一度見ると忘れがたい唄と踊り。相川音頭は、民謡に興味がない人もその格好よさに驚かされます。佐渡には多くの民謡がありますが、その品格ある唄と踊りには特別なものがあります。
佐渡おけさ、両津甚句と並び、佐渡三大民謡の1つとして知られる相川音頭。相川金山で生まれ、後に佐渡奉行の前で披露された「御前(ごぜん)踊り」として知られたこの民謡には、実は40編もの歌詞があるといいます。その魅力について、お話を伺いました。
民謡らしくない個性的な民謡・相川音頭
「相川音頭は佐渡三大民謡の1つですが、佐渡おけさとは全く違う雰囲気を確立しています。もともと相川音頭は、良い曲ですからね。江戸情緒をしのばせるような独特の哀愁があり、民謡らしくない個性的な民謡だと思います。」と言うのは、民謡研究家で佐渡郷土史家の渡辺和弘さんです。
相川音頭の歴史は古く、江戸初期の寛永18年(1641)にはすでに相川金山の盆踊りとして成立していたといわれます。「数多くある佐渡の民謡の中でも、特に歴史ある民謡といえます。」と渡辺さん。

民謡研究家・佐渡郷土史家の渡辺和弘さん。「佐渡島内各地で現在も唄われている民謡を合計すると26曲あり、これは全国でも突出して多い。バラエティ豊かな民謡が唄いつがれていることは佐渡の誇るべき文化です」
現在、相川音頭の歌詞として広く知られるのは源平合戦を題材にした「源平軍談(げんぺいぐんだん)」の中の一節。しかし相川音頭には、源平軍談を含め、40編もの歌詞があるといいます。その中には、謡曲(※1)から心中(しんじゅう)もの、世相ものから源平軍談まで、実に様々なストーリーがあり、中でも特に多いのが相川で起きた心中を題材にした心中ものです。「相川音頭は、江戸中期に心中ものとして大流行し、そこから変化していきました。」と渡辺さん。
「近松門左衛門の曾根崎心中の流れもあったと思いますが、江戸時代の相川はとにかく心中が多かった。金山では江戸の無宿人(※2)が働かされ、過酷な労働のため短命だったと言われている。逃げることはできませんが、年に何回か自由な時間があり、お金もそれなりに貰えたので遊女遊びは時々できた。一方の遊女も着物代だ何だと取られて、結果的には生涯遊郭にいなくちゃいけない。そんな男女が恋仲になり、心中してしまう、それを相川の人たちが唄にして、供養として盆踊りで踊ったのです。」
※1:能楽の台本、歌詞。謡(うたい)。またその歌詞に節をつけて唄うこと。
※2:江戸時代において、現代の戸籍台帳と呼べる宗門人別改帳から名前を外された者のこと。

渡辺さんが平成24年(2012)にまとめた「佐渡の民謡-唄と人と歴史-」。佐渡民謡の事典ともいえる内容で当時の貴重な写真も掲載されています。その内容は、同名のブログでも見ることができます。
現在、相川音頭として唄われる「源平軍談」は、江戸末期の天保年間(1830〜1844)に作られたもの。作者は佐渡奉行所の役人・山田良範(りょうはん)とも中川赤水(せきすい)ともいわれます。
渡辺さんは、この歌詞が相川音頭の大きな特徴の1つだといいます。
「新潟大学の鈴木孝庸(たかつね)名誉教授によれば、源平軍談の歌詞を調べると、平家物語や義経記にもない描写があるそうです。少なくとも平家物語、義経記、源平盛衰記を熟読し、年号を揃えて、初段から第五段の場面からなる約2時間の音頭に書き上げている、これは普通の学者ができることではないと教授は言うんですね。誰が編集者なのか、共作したのかは分かりませんが、源平軍談の歌詞はとても優秀な学者によって作られた、実に素晴らしい作品だということです。」
100年前の相川音頭をそのままに守り続ける
相川音頭を知る上で忘れてならないのが、大正13年(1924)、相川音頭の保存会として相川で結成された「立浪(たつなみ)会」です。現在広く知られる「どっと笑(わろ)うて立つ浪風の」から始まる相川音頭の踊りを作り上げ、大正から昭和にかけて、佐渡おけさや相川音頭を全国に知らしめたのも立浪会の貢献が大きいと言われます。

