file-126 春を呼ぶ、雪国にいがたの奇祭(後編)

  

インパクトに惹きつけられる、春3月の奇祭

 新潟県の裸祭の中では群を抜く歴史と規模を誇る南魚沼市浦佐の「越後浦佐毘沙門堂裸押合大祭」、また、ご神体の大きさで新潟県最大の長岡市栃尾の「ほだれ祭」。メディアにも取り上げられ、全国区の知名度を持つ二つの祭りを通して、時代に合わせながら祭りを盛り上げていく人々の取り組みに迫ります。

全国からご利益を求めて人々が集まる

ストイックに伝統を継承する

大楽さん

「裸押合いの最後に行われる『ササラスリ』は厳かな空気に包まれます」/大楽さん

 新潟で奇祭といえば一番に名が上がる南魚沼市の「越後浦佐毘沙門堂裸押合大祭」。江戸時代後期の天保12年(1841)に出版され、当時のベストセラーとなった「北越雪譜」二編にも、その様子が描かれており、時代を超えて人々を惹きつけています。

 

裸押合大祭

雪の中、大ロウソク数百本に点火。その炎の中で祭りが始まる/裸押合大祭

 1200年前に坂上田村麻呂が建立したという御堂の歴史、年に一度の御本尊開帳という貴重さ、さらには「浦佐毘沙門天を信心する人の集まりである講中(こうちゅう)が中越地方一円に組織化され、多くの人たちが熱心に参拝するようになったこと」と、新潟県立歴史博物館の大楽和正さんは祭りの人気の理由を考えます。「また、重さ30~40キロの大ロウソク点火、水行参拝、ササラスリ神事など、裸押合い以外にも見どころが多く、福餅がまかれるなどの楽しみもあり、人々を飽きさせない。内容の充実度も群を抜いています」

 

 祭りでは、上半身裸の男たちが、御本尊を誰より早く、誰より近くで見ようと本堂の奥に向かいます。身体同士がぶつかる音、「サンヨサンヨ」の野太い掛け声、身体から立ち上る熱気が堂内に満ち、たちまちボルテージはアップ。外では詰めかけた参拝客に福餅や弓張(ゆみはり)がまかれ、こちらも盛り上がります。

 

裸押合大祭

一年に一度の開帳に、毘沙門天を見ようと参拝客が押し合ったのが祭りのきっかけ。

 その祭りを取り仕切るのは、浦佐多門青年団。浦佐に住む満30歳までの若者で組織されています。毘沙門天に仕えるということから、祭りの前の数週間は肉食を断ち、祭りの一週間前から毎日水行して身を清めて精進潔斎。「特に、29歳の最高幹部は、1年間をかけて準備し、祭りの成功のために、団員の先頭に立ち指揮に当たります。大変? いいえ、大きな誇り、やりがいですよ」と、関常幸(せきつねゆき)さん。青年団OBや関係者150人が所属する大祭委員会の委員長を務めています。「前夜祭と合わせて10万人が訪れる祭りですから、人手は必要。地元には40を超える会があって、青年団をサポートしています」

裸押合大祭

撒与された弓張に群がる参拝客。授かった弓張の一部は神棚や仏壇に供えるか、お守りとして身に着けると心願成就。昔から授かった弓張を、田んぼの水口にさしおておくと病虫害から守られ豊作になる。

 毎年1月末には青年団の事務所が会場となる普光寺内に開かれ、浦佐は「祭りモード」に突入。「2月23日・24日には地域の30カ所で餅をつき、福餅づくりを始めます。私たちもつきますよ」

 

 3月3日に開催されてきた裸押合大祭は、新しい元号に変わる2020年度から3月の第1土曜日の開催になります。祭り関係者が三年あまり議論を重ね、最後は満場の拍手で決まったそうです。「これは大きな覚悟と決断で、伝統を守り次の世代につなぐだけでなく、さらに発展させるための選択です。江戸時代、裸押合いには老若男女が参加していたという記録が残っています。浦佐多聞青年団に女性が加入し、彼女たちが提灯を持ち、晒を巻いた法被姿で指揮を執る日が来るのも近いと思います」と関さんは語ります。

