file-123 古墳に魅せられた人々~古墳は古代からのメッセージ~(後編)

  

古墳は時代を超えた地域の宝

 牡丹山諏訪神社古墳が発見された新潟市東区は、新潟県の古墳の歴史を知る上で重要な地域の一つです。これをまちおこしに活用しようと、平成27年(2015)から「東区歴史浪漫プロジェクト」が始まりました。同区にある新潟市立牡丹山小学校でも古墳をテーマにした総合学習が平成29年(2017)から導入されています。古墳そのものを学ぶというより、それを通じて地域のひと・もの・ことに関わりながら、豊かな心やシビックプライド(都市に対する市民の誇り)を育むことが狙いです。3年生から授業が始まり、6年生ではその集大成として「これから、どんな東区にしたいのか」を子どもたちなりに考えて地域づくりや活性化に発展させていきます。

昔を知るとは、人が生きていく上でとても大切なこと

奇跡のリレーが歴史を塗り替えた

 牡丹山小学校では、4年生を受け持つ中野裕己教諭が総合学習の授業を行っていました。「東区で始まった『東区歴史浪漫プロジェクト』では、古墳発掘の支援を行い、スタンプラリーやまち歩きのマップを作りました。飲食店は特別メニューを出して、牡丹山諏訪神社では毎年古墳まつりが開かれるようになりました。このように地域のいろいろな人たちが、いろいろな方法で、お金や時間をかけてプロジェクトを進めています。さて、それはどうしてだと思いますか?」
 中野教諭が児童たちに問い掛けると「はい、はい!」と元気な声が上がり、さまざまな答えが返ってきます。みんなが地域の歴史に興味津々で、その後のグループになっての話し合いでも一層熱が入ります。

授業の様子

最初は知ることから始まり、自分自身で答えを出すように導いていく。子どもらしい純粋で真っすぐな意見に、大人が気付かされることもある。

 

 牡丹山諏訪神社古墳の発見は、歴史を塗り替えるビッグニュースでした。「いつも見ていた神社がまさか古墳とは…」と東区の住民もさぞ驚いたことでしょう。発見の背景には、市民、新潟市歴史博物館みなとぴあ、専門家による、奇跡のようなリレーがありました。

橋本教授

「教科書に書いてあることが本当なのか、その疑問を遺跡や遺物に即して研究していくところに考古学のおもしろさや醍醐味があり、新たな発見がある」/橋本教授。

 まず、郷土史研究家の故金塚友之亟(きんづかとものじょう)氏の親族が新潟市歴史博物館みなとぴあにコレクションを寄贈。学芸員の小林隆幸さんがその中に「牡丹山」と書かれた(文字は金塚さんが書いたもの)円筒埴輪(えんとうはにわ)のかけらを見つけて半信半疑ながらも展示したのが始まりです。それを見た東区在住の本間誠さんが、近世の絵図で牡丹山諏訪神社の位置と思われるところに山が描かれ、明治28年(1895)の公図では境内地が円墳を示すような形に描かれていたことに気付きます。情報をもとに新潟大学の古墳博士こと橋本博文教授が現地を調査し、その眼力から埴輪の破片を発見!平成25年(2013)には「神社下に直径30メートル以上の丸い古墳(円墳)がある」と確認しました。

 

 新潟大学人文学部考古学研究室を中心とした調査団によって平成26年(2014)に県内最古となる須恵器の器台が出土、翌年に5世紀前半の円墳であると確定、平成28年(2016)には国内最北、県内最古となる古墳時代中期の鎧(よろい)が発見されました。「被葬者(この地域の王)は、ヤマト政権からの信任が厚い武人だったのではないか」と橋本教授は推測しています。
 発掘調査には東区のみなさんも多く参加し、「古墳は地域の宝である」という意識の高まりとともに「東区歴史浪漫プロジェクト」へとつながっていきました。プロジェクトは学識経験者や学生、商店街関係者、公募による区民のみなさん、東区役所地域課職員で構成され、力を合わせて古墳をまちづくり・まちおこしに生かす活動をしています。