大正時代からラジオやレコードで佐渡民謡を全国に広めた立浪会。左は相川の選鉱場に勤めていたときに立浪会にその才能を見いだされ、後に稀代の民謡歌手として知られた村田文三(ぶんぞう)のレコード。大正から昭和にかけ、多くの作品を残しています。
大正15年(1926)、立浪会の曽我真一が、後に美声の民謡歌手として知られる村田文三、松本丈一(じょういち)の唄を東京放送局(後のNHK)のラジオにのせたことで、佐渡民謡は全国に知られました。その後、昭和25年(1950)の日本民謡大会での優勝をきっかけに、『日本一の佐渡民謡』と全国をバスで宣伝して回った『おけさキャラバン』で、佐渡おけさと共に、相川音頭は急激に広まったといわれます。
当時のままの男踊りを101年間守り続ける立浪会の会長・増田豊さんにお話を伺いました。

「立浪会」会長の増田豊さん。立浪会の歴史と共に、品格と武士道精神を重んじた相川音頭の踊りと唄を次世代へ伝えるべく情熱を注いでいます。
―現在知られる相川音頭の唄と踊りは、もともとは立浪会が始められたものだそうですね。
増田 立浪会が昔から相川音頭として演奏するのは、源平談義の第五段「義経の弓流し」の24行目、「どっと笑うて立つ浪風の」からの一節です。源平軍談は、初段から第五段の場面で構成されています。全て演奏すると2時間以上かかりますから、演奏するのはほんの一部です。
会の名前もその歌詞から来ていますが、結成される以前から、ずっとそこから唄っていたそうです。ただ、それは立浪会の話で、団体によっては謡曲を唄うところもあると聞いています。

昭和34年(1959)発行の「立浪会史―三十五年のあゆみ」(発行/立浪会)
―相川音頭は江戸時代、心中ものとして大流行したそうですね。
増田 最初は世阿弥などの関係で、相川音頭も能から派生した「謡曲百番(うたいひゃくばん)くずし」を唄っていたと思います。ただ謡曲ものは難しく、奉行所の役人のような教養がある人でないと分からない。庶民に分かりやすいものというと、やはり恋物語なんですね。江戸時代、心中は御法度(ごはっと)でしたが、あの寺で心中があった、そりゃかわいそうだから供養しようと、町の人が唄にして盆踊りで踊る。当時は相川でよく心中がありましたから、物語も歌詞も違う心中ものが沢山あるわけです。
ー心中は御法度なのに、庶民は心中ものを唄い踊っていたのですか。
増田 寺の境内で庶民が踊る盆踊りですから、奉行所も干渉しなかったのかもしれません。けれどお盆になると、お奉行様の前で「踊れ」といわれるわけです。まさかお奉行様の前で、御法度の心中ものを唄うわけにはいかない。そこでお奉行様の前で踊るにふさわしい、士気の上がる歌詞を奉行所の役人が作ったわけです。それが「源平軍談」ですね。
ー相川音頭は踊りも気品があります。様々な歌詞がありますが、好きな歌詞はありますか。
増田 やはりぼくらが唄っている第五段が好きですね。相川音頭は歌詞も気にしてみると面白いですよ。
第五段の「義経の弓流し」の物語を分かりやすく言うと、始まりは、源氏は強い。特に義経というやつが強そうだ。誰かあいつを負かす者がいないかと平家の大将が言うと、命懸けでやりますよという侍が出てくる。話に勢いがあって面白いですが、そこから先が、相川音頭で踊る「どっと笑うて〜」の場面です。
ーどんな内容なのでしょう。
増田 場面でいうと、源氏が波打ち際、平家は海上の船で対峙している。馬に乗った義経はうっかり弓を落としてしまい、引き潮でどんどん弓が沖に流される。義経が馬で海に入って弓を取り戻そうとすると、平家が船を漕ぎ寄せて義経の弓を取ろうと熊手をさしのべてきた。義経は弓を取られては困るとその熊手を切り払い、弓を取り返します。義経が岸に戻ると、家来たちは「なんて無茶な、いくら大切な弓でも大将の命の方が大事だ」と言うんですね。普段、私たちが唄うのはここまでですが、そこから先が本当は伝えたいところです。
ー伝えたいところ、と言いますと。
増田 義経は、戦で死ぬのは時の運だから仕方ない。ただ弓を敵に取られると、自分は弓を落とすようなうっかり者だと末の世まで言われてしまう。自分は命より名誉を取ったと言うんです。
一説によれば、義経はあまり力がなかったといわれています。力のある人は弓を強く引けますが、力が弱い人用の弓は柔らかい。弓を平家に取られたら、義経はこんな柔らかい弓かと言われるのも恥ずかしいと。どちらの話が正しいかは分かりませんが、弓を平家に取られることは、屈辱なのです。それは耐えがたいから命懸けで弓を取り返したと義経は言い、それを聞いた家来たちは「そんなに深い思いで取り返しに行ったのか」と泣いて感じ入る。
義経が「私は弓を惜しんだのでなく、名を惜しむ」という、そこが「義経の弓流し」の一番良いところだと思います。初段から五段まである源平軍談の長い物語の中で、そこを選んで今も唄うのは、「宝(弓)を惜しむのではなく名(不覚者と言われ続けること)を惜しむ」という武士道精神からだと思います。個人的にもそこが好きですし、昔の人も多分そこが気に入って唄っていたのだろうと思います。

