file-75 にいがたの発酵文化(後編)

  

微生物を巧みに操る越後人

いにしえの技守りつつ新展開

 目に見えぬ微生物の世界。そのパワーに魅せられ、探究してきた越後の人々がいます。酒、味噌、醤油、私たちの食生活を豊かにする食材は、微生物を巧みに操る「発酵」という技術に支えられてきました。美味しい米、農産物、水、湿潤な気候など発酵食品作りに必要な要素に恵まれた新潟。しかし、その素材があったとしても、微生物を操る術がなければ発酵食品が出来上がることはありません。近年、その発酵技術を生かした新商品「さかすけ」が生まれ、酒蔵が新たな試みに取り組んでいます。新潟の酒文化に加わった「さかすけ」。その美味しさや魅力をお伝えします。また、古くからの酒造りの知恵を科学的に探究・解明し、“酒博士”と呼ばれる上越市出身の坂口謹一郎博士の功績をたどります。

酒かす活用 “新顔”登場

 
金桶光起さん

新潟県醸造試験場専門研究員の金桶光起さん。昭和37年、岐阜県高山市生まれ。平成6年に岐阜大学大学院連合農学研究科を修了(農学博士)。翌年、新潟県醸造試験場に入庁しました。

さかすけ

様々な栄養が詰まったさかすけ。爽やかな酸味ととろみがあり、お菓子にも料理にも使いやすいです。

麹・乳酸発酵飲料「もと」

新潟市・今代司酒造の麹・乳酸発酵飲料「もと」。お米だけの優しい甘さとヨーグルトのような酸味が特徴です。

レアチーズケーキ「ほろよいうさぎ」

魚沼市の菓子店・芳林堂のレアチーズケーキ「ほろよいうさぎ」。緑川酒造のさかすけを加えホイップし、爽やかな風味を演出しています。

 ふわっと香る麹の香りに、口に広がる柔らかい酸味。酒処・新潟が新たに生み出した食材「さかすけ」。さかすけは、酒かすに乳酸菌を加えてさらに発酵させた食材です。ヨーグルトにも似た爽やかな風味と、酒かす独特の複雑なうま味があり、お菓子や料理の味に深みを与えます。カルボナーラのソースや肉の漬け床、アイスクリームに使ったりとその用途は幅広く、新潟の酒文化にさらに彩りを添えそうです。

 さかすけと酒かすの大きな違いは、さかすけにはアルコール分がないこと。子どもやドライバーも気軽に、酒かすがもつパワーを生活に取り入れることができます。もともと、酒かすは必須アミノ酸やビタミンなどの栄養価が高く、骨そしょう症を防ぎ、高血圧やがんになりにくい体質をつくる働きも期待されています。また、春に注目されるのは、何と言っても花粉アレルギーを抑える成分。マウスの実験では、酒かすに含まれる成分がアレルギーを引き起こす酵素の働きを阻害してくれることが確認されています。

 このように“良いこと尽くめ”の酒かすは、新潟では当たり前のようにかす汁やかす漬けなどの伝統料理に活用され、各家庭で親しまれてきました。ただ、約10%という高いアルコール分や独特の食感を苦手に感じる人もいます。その難点を克服しようとつくられたのが「さかすけ」です。新潟県醸造試験場が平成15年から研究・開発してきました。研究員は酒かすの機能を保ちながら、さらに美味しくしてくれる乳酸菌を求め、およそ300もの菌の中から適した3種の菌にたどり着きました。製造方法は“酒かすのヨーグルト”ともいえそうな手順です。酒かすをふかして水と混ぜます。殺菌して乳酸菌を加え、1日かけて発酵させるそうです。名前は、新潟県酒造組合が 新潟市内のデザイン専門学校で公募し、学生のアイデアを基に「さかすけ」と命名されたとのこと。20代のフレッシュな感性で付けられた名前なんですね。

 醸造試験場はさかすけの技術を県内の酒蔵に提供。それぞれの蔵が自社の酒かすを使ってさかすけを作っているため、味に少しずつ違いがあるそうです。現在、今代司酒造、菊水酒造、麒麟山酒造、緑川酒造の4つの酒蔵で製造されたさかすけを 使ったレアチーズケーキやカレーなどの加工品を製造・販売しています。

