file-29 新潟ゆかりのほん 「新潟の文化度の高さをもっと知って~神林恒道さん」

新潟の文化度の高さをもっと知って~神林恒道さん

神林恒道さん

神林恒道(かんばやしつねみち)・會津八一記念館館長、大阪大学文学部文学部名誉教授、日本美術教育学会会長、前立命館大学大学院教授。現在會津八一記念館で新潟の文人アーカイブを構想中。江戸時代に小藩に分かれていたために起こった文化的断絶を、新潟が生んだ文人を一堂に集めることで関連づけ、新潟の共有財産にしたいという。
會津八一記念館

ゆかりの本

「武士の娘」杉本鉞子(すぎもとえつこ)
ちくま文庫

 英語で出版されたものですが、日本語の訳文もたいへん読みやすい。今私は新潟の文人館を構想しているわけですが、とかく新潟というと酒が旨いとか紅灯の巷とばかり言われる。女性についても、色白で美人で辛抱強いから吉原で高く売れたなどという話をされましたよ。長岡藩の武士の娘として薫陶を受けた生き様がここにあるわけで、モノとしての女性ではない越後の女性のすばらしさをもう一度思い起こしてほしいと思います。郷土史的にも、長岡がどういう土地であったか、近代と封建主義の時代の狭間を生きた人たちの生き様を知ることもできます。

 彼女は杉本という男性と結婚してアメリカに渡るのですが、ただ洋行したというのでなく、東西の文化を評価できるだけの価値観を備えていたので比較文化論としても面白さがある。それだけの知性を持った女性によって書かれた書物です。後にはコロムビア大学で日本文化論の講義もしているんですよ。

 他にも優れた女性はいます。津田梅子と同じ船で留学し女子教育に生涯を捧げた瓜生繁子(うりゅうしげこ)。瓜生は佐渡出身で三井物産の大番頭、益田孝の実妹です。同じ佐渡出身では、憲法学の久保田きぬ子も忘れちゃいけない。こうした素晴らしい人たちが評価されないのは嘆かわしいことですが、その原因の一つは新潟が広いことでしょうね。上中下越それぞれで富山県と同じくらいある。あまりに広くてネットワークができない。大きすぎるから分割して小藩に統治させ、天領、諸藩の飛び地も入り乱れていた。もちろんその中で歴史的文化的な差異が醸成されて多様性が育まれてもきたわけです。ところが明治になると新潟県という大きなくくりに変わり、お互いの差異を認識することができないまま今に至っているのが新潟の悲劇なんですよ。

「哲学入門」田中美知太郎
講談社学術文庫

 この方が新潟出身だって、ご存じない方が多いんですよ。戦後文化功労賞と文化勲章を受けていらっしゃる。西洋古典学、プラントン研究者としては大変な功績があった人です。本当は「ロゴスとイデア」を勧めたいんだけど、ちょっと読むのが大変。「哲学入門」の素晴らしいところは、分かりやすくて明解なこと。今の潮流を追いかけ回すのではなく、ヨーロッパに哲学が芽生えたところからの、色のついていない哲学をきっちり分からせてくれる。哲学を学びたい人の入門書として最適です。人の生き方がすなわち哲学ですから、誰にでも哲学というものはあるんです。だから誰が読んでも分かるように書かれていなければならない。分からないように書かれているなら、書いた本人が哲学が分かっていないんです。

「自註鹿鳴集(じちゅうろくめいしゅう)」會津八一
岩波文庫

 會津八一の著書の中で最初に読むとしたらこれでしょう。彼は何者なのか。一言で言うなら奈良大好き人間」なんですね。早稲田大学に進んだのは坪内逍遙(つぼうちしょうよう)に憧れていたからで、たまたま東大から追われた小泉八雲が早稲田に来た。当時学生だった八一は大変なインパクトを受けた。八雲はまもなく亡くなりますから、彼は半年しか講義を受けていないんですが、英文学に傾倒していくんですね。今そうしたイメージはないかも知れないが、彼はずっと英語の教師だったんですよ。漢学や国文学の素養は実は独学。そうした素養は新潟にいる間に自然に身についたものなんです。いかに新潟の文化度が高かったかという証拠です。新潟の地主文化の下支えがあったゆえですね。

