全国の中で最も神社が多い新潟県。その理由として、新潟は稲作地帯で、また北前船航路の港で栄えたこともあり経済的に豊かだったこと、明治時代は全国で一番人口が多かったこと、明治時代の神社合祀(ごうし)政策の影響を比較的受けなかったことなどがあげられます。
 農業が盛んな新潟県では、先人たちが村の皆が安らかに暮らせるよう、豊作や、地域のなりわいが発展するよう、お社(やしろ)に祈りをささげていました。そのため、集落の大小に関わらず、多くの神社が建立されているのも新潟県の特徴といわれます。

 県内には現在4,600社以上の神社があります。新潟県神社庁によれば、宮司職は現在、県内に340人ほど。ひとりでいくつもの神社を兼務するため、宮司が常駐する神社は少ないですが、全ての神社は地域の氏子や町内会により、大切に守られています。
 地域によって守られ、行事や祭り、伝統芸能を守り育んできた神社。今回は、新潟県内の神社の中から、社殿などの建造物が国指定重要文化財である神社と、一宮(いちのみや)について紹介します。

新潟県内にある
国指定重要文化財の神社

修験者の山・松苧山山頂に鎮座する
県内最古級の茅葺き屋根木造建築物
◎松苧(まつお)神社(十日町市)

松苧山の山頂に鎮座する本殿。軒の出が少ないなど、十日町の冬の厳しい自然条件に耐えるように造られています。

 大同2年(807)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が奥州蝦夷(おうしゅうえぞ)征伐の帰途、この地に創建し、奴奈川姫(ぬなかわひめ)を祭っている松苧神社。近隣の総鎮守であり、地域の人たちには松苧大権現(まつおだいごんげん)とも呼ばれています。松苧神社の名前の由来は「左手に松を持ち、右手に青苧(あおそ)※を持って天から神様が下って来た」からといわれます。そのため、昔から苧(からむし)を原料とする機織(はたお)りの神様としても信仰されています。

※苧の繊維。苧はイラクサ科の多年草で、越後上布や小千谷縮などの上布の材料。青苧は鎌倉時代から高級織物として知られ、武士の裃(かみしも)などに使われてきました。

 標高360メートルの松苧山の山頂に鎮座する木造茅葺きの本殿は、明応6年(1497)の建立。茅葺き屋根の木造建築物では県内最古級のものとして、昭和53年(1978)、国の重要文化財に指定されています。

 戦国時代には、武将たちが戦勝を祈願したと伝えられ、上杉謙信が奉納したという短刀と日の丸の軍配が今も残っています。現在、短刀と軍配は別の場所に保管されていますが、レプリカが「まつだい郷土資料館」に展示されています。
 松苧山は修験者の山だけに、本殿までは険しい山道を20分ほど登らなければなりません。途中には鎖を掴んで登る崖のような所もあり、山登り用の靴や装備が必要です。
 この周辺の地域では、男の子が数え7歳になると、この松苧神社の参詣登山に挑む風習があり、毎年5月8日には伝統行事「七ツ詣り(ななつまいり)」が行われます。
 登山道までの山道は冬季閉鎖となります。

【住所】十日町市犬伏

室町時代の特色を色濃く残す、文化財の宝庫といわれる古社
◎白山神社(糸魚川市)

国指定重要文化財の本殿。棟札や墨書から永正12年(1515)建立とされています。岩陰に建つため東側の軒が短く、縁を省いた非対称形で、細部の形式は室町時代の特色をよく示しています。

 通称で能生(のう)白山神社として知られるこちらの神社。その創建は古く、崇神(すじん)天皇の時代とも、文武(もんむ)天皇の時代とも伝えられる白山神社。この神社が鎮座する旧能生町一帯は、江戸時代以来廻船業を営む人が多く、古くから海上信仰の神様として信仰されていたといいます。また、多くの文化財を有することから「文化財の宝庫」とも呼ばれる神社です。

白山神社の宝物殿にある「木造聖観音立像」。明治39年(1906)国の重要文化財に指定されています。サクラ材の一木造で平安時代後期の作といわれています。

 白山神社には、国の重要文化財として、「白山神社本殿」、宝物殿にある「木造聖観音立像(もくぞうしょうかんのんりゅうぞう)」や「能生白山神社の海上信仰資料」が指定され、他にも2つの天然記念物や、春季大祭に奉納される国指定重要無形民俗文化財「白山神社舞楽」などがあります。
 本殿は永正12年(1515)の建立。正面の柱が4本、柱間の間口が3間ある三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)で、前面に一間の向拝(こうはい)が付いた地方では珍しい規模の建造物です。

 宝物殿にある海上信仰資料は、主に北前船と呼ばれる回船(かいせん)の航海安全祈願として奉納されたもので、国の有形民俗文化財に指定されています。資料は船絵馬と船額からなり、宝暦(1751〜1763)、明和(1764〜1771)年間のものが多くを占めています。その中には日本で唯一、北前船として知られる前の「はがせ船」を描いた大型の船絵馬もあるそうです。