 ここで、醸造試験場の専門研究員金桶光起(かねおけ・みつおき)さんに伺った、さかすけのもう一つの役割をご紹介します。それは「酒かすに付加価値をつけること」だそうです。高級酒をたくさん生産している新潟では、毎年たくさんの酒かすが出ます。その酒かすを効率的に生かすことができるのが、さかすけなのです。さかすけはもともと酒蔵にある設備を活用して作ることができるため、新しい設備投資がいらないという利点があります。コストをかけずに付加価値をつけ、利益につなげる。とても理にかなった仕組みですね。さかすけには「酒蔵本体を太くしていきたい」との願いが込められているのです。

 新潟県酒造組合は現在、香り高くすっきりとした味わいの新潟清酒を世界に広めようと海外にその魅力を伝えています。また、国内の若い世代や女性にもその良さをPRしています。 その中で金桶さんは「さかすけが新潟清酒に興味をもってもらうきっかけの一つになれば」と期待します。季節の料理と日本酒を味わう晩酌に加えて、さかすけを使った健康的なお菓子でティータイムを過ごす、というのも素敵ですね。
     

file-75 にいがたの発酵文化(後編)

  

上越が生んだ酒博士

酒を科学的・文化的に探究

坂口謹一郎博士肖像(上越市提供:撮影・霜鳥一三氏)

     

坂口謹一郎博士(上越市提供:撮影・霜鳥一三氏)。1939年に東京帝国大学農学部教授となり、東京大学農学部長、東京大学応用微生物学研究所長などを歴任しました。著書に「世界の酒」「日本の酒」「歌集 醗酵」など。1965年にフランス・レジオン・ドヌール勲章、1967年に文化勲章、1974年に勲一等瑞宝章を受章しました。
     

     新潟県醸造試験場(昭和7年頃
     

昭和7年頃の新潟県醸造試験場の酒造りの様子。昔は木の桶を使って醸していました。県が日本酒専門の試験場をもっているのは全国で新潟県だけだそうです。酒処ならではですね。

坂口博士直筆の色紙

     

坂口博士直筆の色紙。「こしのうまさけ」の文字に、新潟清酒への愛情が見て取れます。新潟県醸造試験場に大切に飾られています。

     

 酒造りの世界では知らぬ人がいないといわれ、酒博士と呼ばれる応用微生物学の権威をご紹介します。新潟県上越市出身の坂口謹一郎博士(1897年~1994年)です。味噌、醤油、ワインの研究など様々な分野で活躍しました。中でも日本の酒造りの工程を科学的に解明した功績は大きく、世界に類を見ない日本酒の独特の製法や日本酒の文化的価値について記した名著を数多く執筆。また、歌人としても酒にまつわる歌を多く残しました。

 坂口博士は上越市高田に生まれ、旧制高田中学校に入学。ところが小児麻痺を患ったことをきっかけに東京・神田の順天中学に編入をしました。神保町の本屋街に通う文学少年で、西欧の文学などに親しんだそうです。この時代に文化的な素地が育まれたのかもしれませんね。その後、第一高校理農工専攻を経て、東京帝国大学農学部へ。醸造学の先生の話に感銘を受け、中国酒の麹菌について研究。卒業後も大学で研究生活を続け、日本の麹菌へとテーマを広げていきました。それまでは世界的に、デンプンを糖に分解したり、タンパク質をアミノ酸に分解したりする研究が主だった一方で、坂口博士は麹菌のほかの働き、糖から酸やアルコールをつくる性質に的をしぼった新しい研究に取り組みました。日本で1千年前から活用されてきた麹菌の新たな扉を開いたのです。麹菌が無数の性質の異なった変種から成るカビの一大群であることに注目。アルコールをつくる発酵型、酸をつくる呼吸型をはじめ、細かく分類しその働きを追究しました。分類学上の裏付けのため、各地の麹菌を求めて本州だけでなく、四国、九州、沖縄と全国の銘醸地を自ら巡りました。集めた麹菌はなんと3千株。その数の多さからも情熱が垣間見えます。

 ここで興味深いエピソードをご紹介します。坂口博士は学生時代、結核のために医者に禁酒令を出され、この銘醸地巡りでもお酒を一滴も飲まなかったというのです。ところが40歳を過ぎて、この禁酒令が無意味だったこと、むしろお酒を飲んだ方がよかったことが発覚しました。以来、毎晩晩酌を楽しむようになったそうです。しかし、すでに時は遅し。全国の銘酒を目の前にしながら飲まずにいたことを、悔やまずにはいられなかったのではないでしょうか。坂口博士は後年、「40歳より酒を覚えて健康を回復せしかば」という言葉を添えて、二首歌っています。