昭和50年(1975)、相川音頭を踊る立浪会。立浪会が佐渡民謡を全国に広めたことで、民謡の演奏を見に訪れる観光客が多かったといいます。相川には毎晩民謡を演奏する「佐渡会館」もありました。
―では、相川音頭のあの気品ある踊りは、誰が考えたのでしょう。
増田 立浪会が結成された100年前に考えられたものです。それまで踊っていた盆踊りを、洗練されたものにしようとしたんでしょう。ただ、立浪会の踊りはひとつのパターンで、団体によって踊り方は違います。立浪会は、100年前の振りをずっと伝承しているだけなので、そこは各団体で個性があっていいんです。
ー立浪会は、そもそも相川音頭を保存する団体として結成されたんでしたね。
増田 そう言うと格好いいですが、最初は単に盆踊り好きの男性たちが、相川音頭をやろうぜと倉庫に集まり、楽しんでやっていたのだと思います。昔、相川音頭が男性だけの踊りだったのは、女性は忙しく働いていたから。男は道楽者だったんです。だから町の人からは尊敬されていなかった(笑)。でも、盆踊りではスターになれるんですね。
それで大正14年(1925)、皇族の方が相川に来られた際に「立浪会が踊れ」となり、当時は佐渡おけさが流行っていたので、相川音頭と佐渡おけさを演奏した。それで道楽者の汚名を返上し、見直されるようになってきました。
先に有名になったのは佐渡おけさでしたが、昭和25年(1950)に日本民謡大会で優勝し、「相川音頭の踊りは格好いい」と日本中の民謡団体が相川音頭を採用するようになったと聞いています。

立浪会が結成された翌年の大正14年(1925)、相川に久邇宮(くにのみや)殿下が来られた際の御前演奏記念写真。最後列左から2人目が、民謡歌手となった村田文三。この翌年には満州や朝鮮、樺太、台湾で佐渡おけさや相川音頭を演奏したそうです。
ー今も立浪会のメンバーは男性だけだそうですね。
増田 そこが強みでもあり、弱みでもあります。立浪会では唄と踊りは男性、それは今も変わりませんが、メンバーは十数人と少ない。他の民謡団体の踊り手は今、ほとんどが女性です。女性が入ってもいいのではとたまに言いますが、立浪会は男性が踊るところに存在意義を持たせて継承しているので、それをすると立浪会が立浪会でなくなってしまう。そこも難しいところです。

