file-143 阿賀野川スイーツライン探訪記【阿賀町・五泉市・阿賀野市編】(前編)
伝統の菓子文化と新しい風
明治初期に阿賀野川を船で下った英国人作家イザベラ・バードは、出発地の津川(阿賀町)で焼き菓子や団子を購入。野菜や小麦を積んだ多くの丸木舟や果樹園が続く風景を船から目にしたと記しています。それから約150年。今もこの地域では、多くの銘菓が生み出され、伝統の菓子文化が息づいています。
お菓子で地域を発信する津川の銘菓
白餡に大納言小豆と黒ごまが入り、食感も楽しい『狐の嫁入りもなか』
地元のラズベリーをふんだんに使ったケーキ。細部まで丁寧な仕上げで、お菓子作りへの姿勢がうかがわれる。
その昔、車や鉄道が普及する以前は、物流の主役は「船」でした。中でも有名なのが、日本海を巡る北前船です。積み荷の上げ下ろしは、阿賀野川のような河川にある川湊(かわみなと)で行われていました。津川は会津藩の領地であり、藩の財源となる交易の最前線。山間部にありながら日本三大川湊と称されるほど賑わい、お菓子の材料となる「モノ」、それを購入する「人」が多く集まる町でした。
昭和27年(1952)に本店から独立し創業した「きりん堂」では現在、2代目の野潟勉(のがたつとむ)さんと息子の澄孝(すみゆき)さんがお菓子を作っています。勉さんの担当は和菓子で『しおがま』と『狐の嫁入りもなか』をはじめとする狐シリーズ。しおがまは落雁にしそが入った干菓子で、地元ではお彼岸やお盆に仏様に供えるお菓子として重宝されています。「観光客の皆さんは、狐、狐と、『つがわ狐の嫁入り行列』に関するお土産を求められます」と同祭のスタッフとして運営に携わっている勉さん。特産物のエゴマやラズベリーを使い、パッケージにもこだわって、常に地元らしさを追求しているそうです。
澄孝さんは人気洋菓子店で修行後、洋菓子の別ブランドとして「フリー・スタイル・パティスリー L.P.S」をきりん堂内に立ち上げ、最近はお店を飛び出した展開にも力を入れています。磐越自動車道阿賀野川SA(下り)とのコラボ商品『小町レモン』もその一つ。新潟県産米粉を使用し、レモンとゆずの相乗効果でフレッシュ感を創出したレモンケーキで、販売から2年たった今、津川のお土産として定着しています。
食用にできる部分が少ないオニグルミ(左)は、量を確保するのも一苦労。通年の人気商品になった『鬼ぐるみのグラノーラ』(右)
店内のカフェでいただく焼き立てパンはここならではのおいしさ。「寒暖差が大きいほど、木の実はおいしく育ちます」/柳沼さん
平成31年(2019)2月、津川に新しい風が吹きました。地域おこし協力隊員として東京から赴任してきた柳沼陽介さん、沙織さん夫妻が「パンとおやつ 奥阿賀コンビリー」をオープン。陽介さんは商品企画と営業、沙織さんはパティシエの経験を生かし、地元の食材を使ったスイーツやパンを開発・販売しています。中でも二人が魅了されたのは、えぐみとタンニンが少なく、コクと油分がある在来品種の「オニグルミ」。陽介さんはオニグルミを素材として使えるよう、地域の人たちと協力し、生産体制を整えて安定量の確保に成功。そんな中、令和元年(2019)8月にイザベラ・バードが旅した時代をイメージしたお菓子『ゆきちから全粒粉ボーロ』を誕生させます。「ザクザクした食感が楽しめる季節商品で、食味をよくするためにバターを加えましたが、それ以外はイザベラ・バードの時代に合わせて全粒粉、粗糖、天日海塩を使いました。おいしいと好評で、さらにオニグルミとドライフルーツを加えて『鬼ぐるみのグラノーラ』という商品を作りました」と陽介さん。
店内ではお菓子の他にパンも販売。併設されたカフェで、季節のグラスデザートやドリンクを提供しています。
ニットの産地で生まれた銘菓
地元のブランド卵で作る黄身餡の『きなせやまん頭』は、試行錯誤の末に先々代が完成。「パッケージの絵も三代目である祖父が手掛けました」/鈴木さん
錦玉羹(きんぎょくかん)の上に寒天を張り、レンコンを浮かぶように見せた『あんこん』。こしあん、抹茶味、黒ゴマ味、黒砂糖味、アロニアと種類も豊富。
阿賀町に隣接する五泉市は江戸時代から織物が盛んな街で、明治から昭和の初めまでは羽二重(はぶたえ)を生産。戦後はニット産業へと移行し、現在もニットの生産高日本一として知られています。
五泉市で最も歴史のある菓子店「寿々長」には、織物にまつわる銘菓が二つあります。明治10年(1877)の創業当初からのロングセラーで、白練餡と寒天を練り上げた『五泉羽二重』。もう一つは、1日400個も作るという『きなせやまん頭』です。「きなせや」は五泉の方言で、「(五泉に)来てください」と「(五泉の織物を)着てください」の二つの意味があります。「まんじゅうというと、思い浮かぶのは茶色い皮に黒いこしあんの温泉まんじゅうかもしれませんが、これはフワフワした食感の白い皮で中身は黄身餡。お茶請けや五泉のお土産として好評をいただいております」と五代目の鈴木長一さん。
