今から12,000年ほど前から作られていた縄文土器。太古の文様は今も多くの人を魅了します。新潟の大地で数多く出土している縄文土器は、私たちの先祖が創り出した世界に誇る造形美なのです。

※ このコーナーは上越市の博田純さんを講師にお呼びして開いたワークショプから構成しています。縄文土器の作り方は、博田さんの手法によるものです。

1.土を探す

一番適しているのは、山の地層が露出しているところで見つかる青白い粘土層です。水分をたくさん含んでいる場合は、カサカサにならない程度まで乾燥させます。二番目に適しているのは田んぼを掘り起こした下の方にある、青みがかった粘土。空気をあまり含まず固くなっているのですぐに分かりますが、田んぼの持ち主に黙って掘ったりしないで下さいね。

2. 土を練る

柔らかくなるように、土がまとまるように練りながら、小石を取り除いていきます。草や木の根など取り除くのが難しい小さな植物は気にしないで大丈夫です。

3.砂を混ぜる tsuti to suna

川砂を集めて土に練り込みます。さらさらになるように乾かしてふるいにかけると良いでしょう。縄文土器には砂がたくさん混ざっていましたが、焼く時に割れないようにするためだと思われます。割合は粘土の半量よりもちょっと多いくらい。砂が一か所にまとまらないように練りながら混ぜ合わせます(=右)。

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4.土器の底を作る

ソフトボール大に丸めた粘土を板に叩き付けて平たくします。親指の腹で縁を作り(=写真)真ん中に残った粘土を押しつぶします。ひっくり返して形を整えたら、もう一度返して表面を滑らかにします(=写真)。カサカサするようなら水を手につけて下さい。これが土器の底の内側になります。

※ 縄文土器の出土したものを見ると、底が抜けた状態で見つかる場合が多く、平らな底で作っていたと想像されます。この作り方だと焼いた時に底が抜けてしまうケースが多いので、ここでは底と立ち上がりを一体で作りました。

   
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5.紐を作る

なるべく均一な太さになるように、粘土紐を作ります(=写真)。太さがまちまちだと後で割れる原因になります。

 
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6.葉っぱを敷いて紐を積む

紐を先に作った底に、しっかりくっつけながら積んでいきます。これを輪積み(わづみ)法といいます(=写真)。この時内側に積むようなイメージで作らないと、粘土の重さでどんどん土器が広がってしまうので注意して下さい。葉っぱは底の下に敷くと土器を回しながら作れるので作業が楽になります。縄文土器の底をひっくり返して見ると、葉っぱの跡が見つかることがあります。ろくろの代わりに使ったようです。

   
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7.縄文土器はデザインが命

棒に紐を巻き付けたものや串(=写真)で、半乾きのところで土器に模様を付けたり、帯状に広げた粘土に模様を付けて土器に貼付けたりします。穴を開けたら穴の周囲を盛り上げたりすると縄文土器らしくなります(=写真)。実際に出土した縄文土器の模様を参考にして、いろいろなチャレンジを。

 
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8.乾かす

作り終えたら寒い時期なら10日から2週間ほど、夏場は○日ほど乾燥させます。日なたや暑い場所に置くと急激に乾燥して割れてしまうので陽の当たらない場所に置いて下さい。乾燥させたら、平らな小石で土器の表面を磨いてください。艶を出すのと同時に、水を漏れにくくするための技法です。

9.焼く

薪を集めて平らな土の上で火を起こし、まずは土を温めます。この時土器は火の周囲に置いて、さらに乾燥。土が温まったら薪をどかせた中央へ土器を置き、周囲から少しずつ火を寄せて最後は薪を上からかぶせて焼きます。およそ20分で土器が焼き上がります。

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講師

博田純(はかた・じゅん)さん 上越市で測量技師をするかたわら、周囲で出土する縄文土器に魅せられて発掘調査などにも加わる一方、土器の自作も手がける。「私は縄文時代に生まれ変わって本物の縄文土器を作る予定です。その時こっそり土器にJのマークをつけるので、それを見つけたら『この土器はあいつが作ったんだな』と思って下さい」と話す。

助手

高井進(たかい・すすむ)さん
妙高山の麓に開いた妙高焼の窯元。陶芸家。

新潟は縄文土器のふるさと

縄文時代

 大昔のまだ文字のなかった時代を区切るときには、人々の使っていた道具や暮らしのしかたで分けます。日本列島に人々が住みはじめた頃は石で作った道具はありましたが、まだ焼き物はありませんでした。これを旧石器時代といいます。その次が縄文時代で、土器が作られ始めた頃から、田んぼで稲が作られるようになる頃までのおよそ1万3千年ほどの期間です。

