当時、1980年代ですが、ドイツで日本家屋を建てようと考え、ドイツの職人たちに依頼したこともありましたが、材料や必要な技術も違い、彼らには作ることができませんでした。そこで日本で解体した材料を運び、組み立てるという方法を選びました。」

友人について行って偶然新潟に…一目惚れして移住したベンクスさん

 日本の伝統家屋、古民家に惹かれ、移築する仕事を続けながら日本とドイツを行き来する中で、ベンクスさんは平成5年(1993)、51歳で初めて新潟を訪ねます。
 「あれは秋、ちょうど稲刈りの時期でした。新米を現地で購入すると言う東京の友人について行った際に、初めて新潟(十日町市)を訪れました。そこには美しい棚田が広がり、杉の木がたくさんあって、まるで別世界に来た、という感動がありました。」

 ベンクスさんは、ブルーノタウトの本に触れ、また日本に初めて来た時は、神戸から東京へ移動の途中で京都の古い街並みを見て感動していました。しかしそれらが、高度経済成長期で都心の街並みが画一化され、新しくなっていく建物を見て「どこへ行っても、その土地の文化、生活のにおいがしない、のっぺらぼうのような風景になっていました。」とベンクスさんは言います。

竹所を古民家再生の里にしたい

 美しい風景に感動したベンクスさんはすぐに十日町市竹所(たけところ)にあった古民家を購入し、2年間かけて自宅として住めるように改装しました。現在もその場所で暮らしながら、「この集落を古民家再生の里にしたい」という思いの下、周辺の古民家を改装して建て替える活動をしています。

現在のベンクスさんの自宅。左が改装前、右が改装後。

現在のベンクスさんの自宅。左が改装前、右が改装後。
(写真提供:カールベンクスアンドアソシエイト有限会社)

 ベンクスさんは、一度壁や床を取り除き、柱と梁を解体して、傷んでいる部分を直してから、組み直すという方法で古民家の再生を行っています。この方法は、建物の柱や梁の骨組みは変えず、古民家の重厚な材料と木組みの技術を残しながら、現代風で暮らしやすい内装にするのが特徴です。

ベンクスさんの自宅内装

ベンクスさんの自宅内装
(写真提供:カールベンクスアンドアソシエイト有限会社)

 現在は竹所集落の12軒目の再生に着手しており、再生した古民家の中には、お試し移住ができる十日町市営住宅のシェアハウスもあります。ベンクスさんの活動が実を結び、若い人が移住したことにより、かつては約70歳だった集落の平均年齢が、約40歳にまで下がりました。

雪に強い家作り…新潟の古民家の特徴

 ベンクスさんは新潟の古民家は特に骨組みに魅力があると言います。
 「雪に強い家にしなければならないため、柱や梁などの骨組みが非常に太く、頑丈です。雪の重みで曲がって成長した木を使うことで強度が増し、地震にも強い建物になっていると思います。当時の職人さんたちの高い技術を感じることができます。昔は北海道から九州まで、その土地にあった材料の選び方、作り方で家を建てていました。それがとても面白いのですが、現在は各地で職人さんが減ってどんどん技術が失われていますね。」

 さらに、伝統技術の継承も今後の課題だとベンクスさんは言います。
 「古民家の再生は地元の職人さんあってこそのもので、誰にでもできる、というものではありません。例えば、茅葺屋根はかつては当たり前のように使われていましたが、今では茅葺職人さんや材料を入手できる茅場が減っているので高価になっています。このままでは日本の茅葺文化が無くなってしまいます。職人さんたちの高齢化は課題ですが、一方で古民家に惹かれて職人を目指す若い人たちも少しずつですが集まってきています。建てる家がないと技術が育っていかないので、我々の活動と共存していけたら良いと思っています。」

ベンクスさんが思う新潟の魅力

 平成5年(1993)に移住してから、ベンクスさんは30年もの間新潟に住み続けています。ベンクスさんは「新潟にはたくさんの魅力がある」と言います。
「まず食べ物が大変美味しいです。移住するきっかけにもなったお米はもちろんですが、魚もとても新鮮で美味しいです。野菜は近所の人からもらうことも多く、夏の時期だと、キュウリやトマトが美味しいですね。
野菜を分けてくれるなど、新潟の人はとても心が温かいです。雪が多い地域で、ひとりでは生きていけない、ひとりでは何もできないという感覚が心の奥にあるからなのでしょうか。私が住んでいる集落はとても小さいですが、皆さんの仲が良く、日頃から助け合っています。」