 

青年団のアイデアから生まれた祭り

 棚田が広がる長岡市栃尾の下来伝(しもらいでん)集落の真ん中、御神木である樹齢800年の大杉に寄り添うお堂には、高さ2メートル、重さ600キロのほだれ様が鎮座。ほだれとは、稲穂が実った様子「穂垂」にちなんだ名前と言われていますが、御神体はケヤキで作られた、巨大な男性のシンボルです。

 

ほだれ祭り

御堂の傍らに立つ御神木に、大しめ縄を張り替える/ほだれ祭

「性的なものをご神体にする祭りは、子孫繁栄、五穀豊穣、防災などを目的に行われます。ショウキ祭でも御神体は男性のシンボルが強調されていますよ」と、大楽さん。農業が盛んな地域では、子宝や作物の実りを求め、生命力を象徴するものへの信仰は珍しくないのだそうです。

 

星野さん

「神輿に載ったほだれ様が人波の上に現れると感動します」/星野さん

 ほだれ祭の原型は江戸時代と言われていますが、現在の祭りの形ができたのは、昭和54年(1979)です。その立ち上げに関わり、現在も実行委員を務める星野清さんに伺いました。「当時、地元の青年団が集まっては、集落の活性化のために何かしようと知恵を絞っていたんです」。もともと2本あった御神木の1本、男杉が枯れて女杉だけになっていたことから、男杉に代わるものをと考え「ほだれ様」を発想。それに初嫁を載せて男たちが担ぎ、子宝・安産、米の実りを願おうという内容が出来上がったのでした。

 

ほだれ祭り

1年以内に結婚した花嫁をご神体に載せる、祭りのクライマックス/写真提供:武石了

「作る以上は日本一のものを」と集落で寄付を募り、ケヤキを求め、御神体と祠(ほこら)を作りました。次は、集客のPRです。「杵や臼を車に載せて、土日に何人かで関東方面へ行き、人が集まりそうな団地で餅つき。餅で人を集めて祭りをPRする作戦でした。餅つきの許可がもらえないなど、最初はうまくいきませんでしたが、私たちも若かったので懲りずに続けているうちに、徐々に口コミで祭りのことが広がりましてね」。祭りのインパクトもあり、メディアで取り上げられたり、旅行会社のカレンダーに掲載されたりして、人気は上昇。「最高で3,000人がこの集落に押し寄せました。お土産や飲食の露店が立ち、大賑わい。ここまで大きな祭りになるなんて想像できませんでした」

 

「ほだれ祭」は、ほだれ大神宮の神事の一環。祭り当日の3月第2日曜日は、ほら貝の響く中、長さ5メートルの数珠を手に氏子が集落内を練り歩く大数珠繰りで始まります。御神木に重さ200キロのしめ縄を張り替え、祝詞(のりと)や玉串奉納、参加する初嫁の厄払いを経て、有名なほだれ様の巡回と初嫁神輿へ。「ほだれ様が600キロ、神輿が200キロ、そこに初嫁が3人。大変な重さで、若い人が大勢必要なんです」。今、集落の人口は約60人、高齢化も進んでいます。国際ボランティア協会や新潟県内の大学生の協力を得て、開催を続けています。

 

 それぞれの祭りは地域の風土や産業と深く結びつき、そこに暮らす人の願いが込められているものでした。時代を超えて受け継がれ、大切に守られてきたからこそ、地域によってそれぞれ違った姿を見せるのです。地域の外の人や初めて見た人には「奇祭」であっても、地域の人にとっては、親しみと誇りと楽しさに満ちた「喜」、喜びの祭りです。雪国の新潟では、春の到来を告げる時期に個性豊かな祭りが行われます。それぞれの歴史と文化に触れられる「喜祭」に出かけてみませんか。

 

掲載日:2019/2/28

 


■ 取材協力
大楽和正さん/新潟県立歴史博物館 主任研究員
関常幸さん/裸押合大祭委員長
星野清さん/ほだれ祭実行委員

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