【住所】糸魚川市能生7238 【問】025-566-3465


明治39年(1906)に国の重要文化財に指定された
魚沼神社の境内にあるお堂
◎魚沼神社 阿弥陀堂(あみだどう)(小千谷市)

国指定重要文化財 魚沼神社阿弥陀堂 画像提供:小千谷市

 その昔、「上弥彦大明神(かみやひこだいみょうじん)」と呼ばれ、上杉家をはじめとする武家に崇敬されていた魚沼神社。創建は不明ですが、伝承によれば、崇神天皇の時代(前97~前30年)に勧請(かんじょう)※され、御祭神が彌彦神社と同じく天香語山命(あめのかぐやまのみこと)であったことから、上彌彦神社と呼ばれたと伝えられます。

※離れた土地より分霊を迎え、遷座鎮祭すること。

 この魚沼神社の境内には、明治39年(1906)に国の重要文化財に指定された阿弥陀堂があります。明治時代の神仏分離の際に神輿舎(しんよしゃ)と改称されましたが、その後も阿弥陀三尊が安置され、昭和29年(1954)の大規模な解体修理を機に阿弥陀堂の名称に戻されました。
 また、解体修理の際に「永禄六年乙丑」の文字が確認されたことから、建築年代は永禄6年(1563)、あるいは永禄8年(1565)と推定されています。

阿弥陀堂後方 画像提供:小千谷市

 軒の張り出しがきわめて短く、正面以外に縁がないことから、豪雪地帯ならではの配慮で造られたと考えられています。
【住所】小千谷市土川2丁目12-22

室町時代中期の神社建築の特徴を
今にとどめる古社
◎多多(ただ)神社(柏崎市)

国指定重要文化財 多多神社本殿 本殿は覆屋(おおいや)で保護されているため保存状態も良く、室町時代中期の神社建築の特徴をよく残しているといわれます。画像提供:柏崎市WEBミュージアム

 昭和33年(1958)、本殿が国の重要文化財に指定された多多神社。創建については天正年間(1573~1593)の戦乱で、多くの社殿や記録が失なわれているためか諸説あります。景行天皇年間(71~130)に、多臣襲木彦(おおのおみそきひこ)がこの地の娘を妻とし、自身の祖神である神八井耳命(かむやいみみのみこと)と神日本磐余彦(かむやまといわれびこのみこと・神武天皇)の分霊を勧請したとも、大同元年(806)に藤原朝臣人道浄眼(ふじわらのあそんじんどうじょうがん)によって勧請されたともいわれています。
 国指定重要文化財の本殿は、棟札によれば永正16年(1519)の建築。間口一間ほどの小さな板葺き屋根の社殿で、室町時代中期の神社建築の特徴をよく示しているといわれます。社殿は覆屋(おおいや)で保護されているため全体を見ることはできませんが、保存状態が良く、当時の姿をよくとどめているといわれています。

【住所】柏崎市大字曽地1325

あじさい寺として知られる
古刹・蓮華峰寺の旧鎮守
◎小比叡(こびえ)神社(佐渡市)

覆屋の中にある本殿。解体修理を経て、原型に近い姿を今に伝えています。画像提供:佐渡市

 真言宗の古刹、蓮華峰寺(れんげぶじ)の旧鎮守である小比叡神社。「佐渡神社誌」によれば、山王大権現(さんのうだいごんげん)と称された後に、明治時代の神仏分離により小比叡神社となりました。本殿とともに、石造明神鳥居(せきぞうみょうじんとりい)という型の鳥居が、昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。

 小比叡神社の創建年は不詳ですが、本殿は寛永17年(1640)の建立。三間社流造で、屋根はこけら葺きの室町時代の建築様式と推測されています。現在までに何度も修理が行われており、現在の本殿は昭和54年(1979)に全面的な解体修理が行われ、原型に近い形で復原されました。

小比叡神社の鳥居 鳥居の柱には奉納した佐渡奉行の大久保長安の名前などが刻銘されています。画像提供:佐渡市

 もうひとつの国指定重要文化財である拝殿前の鳥居は、慶長13年(1608)の建立。初代佐渡奉行・大久保長安(おおくぼながやす)と大久保山城守安政が奉納したものです。柱には、両名が檀那(だんな)となり、当時の蓮華峰寺の住職・快宥が建立したという由緒が刻まれています。

 この石造明神鳥居という型の鳥居は、九州方面で多く見られるといい、日本海側では小比叡神社が最北の地とされています。

 新潟県指定有形文化財の拝殿では、毎年2月6日に、その年の豊作を祈願する「田遊び神事」が行われていました。由来は定かではありませんが、嘉永5年(1852)の神事記録が伝えられていて、江戸時代後期には演じられていたのではないかと考えられています。平成16年(2004)に佐渡市の無形民俗文化財に指定されていますが、現在は休止されています。

佐渡市の無形民俗文化財に指定されている「田遊び神事」画像提供:佐渡市

 