昭和33年(1958)6月、東京国立競技場で行われたアジア競技大会の最終日に東京立浪会後援会主催で行われた「一千人の佐渡おけさ踊り」。千人で五輪を形どり、7万もの観衆の前で相川音頭と佐渡おけさを公開演奏し、大喝采を浴びたといいます。
―増田さんが思う相川音頭の魅力はどんなところでしょう。
増田 他の民謡は割と自由で賑やかで「誰でもどうぞ」という感じですが、相川音頭は、源平軍談自体が格調高いものですから、踊りも典雅(てんが)です。その民謡らしくないところが、魅力です。
難しいのは、「品よく格好よく踊ろう」という下心があると、踊りが下品になる。気持ちの状態が踊りに出てしまうんです。
昭和30〜40年代の立浪会のビデオを観ると、昔の人の踊りはレベルが高く、風格があった。あれにはとてもかなわない。だから今の自分たちの実力の最大限でやるしかないのですが、品の良さが自然と滲み出るような、そんな踊りができたらと常に思っています。

立浪会の方々。踊りと唄は男性だけですが、三味線など地方(じかた)は女性をお願いすることもあるそうです。島内のイベントをはじめ、相川のホテルのロビーショーなどで立浪会の演奏を見ることができます。
民衆の人気と品格、その両方を兼ね備えた「相川音頭」

様々な団体が相川音頭だけを踊る「宵乃舞(よいのまい)」。毎年6月に相川で行われます。(2025年宵乃舞の杉山民友会)

「佐渡民謡の祝祭」の運営担当として、各地の民謡団体と協働し、調整役を担う伊里浩(いさとひろし)さん。佐渡文化財団の事務局次長として、文化芸術を通じた地域作りや伝統芸能の継承など、島内の伝統文化事業を支えています。
ー現在、相川音頭を踊る団体は島内にいくつあるのでしょうか。
伊里 相川地域だけでも6団体ほどすぐ思い浮かびますし、島内全体でいうと20団体近くはあると思います。
佐渡民謡は同じ演目でも、地域や団体ごとに踊りや間合いの取り方なども違いますが、相川地区の方々にとっての相川音頭は、やはり特別な存在です。佐渡奉行の前で披露された格のある民謡であり、その優美さや男踊りという特徴も、相川の歴史と共に誇りだといわれますね。

七浦民謡研究会
ー相川音頭は、もともとは男性だけのものだったそうですが。
伊里 立浪会だけは伝統的に唄と踊りは男性で、という形でやっておられ、男たちによる相川音頭はやはり魅力があります。一方で女性だけの団体もありますし、相川地区には三味線や唄など地方だけの団体、また踊り手だけの団体があり、踊り手は女性が多いです。女性が男らしさを表現する独特の魅力があると思いますし、男踊りとしての格好よさを追求していくのが相川音頭の1つの矜持(きょうじ)なんですね。
ある相川の民謡団体はずっと相川音頭に取り組み続けていますが、「未だにその答えがない」とおっしゃるんですよ。まだまだ克服しないといけないところがあり、相川音頭は取り組むほどに深いと。理想を求めるストイックさを、相川の方々の相川音頭に対する姿勢からはいつも感じます。
ー佐渡には多くの民謡がありますが、その中で相川音頭はどんな存在なのでしょうか。
伊里 天保の改革の頃の佐渡は、幕府による文化思想への弾圧や綱紀粛正(こうきしゅくせい)が強まった時代で、心中口説(しんじゅうくどき・心中もの)の盆踊りが禁止されます。佐渡は天領でもありますし、この時代に相川音頭は心中口説の内容から、武士にふさわしい合戦ものの源平軍談に変化しました。そこが他の民謡と違って、相川音頭が多層的な深みと格式を持つ特別な存在へと変化していく、大きなターニングポイントだったと思います。