 その後會津八一は奈良へ行き、奈良でギリシャを見たんです。小泉八雲はギリシャ人ですから、彼はギリシャに憧れていた。日本におけるギリシャを、奈良に見つけた。そして生涯奈良に引きつけられた人なんです。古典への憧れが歌を詠ませ、歌を詠むために美術史を研究した、という人なんです。

「美学事始」神林恒道(かんばやしつねみち)
勁草書房(けいそうしょぼう)

 私の著書です(笑)。その後文庫になったんですが、その際會津八一についての章が、「思い入れが強すぎる」ということで削除になってしまったのでハードカバーの方をぜひ。明治からの美学は岡倉天心と森鴎外を軸に書いています。

 森鴎外が日本で初めて、体系的に美学を日本に紹介し、岡倉天心も美学を奉じた。ただ両者には大きな違いがあって、岡倉天心は「日本」に、森鴎外は「美学」にカギ括弧がついている。英語にすると天心はAesthetics of Japan。鴎外はAesthetics in Japanなんです。岡倉天心は欧化と廃仏毀釈で日本の伝統文化がめちゃくちゃになろうとしていた時期にこれを守ろうと立ち上がった人ですね。彼は西洋美術をとことん排斥したナショナリストのように扱われているけれど、一種の劇薬的療法を用いなければ、今日私たちが目にしている京都奈良の文化というのは残らなかった。ではAesthetics of Japanをどう外国人に知らしめるか、外国の美学をどう日本に紹介するか。それまで日本美術は「美術」でも「美学」でもなく「書画・骨董」だったわけですよ。「書画・骨董」を「アート」に翻訳するために森鴎外の功績があったのです。

file-29 新潟ゆかりのほん 「地元学」発祥の地は新潟です~高橋郁子さん

「地元学」発祥の地は新潟です~高橋郁子さん

高橋郁子さん

高橋郁子・新潟県民俗学会常任理事、全国良寛会理事、漫画家。県内市町村史の民俗編を調査執筆。県内各地の民俗調査を始め、妖怪、良寛などについての講演も精力的に行っている。子供の頃から昔話が好きで、最初に読んだ柳田国男の著書は「妖怪談義」。
郁丸滄海拾珠

 

 

「北越奇談」橘崑崙(たちばなこんろん)
野島出版

 

 これを読むと、江戸時代の新潟はワンダーランドだったと感じてもらえるんじゃないかな。作者橘崑崙の博覧強記と並外れた好奇心を持っていて、どこへでも行くんです。妖怪はもちろん外せませんが、海が荒れると浜に珊瑚が打ち上げられる話とか。伝説の採取をしているのではなく、その場を尋ねてレポートしているんです。その姿勢が好き。書かれていることが面白い以上に、彼自身に面白さがあるんです。
 
 石を集めるのが趣味だったみたいで、行った先で木こりから買った石にご満悦で漢詩を詠んでみたりね。何で生計を立てていたのか定かでなく、文人だったと言われていますが、どうもお医者さんのようなこともしていたらしい。研究が進められているところではありますが、謎に包まれているのも魅力です。橘崑崙のお兄さんと良寛さまが同じ学塾に通っていて面識がありました。北越奇談にも越後に戻った良寛さんにお兄様が会ったと書かれており、これが越後に戻った良寛さんの初出です。挿絵は葛飾北斎です。
 

 
 

「新潟古老雑話(にいがたころうざつわ)」 鏡淵九六郎(かがみふちくろくろう)新潟温古会ほか
 

 

 昭和の初めに出された聞き書き集です。この時代の本は執筆者の思い入れが強く反映されています。その時代に生きた人の生の声と、執筆者の思い入れと、書かれていたことがたとえ事実に反していたとしても、この中に出てくる人たちはそのように考えていたのだという風に理解して読んでほしい。「こんなの書いていいの?」というような、びっくりするお話も出てきます。私にとっては民俗学の原点に近い本ですね。
 

 
 

「良寛全集」良寛

 

 今では良寛さま作ではないと言われているものも含めて当時良寛さまのものだと信じられていた歌や漢詩がおさめられています。相馬御風の「良寛坊物語」と合わせて読んで頂ければ人物像がつかめると思います。
 