【住所】佐渡市小比叡182

新潟県内の一宮

 「一宮」とは、神社の社格を示す格式のひとつで、平安時代後期に成立したといわれています。昔は日本の各地域を、「国(くに)」という呼称で呼んでいました。それぞれの国には、中央から国司(こくし)と呼ばれる役人が派遣され、各国の国司が最初に参拝すべき神社として定められていたのが一宮といわれています。また、その地域を代表する神社として古くから崇敬を集めています。

万葉の頃から2,400年以上の歴史を有する越後一宮
◎彌彦(やひこ)神社(弥彦村)

 越後平野の中央にそびえる弥彦山の麓に鎮座する彌彦神社。創建2,400年以上の歴史を有する彌彦神社は、古くから人々に「おやひこさま」として広く崇敬されてきました。

 御祭神の天香山命(あめのかごやまのみこと)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)のひ孫であり、初代神武(じんむ)天皇の命を受けて越(こし)の国に移ったと伝えられています。漁業や農業、海水製塩、酒造などの技術をこの土地の人々に広め、社伝によれば、越の国の開拓を終え、第六代孝安(こうあん)天皇元年(前392)2月2日に現在の弥彦山である神劒峰(みつるぎのみね)に葬られ、御子である天五田根命 (あめのいたねのみこと)が廟社(びょうしゃ)を築いたことが、彌彦神社の始まりと伝えられています。

 彌彦神社は、日本最古の歌集万葉集にも歌われています。
万葉集の巻十六に「いやひこ おのれ神さび 青雲の 棚引く日すら こさめそぼふる」「いやひこ 神の麓に 今日らもか 鹿の伏すらむ 皮服(かわころも)着て 角つきながら」の二首が納められているほど、8〜9世紀から神威ある神社として都にもその名を知られていました。その後も、源頼朝や後醍醐天皇、徳川家康など、各時代の権力者から崇敬されてきました。

 現在の社殿は、明治の大火で消失後の大正5年(1916)に建築家・建築史家の伊東忠太(いとうちゅうた)により再建されたものであり、建築物・構造物25件が国の有形文化財に登録されています。
 昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定された末社十柱神社社殿(まつしゃとはしらじんじゃしゃでん)は、元禄7年(1694)に長岡藩主により奉納されたものです。また、多くの貴重な文化財が展示されている宝物殿に国指定重要文化財「大太刀 附 革鐔」「鉄製仏餉鉢」があります。

末社十柱神社社殿(国指定重要文化財)

 約4万坪の境内には、石を持ち上げたときの重さの感じ方で願いが叶うかどうかを占う「重軽(おもかる)の石」や、上杉謙信祈願文などが展示されている宝物殿など、見どころも多数あります。
 彌彦神社山頂の御神廟には御祭神夫妻が祭られ、縁結びの神様として全国的にも知られています。
【住所】西蒲原郡弥彦村弥彦2887−2
https://www.yahiko-jinjya.or.jp

上杉謙信をはじめ越後守護上杉氏が
崇敬した越後一宮
◎居多(こた)神社(上越市)

天正6年(1578)の御館の乱にて景虎方に加担したために社殿が焼かれましたが、景勝の会津移封の後、歴代の領主により再興。社殿は明治初期まで日本海に面したところにありましたが、海岸浸食により明治12年(1879)に現在の地に移り、平成20年(2008)に本社殿が建て直されました。

 大国主命(おおくにぬしのみこと)と奴奈川姫、建御名方命(たけみなかたのみこと)を祭る居多神社。親子関係にある三柱の主祭神を一緒に祭る神社は県内でも珍しく、縁結びの神社としても知られます。
 代々の国司の厚い保護を受け、承元元年(1207)、越後に配流された親鸞が最初に参拝をしたのも居多神社と伝えられています。また、この神社は新潟県内に昔から伝わる不思議な伝説「越後七不思議」の第一番「片葉の葦」が群生していることでも有名です。この葦は、親鸞が居多神社に参拝して念じたところ、境内の葦が一夜にして片葉になったという伝説があります。

親鸞聖人越後七不思議のひとつである「片葉の葦」。片方の葉しか茂っていない。

 上杉謙信をはじめとする越後守護上杉氏も居多神社を崇敬し、代々宮司を務める花ケ前(はながさき)家とのつながりも深いものだったといわれます。

 上杉家の寄進状など、越後の中世史を紐解くうえで欠かせない古文書等も多く残り、年に1度、中世から近世にかけての居多神社文書が公開されています。
【住所】上越市五智6-1-11

地域の人に「度津さん」と親しまれる
佐渡一宮
◎度津(わたつ)神社(佐渡市)

 佐渡一宮として知られる度津神社。御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子である五十猛命(いたけるのみこと)。2度の羽茂川の大洪水で古文書なども消失し、社殿は現在の位置に移ったとされています。そのため創建年代は不詳ですが、五十猛命は日本全土に植林を広め、人々に造船や航海術を授けたため、林業や建築業、造船業の神として知られています。

 度津神社が鎮座する羽茂地区には五十猛命の逸話が多く残り、地域の人たちから崇敬と親しみを込めて「度津さん」と呼ばれ、厚く信仰されています。
【住所】佐渡市羽茂飯岡550−4

※一部、人物名の読み方に諸説あることから、ふりがなは表示していない箇所があります。

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