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長岡市

「花火」と「米百俵」のまち

新潟県のほぼ中心に位置し、新潟市に次いで二番目の人口規模である長岡市。広大な敷地で四季折々の自然が楽しめる国営越後丘陵公園や、通称「魚のアメ横」と呼ばれる寺泊の魚の市場通りなどの人気スポットもあります。戦国時代は武将・上杉謙信が栃尾地域で旗揚げし、直江兼続が与板地域を拠点に活躍。他にも最後のサムライと称される・河井継之助、「米百俵」で知られる小林虎三郎、連合艦隊司令長官・ 山本五十六など、歴史上の偉人とのゆかりが深い場所です。また、「長岡まつり大花火大会」は、 日本三大花火大会として全国的な知名度を誇ります 。夏の夜空に大きく花開く「正三尺玉」や幅約2kmにも及ぶ復興祈願花火「フェニックス」は、視界に収まりきらないほどの壮大なスケール。訪れた観客を感動に包みます。

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  • 古志の火まつり

    高さ25m級の「日本一のさいの神」に新成人が点火を行い、その年の無病息災・五穀豊穣及び震災からの復興を祈願するお祭りです。点火後は、真っ白な雪原に舞い昇る50mにも届く火柱と、それを彩る雪中花火は幻想的な世界を映し出しま […]
  • 与板地域のホタル

    山河の緑と自然豊かの環境を造り与板地域にホタルの住む美しいふる里を造ろう。 町の河川を整備し、ホタルの保護、育成を行い、地域住民とホタルのすみよいふる里づくり、環境づくりにつとめよう。戦前は、夏の夜涼みには河川、水田には […]
  • 直江兼続

    直江兼続は1560年永禄3年、現在の六日町坂戸城主長尾正景の家臣、樋口惣右衛門兼豊の長男として生まれた。その聡明さを見込まれ、幼時より上杉景勝の近習として取り立てられ、同時に上杉謙信公のもとで「仁義の精神」を学び生涯の信 […]
  • はちすば通り

    ~良寛と貞心尼出会いの地~ 良寛は晩年島崎の木村家に身を寄せ、足掛け5年間その地域の人々と穏やかな日々を送られました。 自らを厳しく律し、決して名利に走らず修行をし続けてきた良寛の生涯で唯一気を許したといってもいい尼僧、 […]
  • 良寛の里美術館

    良寛と愛弟子・貞心尼の書や詩歌を中心にゆかりの文人墨客の作品も含めて展示。「和顔愛語」そのままの人柄に心ゆくまでふれていただきます。 良寛の里美術館は、良寛や愛弟子・貞心尼の書などを展示した展示室のほか、「和島の良寛・良 […]
  • 樹齢1200年蓮花寺の大杉

    長岡市蓮花寺(れんげじ)の七社宮という神社境内にあり、神社創立時(霊亀年間715~716年)に植えられ、樹齢は約1200年と推定されています。昭和45年に県の天然記念物に指定されました。 樹高約50m、目通りまわり8.8 […]
  • 根立寺

    観音堂は間口三間、奥行二間半の外陣に、間口二間、奥行二間半の奥之院(内陣)のついた間取りである。 濡縁(ぬれえん)と向拝(ごはい)づきの造り、用材は欅(けやき)と杉、斗組(ますぐみ)は三重、屋根は二重垂木(たるき)である […]
  • 寛益寺

    寛益寺は、養老2年(718年)に行基によって開基されました。近世以前から人々の信仰があつく、上杉謙信公も祈願寺として帰衣されました。 本尊の薬師如来は、行基一刀三札の秘仏と伝えられており、元中7年(1390年)信徒が仏師 […]
  • 西照寺

    西照寺は、浄土真宗の開祖、親鸞聖人の門弟、西念が開基した信州(長野)布野の長命寺から慶長7年(1602年)に分寺、所々移住を経て長岡市上岩井に定住しました。本堂は、定住後火災に遭い、延宝9年(1681年)に再建され現在に […]
  • 中屋庄兵衛

    文政2年(1818年)長岡市三島地域脇野町に生まれ、18歳のときに会津若松におもむき鋸鍛冶中屋重左衛門に弟子入りし、弟子の中でも優れた人物と言われた。 天保13年に郷里脇野町に帰り、鋸鍛冶を開業し、弟子の養成に努めた。 […]
  • 明新館支館跡

    文政元年(1818年)替え地により、長岡市七日市に上山藩の陣屋が置かれ、以降53年間に渡りこの地を治めた。 そして、慶応2年(1866年)には、学問の奨励のため「明新館支館」を建設し、領内の農民の子弟をも対象にした教育が […]
  • 根立遺跡

    数々の土器の出土と合わせて、地下約4.5mから約300点ほどのくるみが多数発見され、後日そのうち割れていない完形なもの15粒を蒔いたところ、13本が発芽した(打ち割られたくるみの殻は約3,700年前)。 縄文時代のくるみ […]