 良寛坊物語は子供でも読めるように書かれていて、読んだのは高校生の時でしたね。でも、実はまだ良寛がどういう人だったか分からないです。非常に自分に厳しい人だったとは思います。道元に寄り添った生き方をしようとしていたように思えます。本当に寄り添っていればおそらく良寛の名前は残らなかったはずですが、個性が強くて名前が残った。本人は不本意だったかも知れません。私自身「良寛物語」という漫画を書いて、それで完結したつもりではいますが、いまだに解釈を間違っていたかなぁというところはあります。鏡みたいな人なんですね。
 

 
 

「生きている民俗探訪新潟」山口賢俊(やまぐちけんしゅん)ほか
 
第一法規
 

 

 新潟のお祭りや民俗がコンパクトにまとまっているのでお勧めです。民俗学に興味がなくても、地域のお祭りにどんな意味があるのかを知ることができるので面白いです。
 

 
 

「越後瞽女日記」斉藤真一
 河出書房新社

 

 画集なんですが、ここで描かれている瞽女の姿は、今では見ることができません。子供の頃はこの絵が怖かった。でも斉藤さんはきちんと一人一人の生涯を聞き書きしているんですね。最後の瞽女として、杉本キクイさん、小林ハルさんは名前が残っていますが、瞽女さんは本来名前の残らない人。彼の本によって、一人一人の生き様や暮らしが浮き上がってくる、そういう意味で唯一の本なんです。斉藤さんは県外の方ですが、一生懸命新潟に通って残してくれた。ありがたいですよね。
 

 
 

「高志路(こしじ)」新潟県民俗学会

 

 昭和10年からずーっと続いている会報です。会員は高齢化が進んで地味な会ですが、日本の民俗学の会報としては一番古いんですよ。日本民俗学会よりも。柳田国男さんも、創刊者の小林存さんには一目置いていた。「地元学」と今は言われますが、新潟は地元学発祥の地じゃないかな。思えば、新潟民俗学会に所属して25年。若い後輩がなかなか増えなくて残念です。でも、このところ「妖怪好きです」という若い人が増えてきました。これも不況の影響でしょうか。民俗学ってバブルと相容れない学問なんだなぁ。
 

 

file-29 新潟ゆかりのほん 「妙高高原は日本一~秋山恵生さん」

妙高高原は日本一~秋山恵生さん

秋山恵生さん

秋山恵生(あきやまよしお)・オフィス花靜庵主宰。北信濃在住で自然療法カウンセラー。著書に「冬の森へ」など。現在新潟、長野県境の高原を森林療法のメッカにすべく情報発信を続けている。
オフィス花靜庵

「宝石の声なる人に」 プリヤンバダ・デーヴィー、岡倉覚三(おかくらかくぞう)
平凡社

 岡倉天心とインドの詩人、プリヤンバダ・デーヴィーとの書簡集です。この中で天心は妙高高原を「霊感に満ちた景観」だと語っています。昔から戸隠は竜の頭、関山は竜の胴、能生白山神社を竜の尾と考えられていて、戸隠で普請をしたら白山神社の湧水からおが屑が出てきたという伝説があります。山岳風水で言うところの龍脈。このあたりは気に満ちた場所なんです。天心は直感的にそれを感じていた。恋人に向けた手紙ですから少々詩的で、誇張もあったかもしれないけれど、あの時代にあっては、おそらく日本人で最も世界を見てきた人の一人。高い美意識を持った人です。

 彼を魅了した土地だという妙高の良さは、きちんと評価されているとは言い難い。妙高の良さがきちんと伝わっていないという以前に、岡倉天心の凄さも正当な評価をされていないのが残念です。「茶の本」は英語で書かれた当時のベストセラーですよ。
(※岡倉覚三は、岡倉天心の本名です。)

「日本百名山」深田久弥>新潮社

 新潟県内は9つの山が含まれていますが、これを読んで妙高山を訪ねてください。深田久弥が妙高高原を「日本一の高原」と評したという話がネットで一人歩きしていますが、私も探したんですけど本の中ではそうした表現はありません。一体出典は何なのか、探しているんですけど、どなたかご存じないですかね。