寿々長は最近、五泉の野菜を使ったお菓子で全国的に有名になりました。小さなレンコンが浮かんで見える羊羹『あんこん』です。レンコンが好きな市内の婦人服店の七代目に依頼されて鈴木さんが開発。令和元年(2019)秋に発売したところ、人気テレビ番組で紹介されたのです。「五泉のお菓子とレンコンを全国に発信することができました」と鈴木さんは喜んでいます。
餡に入ったレンコンのシャキシャキ感が好評の『五泉美人』(左)。白餡と里芋を練り上げて、バター風味のカステラ生地でサンドした『帛乙女』(右)
「ニット産業が全盛の頃は、企業に『ケーキの出前』もしました」/佐藤さん
五泉菓子工業組合の組合長を務める佐藤渉さんは、赤海にある「洋菓子の店 ふりあん」創業者の娘婿。義父の誠さんは、子どもの頃に食べたシュークリームの味が忘れられず、菓子職人に。30歳の時、フランス語で「美味」を意味する「ふりあん」を開業し、地域のケーキ屋さんとして腕をふるってきました。
「五泉市はその名の通り、水に恵まれ、『蛇口をひねればミネラルウォーター』と言われるほど水がおいしい。当然、その水で育つ野菜もおいしい」と佐藤さん。里芋の『帛乙女(きぬおとめ)』とレンコンの『五泉美人』は、きめ細やかな白肌で人気が高い五泉の二大ブランド野菜。ふりあんではこれらを使ってお菓子を開発、ブランド名をそのままお菓子に付けています。「JA五泉よつば(現JA新潟みらい)さんのブランド野菜ですから、勝手に名前を使えません。一週間ごとに試作品を持参して、許可をいただきました。里芋自体の風味や食感を出すのに苦労しましたが、3年後には姉妹品の『五泉美人』も出すことができ満足しています」と佐藤さん。
贈答文化が色濃く残る五泉では、冠婚葬祭で乾物やおこわと一緒にお菓子が付いていましたが、コロナ禍によって冠婚葬祭が縮小。「地域の菓子店は苦戦を強いられていますが、アイデアや技術を駆使しながら、おいしいお菓子をお客さまに届け続けたい」と佐藤さんは決意を語ってくれました。
創業時からのロングセラー『五泉銘菓 粟島まんじゅう』。砂糖みつがかかった皮と黄身餡の絶妙な味わいで人気。
バタークリームが懐かしい『昔ながらのロールケーキ』(左・中)。『プラリネ』(右)は五泉ではポピュラーなお菓子の一つ。
渡辺さんの代表作『サンク フォンテーヌ』。イチジク・あんず・プルーン・クルミ・パンプキンシードをのせたアーモンドの風味が香ばしい。
サロン(カフェ)を併設したおしゃれな菓子店「渡六菓子店」では、三代目の渡辺修さんがチーフパティシエを務めています。渡辺さんは東京のフランス菓子店で修行後に実家に戻り、家業に入りました。そして次第に「祖父と父が積み重ねてきたものの上に自分がいる」と考えるようになり、地元に根づいた菓子店を目指すようになったそうです。
20種類以上ものお菓子がそろう陳列ケースは、お店の歴史そのもの。初代による『五泉銘菓 粟島まんじゅう』、二代目の『プラリネ』『昔ながらのロールケーキ』、そして渡辺さんの『野菜の生ロール』と三代にわたる代表作が並んでいます。「ロングセラーのお菓子には人を引き付ける理由があるんです。そしておいしい。そういうお菓子を残しつつ、常に成長や進化をしながら、時代に合った新しいお菓子を提供していきたい」と渡辺さん。
渡六菓子店では、購入したケーキをサロンでドリンクと一緒に楽しむことができます。「サロンをつくったのは、ちょうど遠方からのお客様が増えてきた頃で、お茶やお菓子が楽しめる場所があったらいいなと考えたのがきっかけです。甘いものを食べるとふわっと気持ちがほぐれ、幸せな気分になります。そこにコーヒーがあれば、さらに満たされると思うんです」
津川から新潟へ、阿賀野川流域のお菓子を訪ねるスイーツラインの旅。後編では、阿賀野市で地域の特産物などを活かし、街の魅力を発信しているお菓子を紹介します。
掲載日:2021/3/8
■ 取材協力
野潟勉さん/きりん堂 代表
野潟澄孝さん/フリー・スタイル・パティスリー L.P.S エグゼクティブパティシエ
柳沼陽介さん/奥阿賀コンビリー 代表
鈴木長一さん/寿々長 店主
佐藤渉さん/洋菓子の店 ふりあん
渡辺修さん/渡六菓子店 チーフパティシエ
後編 → file-143 阿賀野川スイーツライン探訪記【阿賀町・五泉市・阿賀野市編】(後編)
お菓子作りの原動力は郷土愛