 ひとたびは 世をもすてにし 身なれども
 酒の力に よみがへりぬる
 酒によりて 得がたきを得し いのちなれば
 酒にささげむと 思ひ切りぬる

酒の研究に尽くした博士の生き方が描かれた一句ですね。

 名著「日本の酒」では、日本酒の歴史や酒蔵の一日、製造工程を丁寧に書き上げ、同時に酒を育んだ日本の素晴らしさを読者に伝えています。冒頭にこう記しています。
「世界の歴史をみても、古い文明は必ずうるわしい酒を持つ。すぐれた文化のそれゆえ、すぐれた酒を持つ国民は進んだ文化の持ち主であるといっていい。-中略- 或る酒を十分に鑑賞できるということは、めいめいの教養の深さを示していると同時に、それはまた、人生の大きな楽しみの一つである」と。
数々の素晴らしい酒を生み出してきた新潟。誇り高い文化は、目を向けてみればすぐそばに、身の回りにあるのかもしれません。
    


■ 取材協力
金桶光起さん(新潟県醸造試験場)

■参考資料
「発酵美人 酒かすレシピ」中島有香(株式会社ニール発行)
「日本の酒」 坂口謹一郎(岩波書店発行)
「私の履歴書 文化人18」(日本経済新聞社発行)

■写真提供
今代司酒造株式会社
芳林堂
新潟県酒造組合
上越市文化振興課

file-75 にいがたの発酵文化(後編)

  

県立図書館おすすめ関連書籍

「もっと詳しく知りたい!」、「じっくり読みたい!」という方、こちらの関連書籍はいかがでしょうか。以下で紹介しました書籍は、新潟県立図書館で読むことができます。貸し出しも可能です。ぜひ、県立図書館へ足をお運び下さい。

▷『発酵食品の科学』

(坂本卓著/日刊工業新聞社/2012年)請求記号:588/Sa32
 「発酵食品」と聞いてすぐに思いつくものにしょうゆ、みそ、納豆、酒などがあります。また、チーズやヨーグルトも私たちの食卓ではおなじみです。さらに、意外なところでは紅茶やナタ・デ・ココも発酵食品です。
 本書は日本や世界の発酵食品や発酵のメカニズム、発酵工業の発展などがわかりやすく解説されています。随所に挿入された「コラム」には「酒屋のしきたり」、「うどんのコシ」など、知っていると楽しい豆知識も掲載された1冊です。

▷『漬けるだけ発酵食レシピ:おいしくて簡単で体にいい!』

(安保徹、山田奈美著/アスペクト/2012年)請求記号:家庭596 /A14
 健康に良い食品、それも簡単に摂れるとなれば、ぜひその料理のレシピを知りたくなります。本書は免疫学者の安保徹氏と薬膳などを研究している山田奈美氏が、発酵食品のレシピを紹介した1冊です。
 寒い季節に食べたくなるような「さつまいもの甘酒スープ」「酒かす鶏とかぶの煮物」など体が温まりそうなレシピのほか、塩麹、みそ、しょうゆ、酢を使ったレシピが紹介されています。また、発酵食品と免疫力の関わりについてもわかりやすく解説されています。

▷『愛酒楽酔』

(坂口謹一郎著/講談社/1992年)請求記号:N 911.1/Sa28
 上越市出身の坂口謹一郎氏は発酵学、微生物学の権威として知られています。
 本書の主な内容は、著者の研究分野であった酒にまつわるエッセイと短歌「愛酒楽酔」と、自伝「私の履歴書」で構成されています。「酒博士」の生い立ちや研究内容などがわかる1冊です。
 
 このほか当館では、著者の『日本の酒』岩波文庫(岩波書店/2007年)なども所蔵しています。併せてご覧になってみてはいかがでしょうか。
 

     

ご不明の点がありましたら、こちらへお問い合わせください。
(025)284-6001(代表)
(025)284-6824(貸出延長・調査相談)
新潟県立図書館 http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/

 

前の記事
一覧へ戻る
次の記事