「花の百名山」田中澄江文春文庫

 火打山のハクサンコザクラのことを書いていますが、著者は花の時期には火打山に登っていない。それよりも笹ヶ峰の紅葉を絶賛しているところがうれしいですね。美しいといわれる森林は全国にありますが、笹ヶ峰の良さはバラエティーに富んでいるところ。ブナ林は確かに美しいですけれど純林だけだと飽きるんです。開発から取り残された感じはありますが、だからこそ笹ヶ峰は良さが残った。日本のあちこちの森を歩きましたけど、笹ヶ峰の美しさは飛び抜けていると思います。

「新・花の百名山」田中澄江文春文庫

 この中で著者は、妙高高原と長野県の黒姫、戸隠、飯綱、斑尾高原一帯を「北信五岳高原とでも名付けたい」と書いています。県境をまたいで気質は違いますけど、うまく合体できれば全国の人にアピールできると思います。私は長野県側で暮らしていますが、仕事で日常的に両方の県の人と接します。良く言えば、長野県は仕事熱心、新潟県はギスギスしてない。一緒にうまくやれるといいんですけどね。

file-29 新潟ゆかりのほん 県立図書館おすすめ関連書籍

県立図書館おすすめ関連書籍

県立図書館おすすめ『新潟ゆかりのほん』関連書籍

 こちらでご紹介した作品は、新潟県立図書館で読むことができます。貸し出しも可能です。
また、特集記事内でご紹介している本も所蔵していますので、ぜひ県立図書館へ足をお運びください。

ご不明の点がありましたら、こちらへお問い合わせください。
(025)284-6001(代表)
(025)284-6824(貸出延長・調査相談)
新潟県立図書館 http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/

▷『海を渡ったサムライの娘 杉本鉞子』

(多田建次/著 玉川大学出版部 2003 郷土289.1-Su38)
 鉞子が生きた時代を丁寧に解説しており、彼女の心の内を理解する手がかりとなる一冊です。『武士の娘』と一緒にお読みください。

▷『郷土の碩学』

(小田大蔵/[ほか]著 新潟日報事業社 2004 郷土281.4-O17)
 明治から大正、昭和にかけて新潟県が輩出した各分野の学者67人を一挙に紹介。思い込んだら一つの道を…。新潟県人の一途な県民性が感じられる一冊かもしれません。

▷『会津八一悠久の五十首』

(会津八一記念館/編 新潟日報事業社 2006 911.1-A26)
 あえて注釈、評釈の少ない一冊をご紹介しました。本書では、会津八一記念館が八一の名歌から五十首を精選。八一の透明感のあるのびやかな和歌の世界をゆったり楽しめる作品です。

▷『聞き書き長岡の民俗(1)~(5)(長岡市史双書)』

(長岡市 1989~1990 N382-N18-1~5)
 『長岡市史』発刊に際しての中間報告や収集史料を集めた双書シリーズ。民俗学といえば、フィールドワーク。民俗伝承を採話し記録することは、地域の文化を次世代に継承するためにも大切なことです。長岡地域に暮らす人々の息吹を肌で感じられるシリーズです。

▷『次の世は虫になっても 最後の瞽女小林ハル口伝

(桐生清次/著 柏樹社 1984 289.1-Ko12)
 瞽女唄最後の伝承者といわれた小林ハルさんの波乱の半生を綴った口伝。差別や偏見に負けず強く生きようとするその姿。その一方で「次の世は虫になってもいい。明るい目をもらって生きたい。」という心からの願いには胸がしめつけられるようです。

▷『雪国の植物誌』

(小川清隆/著 八坂書房 1990 472-O24)
 春夏秋冬、新潟の野に咲く花々や草木に関する植物誌。著者と草木とのエピソードや山菜としての味覚など、植物エッセイとしても楽しめる一冊です。

▷『新潟の低山藪山』

((羽田寿志/著 白山書房 1998 郷土291.4-H11)
 最近は中高年だけではなく若い女性の間でも、空前の登山ブームが沸き起こっています。新潟県には「日本百名山」に代表される著名な高山が数多く存在しますが、著者はそれらの高山、名山には背を向け、名もなき低山の道なき道をひたすらたどります。単なるガイドブックを越えた、著者の山への愛着と情熱が熱く伝わってくる山の本です。

 

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