海府民踊クラブと海府みすじ会
―それまでの心中ものから、佐渡の人たちには縁のない源平軍談を与えられても、なぜ相川の人は受け入れたのでしょう。
伊里 天保時代の人々にとって、浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎に何度も登場する源平合戦の物語を、場面場面で表現してゆくことの魅力や、義経というスーパースターの武勇伝で踊ることの楽しさはあったと思います。
もう1つの考察として、佐渡の歴史家の故田中圭一先生が、著書「天領佐渡」で、「弓」を女性に見立てたのではと述べています。弓を取りにいく義経に対し、家臣らが「いかに大事な弓(女性)といってもあなたの命の方が大切です」と諫めるのですが、義経は「自分にとって大切な弓(女性)はこの1張(1人)であり、たとえ海に身を投げて運命を共にしても惜しくはない」という暗喩(あんゆ)が隠されていないかというのです。もしそうなら、相川の民衆にとって口述口説(こうじゅつくどき)である古調(こちょう)相川音頭で、若い命や相対死(心中)の場面を唄い踊った心持ちが、源平軍談に重なったのかもしれません。
当時のことを考えると、相川音頭の作者は、佐渡奉行の前でも通用する武士の精神を描きつつ、民衆の心もつかむ傑作を作っていると思います。品格と人気、その両方を成立させたのはすごいというのが、私の個人的な印象ですね。
佐渡で相川音頭を見るには

毎年6月上旬の週末2日間で行われる「宵乃舞」は、江戸時代に奉行所と相川金山を結んでいた京町通りを、島内外の民謡団体が生演奏で相川音頭を踊るイベント。雪洞(ぼんぼり)の灯りのもとでの相川音頭流しは幻想的です。(2025年の宵乃舞/「Loveあいかわ・佐渡」)
相川音頭は、毎年6月上旬の週末2日間に江戸時代のメインストリート・京町通りで開催される相川音頭流し「宵乃舞」(https://s-nets.info/yoinomai/)を始め、「夜の御前踊り」「佐渡民謡の祝祭」など、佐渡島内のお祭りやイベントで見ることができます。以下に2025年の今後の情報を一部紹介しますが、他にも都度アップされるため、佐渡の観光情報や佐渡文化財団のHPやSNSなどでご確認ください。
【2025年・今後の予定】※変更になる場合があります
◆夜の御前踊り(相川・京町通り~佐渡奉行所)
8/2㈯・3㈰・9㈯・10㈰・11㈪・23㈯・24㈰・30㈯・31㈰
※いずれも20時30分~
問/宵乃舞実行委員会事務局 tel.0259-74-4515
◆鉱山祭り(相川浜公園、天領通り商店街など)
7/26㈯・27㈰
※相川音頭は26日㈯の18時30分頃「相川浜公園ステージ」で杉山民友会と七浦民謡研究会による上演が予定されています。(要HP確認)
※夜のおけさ流しでは、相川音頭はなく佐渡おけさの民謡流しが見られます。
【鉱山祭り公式HP】https://www.s-nets.info/sado.kouzan/
◆新潟県文化祭2025開幕イベント(アミューズメント佐渡・大ホール)
8/3(日)
【新潟県文化祭2025HP】https://n-story.jp/bunkasai/sado/
◆佐渡民謡の祝祭(アミューズメント佐渡・大ホール)
11/30㈰ ※詳細は10月中旬~下旬に佐渡文化財団のHPやSNS等で発表されます。
【佐渡文化財団公式HP】https://sado-bunka.or.jp
【立浪会の2025年出演予定】
◆清水家 相川車座交流ロビー公演
8/1(金)・8/15(金)・8/16(土)・8/22(金)
9/6(土)・9/7(日) ・9/14(日) ・9/19(金) ・9/20(土)・9/26(金) ・9/27(土)
10/3(金)・10/4(土)・10/10(金)・10/12(日)・10/13(月・祝)・10/17(金)・10/24(金)・10/25(土曜)
https://www.facebook.com/p/相川車座-100069575860254/
※立浪会は他に7月・8月の毎週末に佐渡奉行所(相川)で踊るほか、相川の「ホテル大佐渡」「ホテル万長」で宿泊客向けの無料ロビーショーに不定期で出演しています。詳しくは各施設にお問い合わせを。
【佐渡の観光情報サイト】
●佐渡市公式観光情報サイト さど観光ナビ https://www.visitsado.com
●佐渡文化財団公式HP https://sado-bunka.or.jp
参考文献/
「佐渡の民謡-唄と人と歴史-」(編著:渡辺和弘 2012年)
「相川音頭全集」(編著:山本修之助1975年)