  縄文時代の始まりは地球全体が寒かった氷河時代が終わって、次第に気候が暖かくなり、人間が新しい自然環境に適応して様々な道具を発明した時期に当たります。その発明の一つが粘土を焼いてつくった土器で、日本を含む東アジアは世界でも最も早くに土器を使いだした地域です。私たちになじみが深いものでこの頃登場したもう一つ大事な発明は弓矢でした。弓矢を手に入れた人間は小さくすばしこい動物もとることができるようになりました。

 今とは違って、主に食べていたのはイノシシやシカ、クリ、ドングリ、トチノミ、ヤマイモ、サケなど野生のものばかりでした。季節によって食べ物がとれる場所が違うので、ずっと一つの村に住んでいたわけではなかったようです。住まいは地面に穴を掘ってその上に屋根をかけた竪穴住居という家でした。

縄文土器

 石や木、繊維などいろいろな材料がある中で、特に粘土を使い土器の造形に力を入れたのが縄文文化の特徴です。土器に文様をつける方法には大まかに言って、表面に筆で図柄を描く方法と、刻みを入れたり粘土を貼り付ける方法がありますが、縄文土器は圧倒的に後者の方法で飾られました。そして縄を転がしてつけた縄目文様(縄文)が目立つので縄文土器と呼ばれるようになりました。一口に縄文土器といっても縄目文様にこだわった前期、粘土を貼り付け立体的でダイナミックな文様に変化した中期、縄目部分と無地部分を使って文様をきわ立たせる後期・晩期というようにそれぞれの時代ごとのスタイルがあります。

 新潟県内には縄文時代の一番古い段階の土器が見つかった遺跡が多くあります。中でも阿賀町にある小瀬が沢洞穴室谷洞穴は大切に守らなければならない遺跡として国の史跡に指定されています。同じ頃の遺跡は津南町や旧中里村のあたりにも多く残っていて、当時人々が暮らしやすい場所だったようです。

 縄文土器には時代の特徴だけでなく、それぞれの地域による特徴もあります。土器の文様や形が共通する一つのグループを型式と呼んでいますが、新潟県でみつかる土器は西や東の地域の型式がそれぞれ時代によって多くなったり少なくなったりして、東北的とも北陸的ともいいがたい状況です。そうした新潟の事情は、たとえば現在の県内のライフラインを担っているのが東北電力と北陸ガスであることにもみることができるでしょう。

 新潟に独特な型式としては次に述べる火炎土器や三十稲場式(さんじゅういなばしき)土器があります。三十稲場式は後期の土器で、器全体に細かく刻みを入れた、ほかの地域ではあまり見られない文様を使う点や専用の蓋がある点が特徴の土器です。

火炎土器  

 長岡市の馬高遺跡は明治時代から知られていて、地元関原の近藤家が発掘を行っていました。1936年の大晦日に発見された土器の破片をくっつけてみると、今まで見たことのない形の土器になりました。この土器ははじめは角付き土器などと呼ばれていましたが、やがて炎が燃え立つようだということで 火焔土器 という名前がつけられました。その後同じような形の土器は佐渡を含めて現在の新潟県の範囲とほぼ同じ範囲で作られていたことが分かってきました。中でも信濃川中上流域に特に多く見つかっています。切手や教科書にもとり上げられ全国的に知られる火炎土器は実は新潟県周辺でしか作られていなかった土器です。

火焔土器にはしっぽのある動物のようにも見える大きな取っ手が4つついています。その下を見ると、胴体の部分も取っ手に合うように4つに分けられて、渦巻き文様や目玉のような文様が粘土を貼り付ける方法で配置されています。また、縄文土器の仲間なのですが、実は火炎土器には縄目文様はつけられていません。このように土器を4つに区画して細い粘土の紐を貼り付けて文様をつけること、縄目は使わないことがこのタイプの土器を作るときの約束事でした。ただし、当時この形の土器だけが使われていたわけではなく、同時にもっと文様の少ない単純な形の土器もたくさん使われていました。火炎土器にもお焦げが残っているので、何かの調理に使ったのは間違いないようです。

 全国的に立体的でダイナミックな文様の土器がたくさん作られた縄文時代中期の土器の中でも、特に火炎土器が有名になったのは、その独特の造形ばかりでなく、これをみた芸術家の岡本太郎が感動し、日本美術の原点として広く世界に紹介したことが大きな要因です。火炎土器は縄文土器が芸術として見直されるきっかけにもなったのです。

協力:新潟県立歴史博物館

寄稿:新潟県立歴史博物館 専門研究員 西田 泰民 

縄文土器を見ることのできる施設

新潟県立歴史博物館(長岡市)

十日町市博物館 (十日町市)

長者ケ原考古館 (糸魚川市)

縄文の里・朝日 奧三面歴史交流館 農と縄文の体験実習館なじょもん (津南町)

長岡市立科学博物館 (長岡市)

新潟県埋蔵文化財センター (新潟市)

片貝縄文資料館(上越市)

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