 また、ベンクスさんが新潟を愛する理由のひとつが雪です。雪が多く降る新潟では、厄介者として扱われることもある雪ですが、ベンクスさんにとっては、雪は故郷のドイツを思い出す大切なものだと言います。
 「私が育ったベルリンは、冬はとても寒く雪も降ります。新潟ほどではなく、本当に10~20㎝くらいなのですが、子どもだった私は雪が降ると本当にワクワクして、嬉しく思っていました。新潟でも雪が降るのを見ると、その時の感情を思い出して懐かしい気持ちになります。だから雪は大好きですね。」

新潟の自然の中で家族と暮らす川崎パトリシアさん

 アメリカ出身のパトリシアさんは、関川村に移住してから令和5年(2023)で約14年。子育てをしながら新潟の文化や歴史を国内外に伝える活動を行っています。

川崎パトリシアさん

(写真提供:川崎パトリシアさん)

 「アメリカの高校で世界史を学んだ際、日本の歴史に強く興味を持ちました。特に明治時代に、自分たちで海外の事を学び日本の社会の中に取り入れていたという姿勢を学び、日本はとても真面目な国だと思いました。その一方で、とても想像力があって面白いな、と思ったのが、高橋留美子さん(新潟県出身)の漫画『らんま1/2』です。それまでの私の中の日本のイメージが崩れましたね。真面目なのに、面白い想像力もある日本という国はどのようなところだろう、と興味を惹かれて日本に留学することを決めました。」
 パトリシアさんはアメリカの大学に入学した後、日本に留学し、そこで現在の夫である哲也さん(新潟県出身)と出会います。パトリシアさんは大学を卒業するために一度アメリカに戻りますが、京都の大学に通うために再度来日します。そのころから京都で大学に通うパトリシアさんと、関東地方で働く哲也さんの遠距離恋愛が始まりました。

 パトリシアさんがまだ大学に在学中だった頃、哲也さんは農業を学ぶために新潟に戻り、農業大学校に入学します。しばらくして2人は結婚し、パトリシアさんも新潟に移住しました。当初は村上市で土地を借りて農業をしていましたが、その後哲也さんが農業大学校時代に研修を行い、仲間もいる関川村に移住しました。
 「完全に自給自足できているわけではありませんが、お米や大豆、野菜を作っています。野菜はご近所さんからもらうことも多いですね。子どもが成長して夫婦2人になったら食べる量も減るので、そうなったら自給自足の生活ができるかもしれません。」と笑います。

関川村の歴史を愛し、伝える漫画を出版

 関川村の自然の中で子育てをしながら暮らすパトリシアさん。「追い出されることが無い限り、一生住んでいたいと思います。」と笑って話してくれました。それほどまでにパトリシアさんが関川村や新潟県を愛する理由は、日本に興味を持つきっかけとなった日本の歴史が関係しています。
 「関川村には縄文時代の遺跡があります。私は縄文人にとっては関川村はパラダイスだったと思っています。水は綺麗で、山の恵みも豊富にあります。狩猟もできたと思います。雪は降りますが、おいしいお米を育てるためには雪が必要です。昔から人が生きる力を育んでくれる場所だったのだと感じています。自宅の裏も山になっていて、歩けばすぐ川があります。昔ながらの里山風景があって、家の外に出るだけで素敵だなと感じています。」

 そんな関川村を海外に紹介するために、パトリシアさんは全編英語のガイドブック(全4冊)を作成しました。
 「関川村の人、景色、食べ物など素敵な物事を取材してガイドブックを作りました。そういった取材をする中で、他にやりたいと思うことも出てきました」
パトリシアさんが新たにやりたいと感じたこと、それは地域に残る歴史や伝説を漫画にすることでし
 「『月の影』というタイトルの漫画を出版しました。江戸時代に同胞を殺してしまい、脱藩した武士がお寺の住職になります。その後、住職になったことを知らずに、仇討ちをしようと自分を探している武士と出会い、2人が……というような話です。江戸時代に関川村で起きたと伝わるお話です。絵は京都の大学時代の友達に描いてもらいましたが、脚本や企画はすべて私が担当しました。他にも取り上げたい題材や歴史があるので、今後もこの活動を続けて、新潟の歴史を広く知ってもらいたいと思っています。」

パトリシアさんが企画した漫画『月の影』

パトリシアさんが企画した漫画『月の影』
(画像提供:川崎パトリシアさん)

 祖国を離れ、新潟の地を愛して住み続けている外国人の方々。彼らの感性に触れた新潟の魅力を知ることで、県内に住む方は自分の住む地域の魅力を見つめなおし、県外の方は新潟の魅力を知るきっかけになるかもしれません。

 

掲載日:2023/10/30

 

【取材協力】
・建築デザイナー カールベンクスアンドアソシエイト有限会社 取締役 カールベンクス様
・川崎パトリシア様

前の記事
一覧へ戻る
次の記事