 

古墳を愛する種は、次代を生きる子どもの中に

発掘の様子

牡丹山小学校から牡丹山諏訪神社までは、歩いていける距離。実際に見て、触れて、発掘調査の様子を授業で体験。

 さて、古墳やプロジェクトについて小学校4年生はどう感じているのでしょう。「東区にこんな歴史があると思わなかった。もっと古墳を調べてみたい」「新しい発見をして新聞に載りたい」「古墳のある東区の魅力をPRすれば、来てみたい人や人口がアップする」「演劇にして自分より小さな子に伝えたい」などすてきな意見が出てきました。
 自身も東区出身である中野教諭は、「職員が協力して総合学習のプログラムを考えています。地域のことは自分事として主体的に捉えやすく、子どもたちなりに刺激を受けています」と手応えをつかんでいます。渡辺真也校長も、「せっかくよい教材が地域にあるので使わない手はない。今年は全校で古墳時代の劇『牡丹山諏訪神社奇譚(きたん)』を観ました。校区には上木戸・中木戸・下木戸の地名が残っていますが、昔は校区全体が屋敷だったと言われるほどの王がいて、“木戸”とは玄関のことだと知ると子どもたちは驚いていました。いつか、おたくの児童が駐車場で土を掘っていますよ…なんて連絡が学校に来るほど発掘に熱中する子が出てきたらおもしろいですね。次世代で新しい発見をしてほしいです」と言います。

 

水と土の象徴である牡丹山諏訪神社古墳を活かした町おこし事業の様子

古墳まつりでは、お手製の衣装をまとって参加する人も。地域のみなさんがいろいろな立場で牡丹山から情報を発信。古墳は、人が集まり、魅力あるまちづくりに貢献できる。

 牡丹山諏訪神社古墳の存在を確定した橋本教授も、「古墳を何とか現代で活用し、未来につなげる“種まき”をしたい」と願っていました。そこで新潟市の助成を活用し、平成28年(2016)に「水と土の象徴である牡丹山諏訪神社古墳を活かした町おこし事業」を発掘調査団で実施。市民プロジェクトと連携しながら、古墳の模型作り、鎧作り、ミュージカル『わたれ、風 ひらけ、道』の監修、古墳まつりの開催、古墳をイメージしたスイーツや記念グッズ作りなど多彩なメニューを展開。子どもから大人まで、たくさんの人が古墳に接することができました。

 

「古墳は、当時の人が生きた証。昔の人の血と汗の結晶です。東区では時代を超えて地域の宝として大切にされ、区民のみなさんが牡丹山から情報を発信しています。最近は考古学を専攻する若者が減って残念に思いますが、昔を知るとは“人が生きていく上でとても大切なこと”です。戦争も平和も、災害も、種の絶滅も、どうして起きたのかを考えることができ、それが今に通じます。考古学ほど一般市民と深く関わり合う学問はありません。若い人たちを育て、古墳を次の世代へバトンタッチしたい」と橋本教授は言います。

 

児童たち

古墳の未来について、楽しそうに語る児童たち。

 牡丹山小学校では、こんな意見を述べた児童もいました。「私たちが今ここにいるのは、昔の人が生きていたからです。その子どもが生まれていったから、私たちのいのちがある。私たちにとって大切な昔の人が大事にしていた古墳を、私たちも大切にしたい。そして、知らない人にも知ってもらえたら、昔の人が喜んでくれると思います」
 いかにして古墳という文化遺産を地域の宝として保存・活用していくか、得られた知見を市民と共有していくかが今後の課題になるでしょう。しかし、こんなふうに感じる子どもがいる限り、古墳という地域の宝はきっと未来へ引き継がれていくはずです。

 


■ 取材協力
橋本博文さん/新潟大学人文学部教授
新潟市立牡丹山小学校のみなさん

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