戦国時代の雄将、上杉謙信公は幼名を虎千代、元服して景虎、出家して僧名を謙信、不識庵とも号した。上杉姓を名のるのは、上杉憲政のあとをつぎ、関東管領職となってからである。
謙信公は父為景の没後14歳の時、中越地方鎮撫のため栃尾城に入城し、旗揚をした。6年にわたる滞在で数々の武勲を打ちたて、国の内外にその名声はとどろいた。天文17年(1548)19歳のとき栃尾衆を引きつれて春日山城に入城、越後の国主となる。
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