file-110 歴史を感じながら、新潟の町屋巡り(前編)
新潟は町屋の宝庫
新潟県には、江戸時代に、北前船の寄港地、佐渡で産出される金銀の陸揚港となる湊があり、特に新潟湊は日本海側有数の湊町として繁栄。様々な地域の文化や産業がもたらされ、多数の町屋が建てられました。さらに、戦災を受けていない地域が多いため、今も数多くの町屋が残っています。新潟は、実は町屋の宝庫なのです。
平入りと妻入り
武士や農民ではなく、町人が住む町屋。田園地帯ではなく、町の中に建てられた町屋。江戸時代に確立した町屋は、身分や職業、地域に結びついて設計された住宅で、主に戦前まで建てられました。
新潟県内の多くのまちづくりや町並み保存に関わってきた、新潟大学都市計画研究室の岡崎篤行(おかざきあつゆき)教授に町屋について伺いました。
江戸時代初めの約50年間で、全国に次々と藩の首都・城下町と、その周辺に中小都市が整備されました。そこで建てられた住宅の一つが武家屋敷、もう一つが町屋で、いわば「町人が住む、店舗併設の都市型住宅」でした。通りに面し、隣家と接して建ち並ぶ、奥に長い敷地の家です。家の中に細長い土間を通して、それに沿って店舗や部屋を並べています。こうした特徴は全国共通ですが、外観や間取りは地域によって違いがあり、それが町屋巡りのおもしろさにつながっています。
三角屋根が続く、代表的な妻入りの町並み/出雲崎町
まずは、外観の違いから。町屋の多くは、四角い建物の上に、三角の屋根を載せた「切り妻」という様式です。同じ切り妻様式の家でも、屋根の三角形の部分が通りに面している「妻入り(つまいり)」と、四角い部分が面している「平入り(ひらいり)」では、見た印象が異なります。三角屋根が連なる妻入りの町並みに比べ、四角形の長辺の水平なラインが連なる平入りの町並みは、すっきりと整った印象です。
昭和初期に建てられた、平入りの町屋/村上市
「通りの有効利用という観点からは、間口が狭く奥行が長い敷地に町屋をぎっしりと建てた方が効率がいいですよね。節税対策というのは俗説です。このような敷地には妻入りを建てる方が自然なはずですが、そこをあえて棟(むね)が高くなる平入りにするのは、デザイン性を重視して、ちょっと無理をした建て方をしているように思えます。城下町には美的側面も考えたから平入りが多いとも言われていますが、はっきりとした理由は分かっていません。ただし、基本的に町によって妻入りか平入りかの建て方が統一されています。城下町やその影響下にある町を除けば、越後の町屋は妻入りが基本と言っていいでしょう」と、岡崎教授。
次は、間取りの違いです。京都では、格の高い客間を一番奥に設けています。新潟も秋田も、通りに面した店舗の次に客間を置き、庭を挟んで、奥は家族だけの空間にしています。岡崎教授によれば、「京都方式は、作庭にこだわり、それを客に見せるためとも言われます。一方、新潟は公私を分けた、合理的な間取りです」さらに、2階に格の高い客間を設けたり、途中で折れ曲がる通り土間を作ったり、県内でもいくつかの違いがあるようです。
旧新潟市と秋葉区小須戸
表が平入り、奥が妻入りの「丁字型」/新潟市・旧小澤家住宅
岡崎教授が最もかつての新潟町らしい町屋と呼ぶのは、新潟市中央区の旧小澤家住宅です。現存する母屋は、明治13年(1880)の大火後に建てられました。
「旧小澤家のオリジナル部分は町屋です。その後、敷地を買い増して屋敷に拡大されました。正面は平入りで、奥は妻入りという独特な形態です。上から見ると棟が『丁(てい)』の字に見え、特に名前が無いようなので、丁字型と呼んでいます」と、岡崎教授。
「平成14年(2002)に市に寄贈されるまで、小澤家の人々が家屋を残していこうと大切に暮らしていたこともあり、ここには明治期の様式が忠実に残っています」と、説明するのは新潟市歴史博物館の若崎敦朗(わかさきあつろう)さんです。軒(のき)を豪華に見せる「せがいづくり」、上部にガラス窓の付いた「高窓付き雨戸」などの、新潟の町屋らしい特徴もあり、見どころがいっぱいです。新潟市文化財に指定された後、平成23年(2011)から一般公開されています。
「公開するだけでなく、企画展示や講習会、イベントも開催し、下町の拠点としてにぎわいを創出していこうと考えています」と、若崎さん。平成26年(2014)には、「旧小澤家住宅周辺の歴史的町並みを考える会」が発足し、町屋を核とした町並みづくりが始まっています。
旧小澤家住宅をはじめ、小須戸や白根などで、地域の魅力を活かしたまちづくりに関わってきた、新潟市のまちづくり団体のみちLab.の副代表、加藤健二さんと秋葉区小須戸を訪ねました。
道の両側に妻入りの町屋が並ぶ/秋葉区小須戸 本町2丁目
「鼻隠し」は軒先に付けた厚板。現存するのは珍しい/秋葉区小須戸
越後平野の中央にあり、江戸時代の初めから近隣農家の中心地「在郷町(ざいごうまち)」として、また信濃川の川湊町として栄えた小須戸には、数多くの町屋が残っています。「通りの両側に連続して町屋が残っているのは、県内でも、いや国内でも貴重な町並みだと思います」と、加藤さん。板葺き屋根の板や置き石の落下を防ぐため軒先に付けられた「鼻隠し」が残っているのも、県内では珍しく貴重です。
村井豊さん(左)と加藤健二さん。小須戸のまちづくりで連携
町屋を核とした、小須戸のまちづくりのリーダーシップをとってきたのは、小須戸コミュニティ協議会事務局長の村井豊さんです。平成19年(2007)から、加藤さんとタッグを組んで、地域に向けて町歩きや町屋についてのセミナーを開始。次に、廃業した酒店を借用し、町屋ギャラリー薩摩屋として再生させ、まちづくりの拠点としました。「水と土の芸術祭」への参加、地元小・中学校に地域学習の場として提供、イベント開催などを積極的に行い、着実にまちづくりを進めてきました。
「町屋カフェや観光施設がオープンし、活動は点から線になりましたが、もっと広く『面』での動きにしたいですね。町屋を活かして、小須戸のアイデンティティーを残していきたい。私たちにとって町屋は大切な伝統であり、財産ですから」と、村井さんは今後を見据えています。
後編では、城下町や湊町の町屋を巡ります。
■ 取材協力
岡崎篤行さん/新潟大学工学部建設学科建築学コース都市計画研究室 教授
若崎敦朗さん/新潟市歴史博物館 学芸課
旧小澤家住宅/新潟市中央区上大川前通12番町2733番地
加藤健二さん/みちLab. 副代表
村井豊さん/小須戸コミュニティ協議会 事務局長・小須戸町並み景観まちづくり研究会
町屋ギャラリー 薩摩屋/新潟市秋葉区小須戸3394
出雲崎妻入りの街並景観推進協議会
むらかみ町屋再生プロジェクト